井上修
(NDU日本ドキュメンタリストユニオン/『出草之歌 台湾原住民の吶喊 背山一戦』撮影・編集
NDU日本ドキュメンタリストユニオンとその時代
井上 初めまして、井上修と言います。1947年生まれですので、今年62才です。UNDと言っても、知っている人は? NDUの再結成以 前は、映画4本作りました。1974年まで約5年やってました。それで作品を4本作りました。当時のことをご存じの方はいらっしゃいますでしょうか。作品 を観た人とか。いない。その池内さん(司会)レヴェルの……おいくつでございますか?
司会 恥ずかしながら50を軽く越しています。
井上 50を越してる。ああ、だったらそうですよね。まだ、なんか炎が少しだけ残ってるという、そういう時代であったと思います。NDUと いう名前だけ知っている人は? もう皆さん何にも知らない。アッハッハッハッ。ほんとに。名前くらい聞いたことがあるとかっていう、そういう人もいない。 えー、わかりました。じゃあ、1967年当時の社会の状況とか、そこらへんのところから。ようするに、NDU、日本ドキュメンタリストユニオンという名前 で、映画の活動というかドキュメンタリーをとにかくやりたいという、そういう人間が早稲田で。何て言うか……学生運動っていうのも知らない。ええっ。全共 闘という名前も知らない。そういう時代の歴史を学習したことがある? ない。 アッハッハッハッ。では、当時の状況というのを実感的に何か文献で読んだこ とがあるとか、そういうのに興味があるとかっていう方なのかしら。それとも、そういうのには興味がなくて、ドキュメンタリー映画、ドキュメンタリー作品と いうものに対して興味があるのかしら。興味の指向が違うと話しても噛み合うところがなくて、私としては糠に釘というようなことになっても困るから。皆さん 何に興味がある? ドキュメンタリーに興味がある? それとも当時の40年前のような状況で、私達がドキュメンタリー映画を作りながら、社会と関わってき たというようなことに興味がある? そこらへんのところで話の筋道を一本まず付けましょう。何が聞きたい?
参加者A 後者。
井上 後者。40年前のこと。彼はそう言ってるけど。
参加者B 私もそうです。
井上 そう。あなたの場合には何でそういうところに興味がある?
参加者B そういう話、そういう本とかでたくさん見たり勉強したり会ったりしてきたんですけど、実感として……
井上 わからない。
参加者B つきつめればつきつめるほどわからない。
井上 あなたは?
参加者A 私は、その時代に実際作っていた人がどう思われていたのかなあと。その状況とかを知りたい。
井上 確かに、そういう意味では今と全然違う。まあ全共闘、我々自身が全共闘だって言ったわけじゃあなくて、それぞれ各大学で個別に東大な り日大なり早稲田なり明治なり、まあとにかく東京だけじゃなく全国各地で学生の運動があったんですよ。と同時に労働者の運動というのもあったんですよ。と にかく学生と労働者が一体化して連帯して運動を展開する、そういう活動を学生が基本的にやるのが仕事であったんですよ、当時は。勉強はその次にやってれば いい。それで簡単に言うとねえ、楽しかったんですよね。デモをやることが。運動をやることが。それこそ大学に立てこもって、そこで大学封鎖とか大学占拠と か授業ボイコットとか、教授を団体交渉、団交で吊し上げるとか。そういうようなことをやることが学生としてすごく楽しいことであったからやったんですよ。 連帯って言葉はあんまり使いたくないけれども、そういうことをみんなで一緒にやろうという気運は残念ながら今ないと私は思う。個別に楽しくやってるけど、 楽しそうにやってるけど、何て言うか実際に楽しくないと思うんですよ。何となく人の顔色を見ながら、私の一番最近嫌な言葉、そう風を読む。冗談じゃない よ、馬鹿野郎って。ようするに、その雰囲気に自分の考えを当てはめる、そういうのは当時はなかったです。とにかく大学に行っても討論すればいつも喧嘩にな る、時には殴り合いも辞さない。まあ当時の彼らはまともに教育を受けたっていうのは数少ないだろうとは思うけれども、それでも自分はこうしたい、自分はこ ういう話をあなたにしたいんだっていうようなことを、それぞれの人が持ってて。それで時には意見が合わなければ殴り合うのも辞さないというようなことを やっていたんじゃないか。だから、どうして今の学生を含めて若い人達がこういう腑抜けた、腑抜けたというのも変だけども、状況になっちゃったのっていうの がとにかく歯痒い。学生はねえ、若い人はね、何をやってもいい。社会の規範に添うような形で、意見を述べなくてもいいし、生きていなくてもいいわけなんで すよね。少なくとも学生レヴェルでは社会に責任があるわけじゃない分だけ、何をやってもいい。むしろ、そういう存在でなければいけないのじゃないかという のが、今の若い人達に対する私の大きな不満で、「馬鹿なんじゃない、この人達」って皆さんにもほんとに言いたいんですよね。でも「冗談じゃない、そういう ふうに言われる筋合いは我々は一つもねえ」って思う人がここにいたら、誰か言って下さい。私が「君達はみんな馬鹿だ」って言ったって、誰も私に反論をする 人はいないでしょ。いる? ああ言って下さい。
参加者C そんなに若くなくて今40なんですけど……
井上 駄目だよ、30代以下の人。
参加者C 今39、本当は。
井上 39、よーし。あなたよりも下の世代が、私みたいな年代の人から「腑抜け野郎、この野郎」って言われて反論するような、ようするに自 分の確固たるしたもの、確固たるした、確固たる、ハハハハ。最近ねえ、日本語があんまり喋れなくてねえ。歯が悪いから、歯が無いからねえ。すごく喋りにく いんです。すいません。
参加者C 全共闘の運動があった頃と、今の大学生とちょうど真ん中くらいの、僕は90年代初頭に大学生活を送ってたんですけど。その時も感 じてたし、全共闘世代の人が言うことを聞いてても感じる、よく若い者は元気がないと。それはよく言われてて、僕も下の世代を見るとそうなのかなと思った り、でもそう思う層っていうのはいつも一定いたと思うんですよ。全共闘世代の人も、例えばその上の戦争行ってた人から見みれば、元気がないって言われてた んじゃないかな。
井上 全然。我々NDUが最初に作った映画、題名『鬼っ子』っていうんですよ。わかります? 親に似ぬ子は鬼っ子だって言うんですよ。とに かく我々は前の世代を否定した、彼らよりもより良い社会を作っていこうという、そういう意欲でもって。それこそ我々の上の世代から向こう見ずと言われよう と、とにかくやりたいことはやるんだっていうふうにやってきました。
参加者C まあ私は当時の状況がよくわからないで、想像だけで喋ってるんですけど。
感動こそがドキュメンタリーの原点
井上 象徴的に言えば鬼っ子であった。若い人達は少なくとも鬼っ子であったんですよ、当時は。鬼っ子でいられることは名誉であったし、鬼っ 子にならなければいけないし。だから、そういう意味で言うと秋葉原のあの人、すごく私としては尊敬しちゃうんだよね、逆にね。あのくらい、ようするに人を 殺してまでね、自分のアイデンティティというか自分の存在意義を認めさせようと思うなんて、ある意味では、私はすごく共感したし感動しちゃう。
参加者C じゃあ連合赤軍も肯定ですか?
井上 もちろんです。ええ感動しちゃう。感動を求めない、というのはやっぱりおかしいと思うんですよね。どんなことであっても感動しなきゃ いけない。私に言わせれば、例えば今の『山谷』の映画みたいにね、虐げられた存在であったとしても、彼らが生きているってこと自体が感動的なことなんだ よ。そういう感覚が今の若い人達はないんだよ。ある? 生きていて、どこかで何かをしてね、誰かと会って話をしたりね、何かに出くわした時にね、感動する ことが皆さんないでしょう。こんなに感激的な状況がこの間あったんだよ、と誰かに伝えたいと思った人ここにいます? そういう人はドキュメンタリーが作れ る。それ以外の人はドキュメンタリーを作っちゃいけない。映画を作っちゃいけないとさえ私は思っています。映画では、そういう感動的なシーンをみんなに見 てもらいたい。私こんな感動的な場面にあったんだよ、それで私だけが体験するのはまずいから、みんなに見せてあげると思うのがドキュメンタリーを作る動機 なんですよ。ヴィデオだから簡単だけど、シャッターさえ押せば何でも出来るけれども、何にも出来ない。感動したことを多くの人に伝えたい。そこがとにかく スタート。この中に、私でもヴィデオ、映画、ドキュメンタリーを作ることが出来るだろうかと思っている人がいたら、まずそれぞれの人が、こういう感動的な 場面に出くわした、これは私だけのものにしとくわけにはいかない、というような状況に自分を置いて。どういう状況でもいいんだ、それは。日々いろんな人と 接する時に対局出来るようなね。時には喧嘩をして殴り合って、それこそ命からがら助かったとか。それでもいいしね。そういうような日常的にありえない、ほ とんどありえないようなことを再現する。そういうことであると私は、少なくともドキュメンタリー映画はそうだと思ってるんですよ。そうでなければ、ドキュ メンタリーはやっちゃいけないと思うし。もしここに映画を作りたいという人、ドキュメンタリーを作りたいという人がいるとしたら、少なくとも最低限スター トはそういうような感動を元にして欲しい。だから、皆さんが日々感動を感じられるような、そういう状況を作るように日々努力しなさい。例えば、警察と右翼 と出てくるシーンってありますよね。今でもあるんですよ、本当に。この中で、最近、デモに行ったことある人いないでしょう。いる? ああ駄目だよ、もう。 いる?
参加者D 1年前ですが。
井上 1年前。いいけど。だけど今のデモって、『山谷』のシーンに近くない、全然近くない。
参加者D ぶつかりましたよ、機動隊と。
井上 そう。でも、もう昔のデモに比べて……ようするに警察が取締を最大限に発揮して日本が安全だということをデモンストレーションするような、警察のデモなんだから。我々のデモは半分。
参加者D でも、それは新左翼の方々が武装を過激化させてどんどん孤立していったからじゃないですか、民衆から。デモに関して言えば。
井上 デモに関して言えば?
参加者D はい。
井上 うん。
参加者D (1967年の)10・8闘争(第一次羽田事件)でですか、あそこから角材が出てきたじゃないですか。そうやってどんどん民衆から離れていって、結局人数を集められなくなって、武装が激化したじゃないですか。それで離れていっちゃった。
井上 民衆と離れた原因というのはいろいろあって。
参加者D あると思いますよ。一般学生は出られなくなっちゃったじゃないですか。
井上 そこらへんはですねえ、当時学生の人達、労働者の人達が、何に対して一番反対していたかというと、アメリカのベトナム戦争でした。学 生も労働者も「インターナショナル」などという歌をうたいながら……わかるでしょう、インターナショナルな感覚。ようするに全世界ですよ。でも、当時の日 本の学生や労働者が、東アジアの台湾なり韓国なり朝鮮なり中国なりの人達に対して、少なくとも日本には在日という外国人がいるわけだから、インターナショ ナルを標榜するんならば、連帯の対象にしなきゃいけない。それをやらなかった、全共闘は。新左翼は。新左翼、今でもインターナショナル、連帯と言ってるけ れども、実際は運動としてインターナショナルな展開はたぶん一つもしてない。そういう意味で、正しい運動の指標というのをどこも見出せなかった。後から考 えたんだけど、日本人は新左翼であっても、やっぱり島国根性だったんだよね。それが運動が衰退した原因。もちろんそれ以外にも、高度成長でみんなお金が儲 かるようになったからさあ。それ以降バブル景気。山のようにお金が稼げたから。運動馬鹿くせーなんて思って、運動やらずに金儲けやったっていう側面もあ る。私もある。アッハッハッハ。だけど、当時の新左翼が民衆というか、人民というか、彼らから支持を得られなかったのは、運動の……
参加者D ラジカリズムが原因ではないと。
井上 間違っていたんだと私は思うんですよね。
参加者D もう一つ全共闘世代の人に聞きたいんですけど、全共闘運動っていうのは個人が圧殺されてることに対して、個人の力をもっと強くしようとか、個人として生きようというような運動ではないわけでしょう。
戦前の日本帝国主義に対するオトシマエをつける
井上 全共闘? 一言で言うのは非常に難しい。それより全共闘という形でやったけど、問題の一つずつはそれぞれの問題でありましたよ。東大 では、医学部の人達が最初に立ち上がったでしょ。早稲田は、学費学館闘争というのをやってました。それが運動のテーマでした、基本的には。だから個別的な それぞれの問題を抱えて、運動を展開してたわけであって。全共闘、新左翼というのはマスコミ用語かなっていう気もするんですよね。運動自体は個別という か、個別テーマ。個別であるのが運動の基本なんですよ。今は、そういう個別テーマの運動っていうのは……私の場合には靖国合祀反対運動なんですよ。靖国の 問題は、いろいろ考えれば戦前の日本の帝国主義支配のオトシマエをまだつけていないということなんですよ。東アジアの、韓国、台湾、中国、オキナワ。オキ ナワは私は日本とは別に考えたい。その四地域の人達を植民地支配した。そのオトシマエを彼らから突き付けられている。それを真摯に受けとめなければいけな いっていう運動を個別的には展開出来るかどうか。もうそれだけしか今ないのではないかという運動なんですよ。いずれにしても、1回デモに行った方がいいん じゃない、おもしろいから。本当に。
参加者E 若者が元気がないっていう話なんですけど、それについて思うんです。かつての全共闘世代、それよりもちょっと前でもいいと思うんですけど、その時には反体制の側に夢があったと思うんですね。
井上 でしょう。夢があったんだよ。楽しかったんだよ。
参加者E 夢というか、理論というか。つまりマルクスやレーニン、あるいは毛沢東、ああいうふうにやれば貧困とか差別とかっていう目の前に ある問題は解決されるんだと。やっぱり心ある若者は盛り上がると思うんですよ。でも、どうでしょう。レーニンとか毛沢東を信奉した人達が作った国は正直日 本よりいい国でしょうか?
井上 国単位で見るからねえ。中国は今、社会主義市場経済とかわけのわからないような社会を作ってるわけじゃないですか。悪い例をあげて、 社会主義なり共産主義、ようするにイデオロギー全体を否定するのは、私としては間違ってると思う。あのキューバ50年、今年50年だよ、革命が起きてか ら。それでなおかつベネズエラなんていう、そばにある国が社会主義が楽しい、楽しいかどうかわからないけど、やってみようかっていう地域だってあるわけ じゃない。だからね、中国とか北朝鮮とか、そういう悪い例だけを取り上げてイデオロギー全体を否定するというのは間違ってると思います。だって今、お金儲 けが楽しいというような新自由主義、そういう資本主義の当然の帰結でみんな仕事がなくなったり、貧困が問題となったりしてるけれど、そんなの当たり前のこ とでね。じゃあ、自由主義、新自由主義に未来がありますか?
参加者E いや。
井上 ないでしょう。
参加者E 現状に問題があるっていうのは、わかってるんですよ。ただ、どうしたらいいのかっていうのが、抽象的な議論ではなくて具体的な形として……
井上 そう、だから問題は個別的にやりましょうってことさ。
参加者E デモに参加したら、こういう良い社会になるっていう道筋が見えてればいいんですけども。
井上 だったら、例えば、戦前の日本の植民地支配、帝国主義支配に対して、そのオトシマエをまずつけなければいけない、というようなことを やってみましょうよ。そういうことなんだよ。個別なんだよ、問題は。ようするに全世界が一遍に、うまくいくなんてことはありえないんだよ。個別的な問題 を、そういうふうにとらえながら、それこそ連帯を求めるというようなやり方がスジだと思うんですよ。何でこんなことを私が気が付いたかというとね、台湾原 住民、このヴィデオの台湾原住民の人達は社会主義を信じるんですよ。良いか悪いかわかんない。諸々の弊害、障害、悪い所はあるにしても、その社会主義しか ないんですよ。今のところ。だから、うん、それはやっぱり信じなきゃいけない。これが常識だと私は思ってる。確信してる。
いろいろの問題が顕在化しないということ
参加者F 基本的なことを聞いていいですか。
井上 基本的なことはわかんないよ、私は。そういう学習をしたわけじゃあないから。
参加者F 全共闘世代についてなんですけど、大学生がそういうことをやってたのか、それとも学歴に関係なくいろんな人達が……
井上 ああ関係ない。全然関係なく。
参加者F 純粋にその世代の人達がやってたわけですか。あともうひとつ、学生運動の人達って卒業したらどうしちゃったんですか。
井上 方針が立たなくて、みんな散り散りバラバラになって。私達の世代はとにかく企業の歯車になって、お金を儲けちゃったよ。みんなお金 持ってるんだよ。定年間近の人達が、どうやってお金つかおうかって困ってるじゃない。今、沖縄に別荘というか第二の家を作るのが、定年の人達のあれでしょ う。そういう意味では、お金があるの、日本は。若い人達は、お金がない、仕事がない、困ってるって言うけどね、60才以上の人達はお金持ってるよ。私は別 だけどね。
参加者F 社会主義って分配するのが、お金みんなに分配するのが……
井上 分配するっていうか、例えばキューバなんか、すごくよくわかるんだけど、医療費タダ、学校タダ。そういうものはね、どんなに困ってもやらなきゃいけないの。
参加者G 今、キューバの話が出てきたんで。私、2年程前にキューバに行ってきて。私もそういう国民を、キューバ国民をちょっとみたくて、 いろいろ聞いてみたんですけども、みんな口をそろえて「共産主義は悪だ」って言うんですね。キューバの国民が。キューバが共産主義だからこんなに悪い国に なったって。アメリカに亡命する人も何人もいて。
井上 そういう人は当然いますよ。
参加者G はい。
井上 でもねえ、じゃあ、じゃあ、どうして体制が変わらないのよ? 革命が、反革命だよね。反革命がなぜ起こらないんだよ。
参加者D 北朝鮮でも起こっていませんよ。
井上 え?
参加者D 北朝鮮でも反革命は起こっていませんよ。さっき否定されていましたが。
井上 反革命?
参加者D はい。
井上 今一応体制としては社会主義でしょう。
参加者D 社会主義です。さっき否定されているようなことをおっしゃってましたが。
井上 さっき否定?
参加者D はい、何か北朝鮮は悪い社会主義だみたいな。
井上 言った? そんなこと。
場内 (笑い)
参加者D 言いましたよねえ。
井上 まあ確かに良いとは言えないけども。反革命が起きないのはさあ、今に起きますよ。
場内 (笑い)
参加者E それでさっきの話の続きなんですけど。だから若者が元気がないのは、若者の個人的な資質の問題ではなくて……
井上 もちろんですね。
参加者E 置かれた時代的状況の反映じゃないかと私は思うんです。例えば、先ほどの秋葉原の彼でも、もしちゃんとした夢とか理論とかがあっ て、そして現状についての、正しいという表現はいいかどうかわかんないですけど、合理的と言ってもおかしいかもしれないけど、何らかの方法で行動をすれば 社会はこう変わっていって、置かれた状況は変わるっていうものが彼の中にあれば、ああいう行為に走らなかったとは思うんです。
井上 そりゃそうだよ。
参加者E 私のまわりの若い人達も、私も含めてみんな元気ないです。私もデモなんか行ったことないです。みんな、世界を見ると日本が一番良 いんだって言うんですよ。この前、友人がイランに行ってきたんです。イランの治安なんてめちゃめちゃで、テヘランからペルセポリスに旅行に行けないんだそ うです。ボディガードを雇わないと行けない。日本が退屈でしかたがなくて行ったんだけど、中東の国を見てきて、いかに日本が平和かわかって帰ってきたって 言うんですね。世界を見ると、どうも日本が一番良さそうだと。だから、日本にある問題をどうやって解決したらいいのかわからない……
井上 問題はだからわからないってことさ。問題が顕在化しないってことさ。学校のシステムとかで、ようするに問題を、歴史を……。歴史の勉 強なんかみんなしてもらってないでしょう、学校で。そこなんだよ。そういうふうになったんだよ、日本の1970年以降の教育のシステムは。それにジャーナ リズムが輪をかけて、そういう歴史認識をなるべくなるべく、若い人達に持たせないようにしてきたんだもの。もう半分以上はジャーナリズムの責任、教育の責 任だよね。
参加者E 戦争に負けて、それで焼け野原になって、日本は言ってみればどうしようもない国になったわけですけども、ほんの60年くらい前 に。で、このどうしようもない国を、例えばアメリカのような豊かな国にしたい、例えばソ連のような国にしたい、いろんな考えの人が夢を持って、頑張ってた と思うんですよね。学生運動のような形、あるいは高度経済成長のような形でみんな頑張った。それは若々しい、素晴らしい時代だったと思うんです。でも、今 の日本はどうも当時とはちょっと違うような気がするんです。問題があるのはわかってるんです。不景気ですし。それをどうやったらいいのか、どこを目指して いけばいいのか。たぶん今、ソ連や中国や北朝鮮のようになりたいと思っている人はいないと思うんですね。これは右も左も関係なく。結局、みんな蛸壷の中に 入っちゃってると思うんですよね。
豊かさというのはやっぱり「搾取」の結果なんだ
井上 田中角栄とか、池田勇人。知らないでしょう、池田勇人の所得倍増論。皆さん、お金をたくさん儲けましょうっていうプロパガンダが今ま でずうっと続いてきましたよね。では、その成功の歴史、日本のお金の儲け方を考えてみようよ。確かに、日本人が勤勉でどうのこうの、それはあるでしょう。 でも、ちょっと客観的に考えれば、それは悪いことだったんだよ。どうしてか。お金って、ようするに何か悪いことをしなきゃ儲からないんだよ。 そう思わな い? そうなんだよ。我々がお金を持ってるのは、どういうことをしたからか。アジアから、アフリカから、それこそ世界のあらゆる所から、日本人が搾取し た、それ以外に考えられない。そう考えなきゃいけないと思う。我々がね、あなたがね、日本がね、豊かに見えるのはやっぱり搾取のたまものなんだよ。
参加者A 日本にお金が集まったから、発展途上国にインフラが整ったんじゃないですか?
井上 え?
参加者A 日本が発展途上国にインフラを……
井上 ないって言ってるんじゃないか。だって全然ない。整ってないよ、日本と比べりゃあ。
参加者A 日本と比べたらしょうがない。
井上 全然違うよ。
参加者A 先進国の1か所にお金が集まることで大資本が生まれて、ある一定の指向性を持ったインフラが整うんじゃないですか。
井上 途上国に? 何で。
参加者A 必要な施設ですもん、そこをお金儲けに使うからですけど。
井上 でしょう。
参加者A 結果的にはプラスに……
井上 結果的にじゃないよ。それは、ようするに日本が儲かるためにだよ。海外に投資してそれでまたお金を儲けようっていう、そういうサイクルを続けることなんだよ。
参加者A その過程で、その国の人達は生活が出来ます。
井上 でもねえ、じゃあお金はどっから来るの? 日本人の勤勉さ?
参加者A いや違います。
井上 やっぱり搾取なんだよ、それは。彼らに日本人の同じとは言わない、半分もいったか? いってないでしょう。いってしまったら日本が海外投資なんかする必要ないの。やっぱり搾取のたまものなんだよ。
参加者A だって搾取なんて人類の歴史を振り返ってみりゃあ……
井上 やっちゃいけないって、社会主義、共産主義は言ったんだよ。だから信じるに値するんだよ。
参加者A 衰退してるじゃないですか。
井上 え?
参加者A 共産主義は衰退してるじゃないですか。
井上 衰退してるなんて全然思わない。
場内 (笑い)
井上 何で? ああ、お金が儲からないことが衰退? それは間違ってるよ。そういう考えは。
参加者E まあ搾取と言ってしまえばそうなんですけど、聞きかじった話なんで専門家じゃないんですけど、資本主義っていうのは基本的に……
井上 私も専門じゃないから、その質問は本当は困るのよ。
場内 (笑い)
参加者E まあ私も詳しくは知らないですけど、資本主義っていうのは基本的には等価交換で成り立っている。で、等価交換っていうのを前提と して考えると、こっちが与えたものを向こうが受け取って、向こうが与えたものをこっちが受け取っていれば、相互的にうまくいくはずなんですけど、なぜか 我々は儲かるけど彼らは儲からないシステムになってる。ずうっと疑問で、経済学の先生に聞いてもなかなか納得いく答えがなかったんですけど。
井上 私もわかんない。いずれにせよ現実を見れば富が偏在してるわけでしょ。お金がある奴もない奴もいるわけでしょう。
参加者E で、よく考えたんですよ。等価交換を前提にして、何でこんなことが起こるんだろうと考えたら、今の私の中の結論はやっぱり壊してるっていうことなんですよ。第三世界の人達が。
井上 第三世界の人達が?
参加者E 内戦とか戦争で。先進国は、少なくとも日本は戦争をしないんで富が壊れないんですよ。会計用語で言うと火災損失とか戦災損失とか で、どんどん富が消えていくんですよ。でも、日本は戦争しないから富が蓄積されていくんです。どうも搾取の論理っていうのは、ここらへんにあるんじゃない か。つまり戦争をしてるから、いつまでたっても豊かになれないんじゃないか。この場合、内戦も含むんですけれど。
井上 アメリカなんかずっと戦争してたけど、ずっと豊かじゃない?
参加者E いや、だからアメリカは赤字で悩んでるわけですよね。
井上 最近までは儲かってたよね。それに1960年代から70年代にかけて戦争してても儲かってたじゃない。そこらへんはちょっとわかんないのよ、私。経済学者じゃないから。誰かわかる人に聞いて。
参加者E 憲法が我々の豊かさを守ってるというのが私の今の実感なんですね。
井上 憲法が?
参加者E 憲法9条が。ようするに戦争しないから富の蓄積が可能なんだろうと。
井上 まあそういうのも一理はあるでしょうね。
参加者E 等価交換を前提にして一方だけ富が蓄積されるっていうのは、やっぱり理屈としておかしいですよねえ。
参加者H 経済学の先生にお聞きになったって言いましたけれども、もう今はほとんど先生いなくなっちゃったんですけれども、マルクス主義経 済学っていうのがかつてありまして。それを認めない先生が今たくさんいらっしゃるんですよ。近代経済学と言ってね。それでその方達に「搾取」という言葉を 使ってものを聞いても相手にされない。
井上 アハハハハ。
参加者H それでつまり「剰余価値」を蓄積して、資本がどんどん大きくなっていくということを言ったのがマルクスの『資本論』なわけです よ。だから、そこのところは等価交換じゃないよ、そこから複雑な問題が生まれてくるよ、ということを言ったのがマルクス主義経済学の根底にあるわけです よ。等価交換を前提にって話になると、それは話が全然違うところにいっちゃう。
参加者I 最後に一つだけいいですか?
井上 はい、どうぞ。
テーマに確信があればお金は天から降ってくる
参加者I 政治的な問題じゃなくて、ドキュメンタリー映画の制作技法について。
井上 制作技法、ありません。
場内 (笑い)
参加者I わかります。ただ面白いこと、感動したことを人々に伝えたいから作るっておっしゃってたと思うんですけども。そうすると、もう既にそれは始まってることなんですよね。そこから切り取って、時空間を切り取ってドキュメンタリーは始まるわけですよね。
井上 うん、まあそうですよね。
参加者I そこからカメラをまわすんだけれども、予定調和で終わらないままで……
井上 予定調和で終わることはない。
参加者I つまり現場主義で、どういう方向にいくかわからないし、作ってみて初めてそれが自分が目指したものなのか?
井上 自分で目指したものなんかありません。
参加者I じゃあ、(74年までに)4本作品をNDUで作られてきたという話ですけれども、最初の面白いものが撮りたいっていうのは監督の、自身の、一人の考えで始めるわけですか?
井上 いや、最初10人くらいいたけれどね。これが面白いんじゃない、おー、それにのったって、そんな感じだよ。
参加者I 当時だと16ミリフィルムで結構しますけど、今だったらハイビジョン、HDDでいつでも誰でも出来るわけです。つまり制作会議なんか必要なく、感じる前からカメラをまわしていれば、誰でもドキュメンタリーが出来る時代なんですよ。
井上 もちろん出来ちゃう。でも逆に言えば、そういうテーマの現場に居合わせるっていうのは至難です。自分だけでは出来ません。
参加者I 今の連中は若い心を持ってないとか言うけれども、でも表現者として言うならば、実はみんなが、それぞれがドキュメンタリー映画の 監督だと思うんですよ。例えば、これから家まで帰る途中、自分を撮ったとしても今日一日の自分のドキュメンタリーじゃないですか。つまり今日ここでこう やって話し合ってみんなで考えた、それで家に持ち帰る。そこまででも一つのドキュメンタリーなんで。
井上 もちろんそうです。
参加者I もう少し積極的にドキュメンタリー映画を、気楽な感じで作れれば……それでこのような立派な先生から、ちょっと技術的なところも拝借して。
場内 (笑い)
参加者I 気楽に撮って。
井上 気楽にっていうかね、そういうものなんですよ。編集もいらないって言っちゃうけど、正しいんです。なぜか。例えば、家庭のお父ちゃん が自分の子供を撮ります。3時間撮ります。編集なんかしません。映ってるのはぜーんぶ感動的なんです。そういうもんなんだよ。感動的っていうのは。それは 人に見せるものじゃないけど、でもそれを見た親族はみんな、孫が映ってれば、子供が映ってれば感動するんだよ。嬉しいんだよ、楽しいんだよ。これなんだ。 これを社会的なテーマにすればいい、それだけなんだよ。
参加者I ドキュメンタリー宣言を今日はここでした。
井上 そう、そういうことなんだよ。逆に言えば、プロフェッショナルっていうのが必要ない。毎日、お金を稼ぐためにやるようなもんじゃない もの。そういう感動的なシーンは、いつ来るかわかんないんだからさ。職業にならない。だから職業にしないという覚悟でドキュメンタリーはやらなきゃいけな い。でも、面白いんだ。映画を一人でやっててもね、そこそこ海外へ行かなきゃいけない。私の場合、台湾に行かなきゃいけない。ちょっと来いって言われたら 行かなきゃいけないわけ。だけど、この『出草之歌』を作るまでに、私が自腹でお金を出したことはないの。このテーマはぜひ世の中に出なきゃいけないもの だ、と私は確信してた。そうするとね、お金が天から降って来るんだよ。
場内 (大笑い)
井上 本当に。このテーマ、こんな感動的なテーマは、私一人のものにしておくことは絶対ありえない。みんなに見せたい。こういう確信を持っ て、人を口説けばお金をその人がくれる。お金持ちだから。本当に。だから、そういうふうに思って、ドキュメンタリーを作る覚悟でいれば、素晴らしいものが 出来る。これが私の秘訣。大変よ。私は今だって撮影してんだから、皆さんのことを。わかるだろう? ねえ、わかってる? 撮影してんだ、私。さっきも言っ たように感動的なシーンは、いつ、どこで来るかわかんない。そのとき映像と音声が記録されていなければ、ドキュメンタリーを作るなんて言ったって話になら ない。私は今、沖縄の靖国訴訟を取材しているんだけれど、法廷内の撮影はどこでも禁止されている。でも私は法廷内で原告の人たちが証言するシーンを絶対に 記録に残さないといけない。言ってみればそれは、次の世代そしてその次の世代の人々に歴史の記録として残すというのがドキュメンタリストとしての私の役割 だと思っている。裁判所の規則だから撮影はまかりナラン、だから法廷内の映像や音声は残せない。そんなことは、それこそ歴史を正しく伝えていかないという ことに等しい行為であって絶対にあってはならない。どんなことをしてでも、映像と音声の記録を残すというのがドキュメンタリストの仕事だと思っている。私 が今この場を撮影しているということに皆さん気がつかない、それと同じように沖縄の裁判所の警備人にもまだ私が撮影していることがばれていない、だから撮 影できるんだ。私の考えるドキュメンタリーの基本のひとつは、言ってみればそういうような方法を毎回毎回考えて撮影を実行していく、ということなんですよ ね。これって、どう考えてもキャメラマンの仕事ですよね、絶対に監督や作家なんかじゃない。
司会 かなりの挑発から始まって、最後うまくドキュメンタリー風に終わった雰囲気になってきましたが、この会場を片付けなきゃいけません。 今、監督がお金が降って来るって言いましたが、その方法も含めて個人的には興味があります。隣の部屋に飲み物が用意してあります。終電まではまだ時間があ りますので、そこで時間のある方はお付き合い下さい。