plan-B 定期上映会 <山岡強一虐殺 30年 山さんプレセンテ!>
第5回 サパティスタはなぜこの世界に登場し、そしてそれはこの世界の何を変えたのか?
講演 / 太田昌国(民族問題研究、シネマテーク・インディアス)
plan-Bでのシリーズ「山さん、プレセンテ!」の第5回目、このシリーズはこれで終了し、10月の8、9日の両日に行われる「山岡強一虐殺30年 山さん、プレセンテ!」本集会へと接続してゆきます。
本シリーズは、第4回(平野良子=在日朝鮮人たちの運動との〈接点〉)を除いて、山岡さんが不在となって以降の世界の「変容」の、もし山さんが「ここにいる」なら必ず注目し、考え、行動したに違いないいくつかのこと――天皇制の変貌(天野惠一)、被曝労働の実態(なすび)、欧米を標的にしたテロルの根拠(鵜飼哲)についてお話をうかがってきた。今回は太田昌国さんをお招きして、標題のテーマをめぐって考えていきたい。
1994年1月1日、メキシコ南東部のチアパス州で先住民たちが武装蜂起した。その日は、北米自由貿易協定(NAFTA)の発効する当日であり、蜂起軍はその協定を批判し、「先住民族に対する死刑宣告にひとしい」と断じていた。けれどもそれは「奇妙な」蜂起だった。サパティスタ民族解放軍(EZLN)と名乗る蜂起軍は、たしかに警察や軍事施設に攻撃を加えたが、(臨時)革命政府の樹立を宣言したり権力奪取の行動はとらずに、中央政府に「対話」を求めたのである。
その後、ラカンドンの森に帰還したEZLNは「叛乱副司令官マルコス」の名と声で矢継ぎ早に声明を発していく。それらは、それまでの左翼の「常識」をくつがえす、驚くべき新鮮な内容の数々であり、みごとなメディア活用手腕もさることながら、その魅惑的な言いまわしによって「世界」の人びとの心に染み込むように届けられた。
今回、トークをお願いした太田さんは、サパティスタたちの言動にいちはやく注目し、細やかな紹介や分析の文章を執筆され、また編集者として数多くの書籍をまとめられてきた。また同時にボリビアの映画製作者〈ウカマウ集団〉との共同制作の映画を、このクニで自主上映もされてきた。その経験のうえで、サパティスタ出現の前後から、この「世界」の変容を語っていただく。