2016年7月23日

plan-B 定期上映会 <山岡強一虐殺 30年 山さんプレセンテ!>

第4回 在日朝鮮人の運動との<接点>をたどる
講演 / 平野良子(東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会)

シリーズ「山岡強一虐殺30年 山さんプレセンテ!」の第4回目。今年1月から始めたこのシリーズは、第1回目にいまだこのクニの「ありかた」を規定してやまない(象徴)天皇制について天野恵一さんに、3月には使い捨て労働力として除染・収束作業に狩り出される下層労働者の問題を被ばく労働を考えるネットワークのなすびさんに、そして5月には世界中でわき起こる支配層に対する抵抗闘争、ことにその<暴力>をめぐって鵜飼哲さんに話していただいた。

今回は山岡さんが運動の重要な柱のひとつとして考えていた、在日朝鮮人運動との<接点>をたどり直してみたい。
山岡さんたちが山谷で活動を再開した1979年は、韓国では釜山・馬山で民主化の大闘争が勃発し、朴正煕大統領が側近に射殺された年でもあった。そして翌年には全国の学生らが決起し、光州での蜂起へとつながってゆく…。山さんらはそれをしっかりと見据えて運動を継続していったにちがいない。現に、82年日雇全協結成後いちはやく「全泰壱(チョン・テイル)デー」の開催を提起し、その意味を「…日朝労働者の連帯を具体的に実践するために、…在日朝鮮人との共同闘争に向けて、…特に在日朝鮮下層労働者との戦線形成」とし、「自己の排外主義との闘い」であるともした。それはまた、70年代の現闘委の総括から導き出された「流動的下層労働者と被植民地人民の闘いの水路構築」というスローガンの実践でもあった。

今回の上映会では、いくつかの現場で山さんと共に闘った平野さんのお話をうかがいながら、そうした山岡さんの問題意識と行動を具体的にたどり直し、70年代以降の在日朝鮮人たちの運動との<接点>を、下層の視点からもういちど見つめてみたい。聞き手は上映委の池内文平。
映画上映は午後6時から、お話は8時くらいからです。

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