都市のこわれかた ① 

北京───「農民工」のなかから
                         孫歌(sun ge:探求者)

 

孫歌 この映画を観て私は日本を見直しました。さっき隣の部屋でこんな話をちょっとしました。今まで、正直に言いますと私は東アジアの中 で最も高く評価したのは韓国社会です。韓国社会は政治社会だ、韓国人は政治的に自分の未来を考えられる人達だと。日本社会も政治性を持ちながら、韓国には 到底かなわないと。なぜそう言っていたかというと、日本には政治運動が足りないとか、あるいは日本人ががんばっていないとかという意味じゃなくて、日本人 が政治参加によって社会環境を改善しようとする努力について、私にはそれを理解するチャンスがほとんどなかったからです。要するに、このような映画を私は 観た事がありませんでしたからです。

……与えられた思考パターン……

少し個人的な話で恐縮ですけれども、私が一回目に日本に来たのは1988年の時です。つまりこの映画がつくられてから三年後の事ですね。その三年の間には日本社会はそれほど根本的に変わったはずがないけれども、私はその時、この社会の存在を知りませんでした。
1988年は中国の天安門事件の前の年でもありました。そして翌年に天安門事件によって中国社会も根本的に変わりました。日本のメディアも、西側のメ ディアも天安門事件は民主主義の運動が弾圧された事件だというふうに一言で片付けましたけれども、実際の歴史はそれほど単純な事ではありませんでした。む しろ天安門事件をきっかけにして、中国のいわゆる市場経済が全面的に展開されまして、そしてその後、農民工という出稼ぎの農民達という人たちも大量に動き 始めました。
1988年に私が初めて日本に来た時に農民工は中国にはいませんでした。その時は貧富の差もそれほど顕著ではありませんでした。それはいわゆる改革開放 の初期の段階にあたる時期でもありまして、その改革が一番成功したのは、都市ではなくてむしろ中国の農村でした。請負制という形で農民達は何十年ぶりに、 自分の使用できるような畑が与えられまして、それで農業も何年かの間、大豊作になりました。
そして、私は日本に滞在する時期に、同じやり方で、つまり土地の使用権を、それは所有権ではなくて使用権を個人に与えるという形で、都市でもやれないか という事で中央指導部の内部で激しく対立した時期でもありました。その時の中国社会の生活レベルは基本的に低い、我々はそれほど豊かではない、近代的では ない生活をしていました。
その時、日本に来て、私は初めての外国での生活をし始めました。目にしたのは本当に豊かな、安定した日本社会。テレビを見たらそういう情報だけ。新聞を 読んだら日本はいかに豊かな生活の中でちょっとした悩みを抱えているという、そういう描き方ばっかりです。だから山谷の存在は私には夢にも思いませんでし た。
そんな時にある日、上野でホームレスの人達を見ました。そしてまわりの日本人に私はこう聞きました。「日本は豊かだと、散々言われたのに何でホームレスがいるんですか?」。
彼らはこういうふうに答えたんです。「日本はねえ、社会は豊かですから、だから働かなくても食べていけるんです。ホームレスなんだけれども、誰かから残り物をもらうとかして、なんとかやっていけますよ。彼らはねえ、いろんな理由で働きたくないだけです」と。
それを信じていいのか。
当時、私は深く考えませんでした。中国にはその時期、こういう現象はほとんどありませんでした。なかったというのは、豊かだったというわけではないで す。自由な移動がその時に許されてなかったんですから、つまり山谷現象はその時の中国では生じる条件が揃っていませんでした。
その時、なぜ日本人はそういうふうに考えているかという疑問をいだいたんです。まあ簡単に結論だけを先に言えば、それこそメディアの作り上げた考え方なん ですよね。がんばれば豊かになる、がんばらない人間はホームレスになる、という考え方です。日雇い労働者は、ホームレスではないのですが、失業してしまえ ば、そうなる可能性があります。彼らの労働条件と生活条件の厳しさについて、「かわいそう」という一言で片付けられます。それで、普通の日本人もついそう いうふうに思うようになったわけです。
だから、この山谷についての映画を観た時に、私は物凄くショックを受けました。この世界の存在自体は私も知っています。だけれども、私の知り方自体、監 督さん達の眼差しとの間にかなりギャップがあるんです。なぜかというと、このような世界を、私達は常にメディアから与えられた思考パターンで把握して考え る、そして感じるわけです。それはつまり、彼らはかわいそうな人間で、搾取されている。なぜそういうふうになっているか。まあ社会は貧富の差を作ってこう いう人達が現れた、と。しかし、いわゆる「貧富の差」はなにか、どの仕組みで再生産されているか、それについて、一向知りません。

……近代社会の基本的構造……

実は全く同じような現象が中国の90年代以後も生じました。そしてそれは日本より遥かに規模は大きいわけです。中国の農村人口は合わせて9億人に近いで すが、しかし与えられた土地はせいぜい3、4億人分くらいしかありません。だから、残りの人間は結局出稼ぎという形で都市に入り込む、そういう選択肢しか ありませんでした。
もちろん他の模索もありました。たとえば、農村で工場を作るとか、いろんな加工の産業を営むとか、それで違う問題も生じるわけです。例えば日本でよく知 られている中国の環境汚染の問題。この環境汚染の問題はどうして発生したか。各地域の労働力を吸収するために、非常に汚染度の高いような、化学工場とか、 あるいは他の加工業とか、そういう場がたくさん作られている。それで環境汚染の問題も生じるわけです。その上、グローバル化の中で先進国の資本も進出し て、自国でやりにくい汚染度の高い産業を中国に移して、汚染問題がますます深刻になります。だけれども、汚染が酷いことだと分かりながらも、なかなかそれ をなくす事は難しいんです。
つまり、なくしてしまえば失業者も出てくるわけです。そして、この映画で描かれている一つのいわゆる近代社会の基本的な構造が、中国にも存在してます。 その構造というのは、社会の富を少数の人間、あるいは少数のグループに集中するために最大限の搾取をしなければならないということです。その搾取の対象に なっているのは、山谷の日雇労働者達を始めとした下層部で生きている人間です。中国の場合には特に農民工という人達がそれにあたります。そして、その搾取 の仕組み自体はけっして政治権力、国家権力に還元できません。目に見えない形で資本と、そして暴力団、それから社会のいろんなレベルの組織、それはすべて ある種の搾取の枠組みの中で組織されています。
この『山谷』の映画は、とっても鮮やかな形で、国家と警察と暴力団と病院と、それから役所などとの、そういう共犯関係を描き出したと思います。このよう な共犯関係は中国の市場経済化のプロセスの中でも形成してしまいました。しかも山谷の労働者より中国の方は楽観的とは言えません。むしろ、合理化された資 本の力と暴力団というような明確な輪郭を持たない、いろんな形で存在している暴力的な勢力が結び付けられて、社会の底辺で生きている、あるいは生きるため の手段をほとんど持たない、貧しい人々を残酷に搾取しています。この搾取が広げていけば、国家でも、社会でも、崩れてしまう可能性があります。
日本の場合と違いまして中国は社会主義の歴史を持っておりました。それは成功したとは言えません。ある意味では社会主義のテストはうまくいかなかったか ら、今の中国は市場経済化という形で資本主義に近いようなシステムに転換しつつある、そういう段階にあたります。その転換のプロセスの中で、じゃあ昔の中 国の社会主義の要素はどのように今日の、この新しい社会システムに組み入れられるか、ということが問われるわけです。これはおそらく政権にとっても大きな 課題ですし、社会にとっても、そして普通の人間にとっても大きな課題になるわけです。

……中国の「ふたつのシステム」……

いくつかの例を上げたいと思います。農民工達は都市に入って大体、都市の人達のやりたくない仕事をします。これはほとんど日本の状況と変わらないと思い ます。彼らは短期間の訓練をうけて、技術的な要求がそれほど高くない仕事をします。たとえば、建築現場で働く農民工達はもともとは農民ですから、ほとんど 建築の技術は持ってないわけですが、短時間の訓練を受けまして、一応、そういう仕事をするわけです。リフォームの仕事も彼らはするわけです。まあ当然彼ら の技術はプロには追いつかないですから、都市の一番重要な建築作業は彼らには任せません。国の建築会社というのは長い間、国営の形で経営されていて、保障 はついている。そこで働く人達はプロの労働者なんです。農民工達はある意味では素人の労働者として雇われていて、給料も非常に低い。そして彼らは国営の会 社ではなくて個人経営の、あるいは民間資本のグループ経営の、そのような会社に雇われています。
彼らが給料を貰えないという事はしばしばあります。一年間働いて、雇い主から給料を貰えない。だからお正月の時にふるさとには戻れないです。これは、か なり一般的な現象なんです。そして抵抗しようとすればたちまちクビにされます。さっきちょっと言及したんだけれども、中国には日本と違って農村人口は膨大 にありますので、だから安い労働力はどんどん都市に入り込むわけです。で、農民工の間に競争関係ができまして、給料が上がらなくても彼らは働かなければな らない。つまり、もし抗議すればクビにされちゃって、都市に来たばかりの農民工が雇われる。そういう状況は長い間続いていたんです。
しかし1999年以後、この問題は社会的に暴露されまして、農民工も含めて各層の良心的な人達、都市の市民達も含めて一緒に抗議運動を起こしました。そして2003年、中国の新しい政権交替がありまして、農民工の待遇の問題を解決するという時期がやってきたんです。
これは日本の状況と違いまして、中央指導部から圧力をかけて上から下にこの農民工の待遇の問題を解決しようとしたんです。温家宝首相は着任して翌年に天 津で談話を発表して「首相として農民工の給料を要求します」と。つまり、雇われた農民は自分の給料を貰うべきだと。これは最低限の常識なんだけれども、一 国の総理がそういうふうにメディアで談話を発表して解決しようとする。これはどういう事なのか。
要するに中国では今二つのシステム、強いて言えば社会主義の名残り、そして資本主義のシステム、それもまだどっちもある意味では中途半端なんですけれど も、この二つの仕組みが併存して互いに交じりあって葛藤している、そういう状況の反映だと思います。だけれども、きれいな社会主義ときれいな資本主義とい うものはそもそも存在しませんので、私達は結局システムからみるんじゃなくて、状況の中でいろんな要素を判明させ、それを区別しなければならないのです。

……温鉄軍の分析……

もう一つ例を上げます。中国では農村建設運動をある意味ではずっとリードした人がいます。温鉄軍さんという、今中国人民大学の教授なんですけれども、彼は1980年代に農村改革の現場でいろいろ実験をやった方でもあります。
彼には一つの一貫した主張がありました。中国の農村改革で土地の使用権を個人に与える、これは結構です。しかし所有権は個人に与えてはいけません。国有にしておかないと危ない事になる、という。
なぜそういう話をしたかというと、彼は日本の山谷の事は知りませんけれども、南アメリカにいた時に、例えばメキシコに行ってそこで大規模なスラムを見た 事があります。その農民達は土地を持たない、だから居場所がない。大都市に入り込んで都市も私有化しているから、個人の土地に踏み込んじゃいけないから、 結局国有の鉄道のそばでスラムを作ったんです。同じ現象はインドにもあるようです。だから農民達は、土地を持たなければいかに危険な事になるかと。彼らは 結局一番危ない鉄道のそばで暮らさなければならないのです。
で、温さんは中国政府は国有という形で土地の所有権を握る事によって、全ての農民達が自分の土地の使用権を持つという最低限の権利を守ろうと強く主張しているんです。
それについて今中国で激しく論争しているんです。結論はまだ十分には出されてないですけれども、いわゆる民主主義を主張する自由主義者達は、中国の国有 はいかにひどい事か、いかに普通の人間の権利を奪っているかと批判して、全ての農民達に土地の所有権を与えるべきだと、そういうふうに強く主張しているん です。そして、温さんに対しては、政府のペットだ、政府のために働いていると批判しています。
だけれども、農民達に本当に土地を与えたらどういう現象になるか。これは温さんの分析なんだけれども、農民達には、巧みに自分の土地によって富を作れる 人達もいるし、下手な人もいるんです。土地を貰った貧しい農民達は、できる人はこの土地によっていろんな農産物を作る事を考えるんだけれども、できない人 はたちまちそれを売ってしまう。ですから、私有化になっておそらく短い間に土地は少数の人達の手に集中してしまうだろう。それで土地を失ってしまう人達は 村から出なければならない。彼らの未来を誰が保障できるか。小国だったら、人口が少ない場合だったら、それはまだ問題はひどくないけれども、中国のような 大きな農民国の中で、土地を持たない農民を多数作り出すという事は一体これはどういう事なのかと。これが温さんの論理なんです。
私は現場で働いた、あるいは調べた事はないけれども、でも経験で考えれば温さんの判断には一理あると思います。ただし、一つ問題になるのは、その土地の 所有権を国に与える場合には、国はこの所有権を正しく守れるかどうか、そこはおそらく温さんの予想を越えた問題なんです。
農民工達が90年代の初め頃に現れてもう20年近い、そういう時間が経ちました。農民工達も都市に住んでいて、慣れていて成長しました。彼らは都市の新 しい人間として今自分の居場所を作っている、そういう時期に入ってきたんです。そして『山谷』という映画の中で表現されたような農民工達の集団的な抗議活 動、自分を搾取する雇い主とのやりとり、そういう事は中国各地で増えつつあります。

……「下からの圧力」……

この映画の話に戻りますと、この映画で私が一番学んだのは、中国社会の在り方を政治的に見るという事なんです。つまり農民工達はかわいそうな人間だ、搾 取をされている、格差があるんだと、そういう一般論で中国社会と中国の農民工を見ないで、もっとこの両監督の眼差しで、農民工の実際の置かれている状況に 即して、彼らの在り方を見る。そして彼らと中国社会の関係を見る、ということなんです。
確かに中国をどう見るかというのは、問題になります。おそらく日本のメディアによって再生産されてきた中国のイメージは非常に動かない、そして単純なも のだと思います。例えば中国政治で言えば言論不自由、そして民主主義は足りない。で、人民には権利が与えられていない、と。そして独裁社会から徐々に徐々 に民主化していくと、そういう枠組みで中国社会を見ているわけです。
逆に中国の中で、農民工達を見る場合には、いかにして差別をなくすかという事はホットな話題になるわけです。特に大都市の市民は、ある微妙な難題に直面 しています。差別をなくすというスローガンによって、ある意味では自分の優位を確認するという、まあ一種の矛盾する思惟構造をも作り出しているんです。
しかし、農民を、特に農民工の在り方を見る事によって、中国社会の在り方を考えるという思考法はまだ十分にはできていないわけです。これだけの農村人口 があって、そして、かなり不安定な生活を送りながら中国社会のバランスがどうやって取れるか、こういう悩みは中央政府と民間人の間で、中身はともかくとし てほとんど一致していると思います。中国社会が安定していなければ、おそらく世界も安定しないでしょう。
そこで我々にとって、一つの政治的な課題も生じるわけです。いかにして中央部から各層の官僚機構まで政治権力を最大限に動員して、あるいは圧力をかける 事によって、それを利用して、中国の農民工の問題を解決できるか、というのですね。そのためには、「下からの圧力」はまず必要です。
去年から中央政府は圧力を受けまして新しい政策を発表しました。農民を国民にするという政策で、つまり都市の人達と同じ権利を与えることです。
これはどういう事かというと、新中国、つまり1949年以後の中国は工業化を実現するために、農村人口と都市人口を分けて、違う制度を作ったんです。農 村人口は総人口の三分の二以上、あるいは五分の四に近い、そういう多数の人達は農村人口にして、この人達は戸籍上では都市に入ってはいけない。そして都市 には労働者という階層を作りました。労働者の待遇は農民の待遇と違います。つまり、医療の保障はある程度付いている。そして生活の保障もされています。た だ、その時に都市と農村の経済的な差はそれほど大きくはありませんでした。そこから動員された経済力は全部工業化に投入されたんです。
そしていわゆる文化大革命が発生しました。これは日本でイメージされたのは非常に単純なものですけれども、中国の文化大革命はそう簡単なものではありません。
中国の工業化は文革中に完成しました。そして農村のインフラ整備も文革中に完成しました。その時、私も高校を卒業して農村に下放されました。つまり入隊 した経験があります。私もその時の農村インフラ整備の建設運動に参加しましたが、それは全部タダでやりました。給料なし、お金は一銭も貰えない。都市もほ とんど同じやり方でした。みんなタダで働いてこの国を良い国にしようとしたんです。
非常にユニークな現象でもありますけれども、中国の農村の請負という制度ができたのは1981年でした。その翌年に全国的に大豊作になりました。で、な ぜそうなったか。現象面で考えれば、個人的な積極性が出たから、と考えられるでしょうが、実はそうではありません。何年か経ってからもあれだけの豊作はあ りませんでした。なぜそれはできたかというと、あの文革の最後の時期にできたインフラ整備が、請負制度が出来たその時になって威力を発揮したんです。けれ ども、その後、個人経営になってしまってインフラ整備を続けた人間は一人もいませんでした。それで豊作もだんだんと出来なくなってしまいました。

……太陽は屈折して昇る……

それで、もう一度農村でそういう協力の枠組みを作ろうと、合作社という形で今、新農村建設運動はおこなわれています。その運動によって、打工者として都 市に出た農民達がUターンという形で農村に戻ろうとする、その動きも今あらわれました。ですから、打工者の運命もこれからは違う形で展開していくだろうと いう事も仮説としてありうるわけです。その一方、不正な扱いを受けながらも、がんばって都市で市民権を取ろうとする打工者も大勢いるんです。彼らは今でも 都市でがんばっています。
『山谷』という映画で描かれた、そういう国家と暴力団と資本と、そしていろんな社会層の差別、搾取の構造自体は中国でも、今できて、消えていないです。 その中でどのように新しい可能性を作り出せるかと、これは我々の課題でもありますし、おそらく日本の課題でもあると思います。
この『山谷』は、唯一の映画として永遠に残っていくだろうと、今、私は日本人の代わりに誇りを持って、そう思っています。だけれども、山谷での厳しい現 象はおそらく今の日本で、違う形で存在しているだろう。それは解決にはならないでしょう。この映画の最後に太陽が昇っていくんです。正直に言って私は最初 の時は不満でした。これは中国でよくいう「明るい尻尾」というものだ、と思いました。そういうむりやりに希望を与えるものなら、リアリティが足りますか、 と考えていました。
だけど、もし私がこの映画を作れば、どういう尻尾をつけるのでしょうか。結論で言えば、やはり私も太陽を昇らせようと、それしかないと、考えました。け れども、その太陽は一直線に昇ることはできないかもしれません。私達は屈折した昇り方をつくらなければならない。私はこの映画を観て最初に不満だったけれ ども、最後に納得した理由はこれなんです。これは、二人の監督さんの残してくれた大きな課題だと思います。私たちは屈折した形で、太陽を昇らせましょう。

……暴力そのものの存在……

司会 最後は力強いアジテーションで終わりました。時間はあまりないんですけれども、いまの孫歌さんのお話に質問かご意見がありましたら、二、三、受けたいと思います。
 大変素晴らしい話で物凄く嬉しかったですね。それでは、ちょっと聞きたいんですけども、『長江哀歌』っていう中国映画、去年僕は日本 で観たんですよ。それは、長江の三峡ダムの建設をめぐるもので、それこそ農民工の人達を描いたものだったんです。原題はブレヒトの辞をもじったものだった んです。で、その映像が、僕は『山谷』の映画に似てるなっていう事を強く感じて、かつそれがブレヒトの辞のもじりであるっていうところに……。実はこの映 画の音楽を担当した人達がブレヒト達と一緒にやった音楽家達の影響を受けているというので、そういうのも感銘受けたんですけども。あの映画はどういうふう にご覧になりましたか。
孫歌 申し訳ないです、私はまだ観てないです。ただ、その映画は良かったという定評を聞きました。ずうっと、DVDを探してまだ見つかっ ていないんです。その時、日本で大変尊敬された張藝謀・大監督が自分のつまらない商業映画を一斉に映画館に出して、それでその映画は排除されてしまったら しいです。だから私が観ようとした時には、もうどこにも上映していませんでした。
 今の孫歌さんの話の中で、暴力団というか、非合法的な勢力の事が出てきましたよね。日本の場合は暴力団という存在は、江戸時代から あったと思うんですけども、近代化の過程によっていろいろ彼らも変質してきていて、あんまり単純には言えないかなとは思うんですが、では中国の場合、彼ら は今どんな在り方なんでしょうか。
孫歌 これは本当に重要な問題です。中国には日本のような暴力団は存在してません。けれども闇の社会、つまり非合法的な事をするために必要とされる暴力 が存在します。日本の暴力団について私はあまり詳しくないんですけれども、非常に組織的にある特徴を持っているんですよね。中国のは暴力団というより、い ろんな形で存在している暴力そのものです。
例えば、ある村の人達が自分の土地を守るために、土地を安いお金で買って住宅を建てようとする会社と衝突する。その時、農民達は自分の土地の上でテント を建てて住み込む。そうすると、この会社は暴力団とは言えないけれども何ものかを雇って、この農民達を殴って死者も出すくらいの大事件がありました。この ような衝突は農村のあちこちで生じているんです。
農民達はその後、法律によって自分を守るという行動を取るわけです。けれども、一番考えさせられるのは、この暴力的な存在自体は非合法的でありながら裁 かれていない。ただ、警察は全部彼らを無視するわけでもない。場合によれば、この暴力を振るった人達は、ある程度処罰される。だから状況はちょっと一定し てないです。しかし、この暴力が持続するかどうか、つまり持続する事自体が暴力団の特徴なんですから、中国のそういう暴力的な勢力はどういう形で持続して いるのか、今それについての情報は私にはわかりません。けれども暴力の存在自体は確かなんです。

……農民工と労働者の差異……

 最近中国で労働者について語るのはタブーだって聞いたんです。僕はずうっと中国は労働者の国だと思っていたんですけども、どういう定 義を今してるのか。既存の枠から漏れるような労働者、例えば山谷労働者は漏れちゃうじゃないですか。農民工というのはどういう位置付けでどういう背景で労 働者として語られているのか。さっき孫歌さんの話の中で、温家宝首相が農民工の問題を解決しなければならないって言った、その時の農民工の扱いというのは どういう労働者だったのか、ちょっと聞きたいんですけども。
孫歌 毛沢東時代には、労働者と農民は二種類の人なんです。共に中国の主人公なんですが、労働者、農民と兵隊、この三者はその時の若い人 にとって、憧れの対象ではあるんだけれども、でも、労働者とか兵隊とかに、若い人達は憧れていたんです。農民になろうとする人間はあるにはあるのですが、 少ないです。
その時の労働者とは、都市で訓練を受けて技術を持っている。そして技術的な、あるいは肉体的な労働に従事する人達、それが労働者というイメージなんで す。今でもそういうプロの労働者達は存在しています。農民の場合には元々の仕事は畑仕事なんで、畑仕事のプロなんですよ。私は下放されて、そういうプロは 簡単になれないことがよく分かりました。しかし、改革開放によって彼らは都市に入ってきて、そして都市の労働者達のやらない仕事、あるいはやろうとしない 仕事をやります。例えばエアコンを付けるとか、電気屋の製品配達とか、そういう仕事はほとんど農民工がやってるんです。都市の労働者達は、例えばでかい建 物を、国家のオペラ座とかを建てるんです。そして普通のアパートの内装とかの仕事も農民工がやってるんです。アパートを建てる事も農民工はやってるんで す。そういう区別はあるんだけれども、今はだんだんとその境界線が曖昧になってきたんです。打工の人達もかなり技術を身に付けてプロの労働者になっている んです。
そこからもう一つ潜在的な差異があります。昔ながらの労働者達は都市の戸籍を持っています。しかし、彼ら打工者達は都市の戸籍を持たない人間が多数派な んです。例えば北京のような所に来た打工者達はほとんど北京の戸籍を持たないです。それはどういうことを意味するかというと、たとえば、彼らの子供は、学 校に入る時に、北京の子供より多めにお金を払わなければならない。つまり北京人ではないから。北京の学校は限られているから。
でも最近は北京の人達の努力によって、そういう差別はなくされたようです。私は小学校と付き合うチャンスはないから確認してないけど、新聞で読んで打工 者の子供達も北京の子供と平等に学校に入れるようになったと、そういうふうに報道されていました。あとは保険の問題とかいろんな問題は打工者と都市の労働 者との間に、やはり違いがあります。
(了)
(2008年3月15日 Plan-B )─見出し等は上映委がつけました。

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