☆「構造的沖縄差別」を撃つ──①
「日米安保体制」70年、その歴史と現在
トーク:池田五律(戦争に協力しない!させない!練馬アクション)
今年は、沖縄が日本に「返還」されてから50年になる。1972年当時、在日アメリカ軍基地の割合は、日本本土(ヤマト)が41.4%だったのに対し、沖縄は58.6%であった。ところが「返還」以降、ヤマトの基地は約三分の一に削減され、その結果、沖縄の割合は75%にはね上がった。これが日本政府が「本土なみ」と言い募ってきたことの実相である。
むろんこの沖縄への基地の集中化は現在でも変わっていない。それはアメリカの世界戦略に従属する日本政府の一貫した方針の現れでもあった。4年前に亡くなった新崎盛暉は、このような事態、すなわち「対米従属的日米関係の矛盾を沖縄にしわ寄せすることによって、日米関係(日米同盟)を安定させる仕組み」を、端的に「構造的沖縄差別」と喝破した。
いま、この仕組みはさらに進んで、馬毛島・奄美大島・沖縄島・宮古島・石垣島・与那国島と続く琉球弧では、ミサイル基地配備、海兵隊基地配備などが強行され、中国に対する包囲網の最前線化が目論まれている。
今回の〈ミニトーク〉では、「戦争に協力しない!させない!練馬アクション」の池田五律さんをお招きして、「沖縄返還」のさらに20年前(1952年4月28日)に発効した「日米安保条約」の〈歴史と現在〉について語っていただき、「構造的沖縄差別」の本質を考える第一弾としたい。
【池田五律さんから一言】
東京・練馬の自衛隊駐屯地に対する反基地運動の中で見えてきたこと、考えてきたことを話させていただきます。沖縄の闘いと「連帯」の名に値する首都圏での反戦反安保の闘いをどう再生していけるか、皆さんと一緒に論議できればと思っています。『山谷』、久々に観ます。楽しみにしています。