流動する集団身体

東琢磨(音楽批評)

東と申します。まず初めにお断わりしておきたいのは、僕はこの「山谷」の上映会、それから『山谷-やられたらやりかえせ』という映画に直接関わってきた わけでもありませんので、作品について直接の制作された状況とか、あるいはどういう思いで作られたのかということを代弁することは一切できないということ です。
ただ、僕は1964年生まれです。で、東京に出て来て、そして大学を中退してブラブラしている頃だったか、四谷公会堂という所で、上映会を初めて経験し て。その時は本当にすごく観客も多かったし、入口が機動隊員で固められているような状態の中で観ました。その後に僕もいろいろあって、音楽関係の仕事をす るようになって。今日、そこの入口でも売ってますけどサントラですねえ、「蠱的態」という名前の。大熊ワタルさんや篠田昌已さんと仕事を介して出会うよう になったりして。で、その過程で映画を何度か観直したりしてきました。それでその間いろいろなことがありました。実は、2005年までは僕はこのすぐ近所 の、歩いてもすぐの西新宿に20年くらい住んでたもので、このplanBという所も、二十歳前だったと思うんですけど、1980年代初めに田中泯さんのダ ンスを観に来たんですね。で、考えてみると、このplanBや、『山谷-やられたらやりかえせ』とのつきあいは、断続的にではありますが、もう二十数年間 になります。

高速バスの中のジェンダー・階級

昨年末に広島でのイベントがあった時に、上映委員会の池内さんからいきなり東京の上映会で喋れと言われて、じゃあ、これからいろんな世代が続いていく時 に直接の経験者あるいは当事者ではない僕のような人間がどのようにすれば……80年代の初めにまだ若者、若者だったですねえ当時は、今年もうじき47にな りますけど。それで、その間にどういうふうに観ているのか。今、自分は東京から広島に帰っていろいろな活動をしながら、頻繁に移動してるんですね、いろん な仕事があるんで。2005年に帰ってからほとんど毎月のようにどこかに行かないといけない。沖縄にもしょっちゅう行きますし、福岡、関西、東京にも結構 行きます。それでいろんな動き方があると思うんですが、もうほとんど夜行バス、高速バスなんですよね。
それで、もう新幹線なんか使ってられないです。ドンドン支払いも悪くなってるから。僕はずっとフリー、もう1997年からフリーでやってますんで、会社 から旅費をもらうわけでもない。どこかの大学やいろんな所からシンポジウムや講演や講義で来て下さいと言われても、まだバブルが過ぎてしばらくは、 1990年代末までは、いわゆるトッパライで、とりあえず行ったら現金でくれるっていうのだったけれど、もう今やどんどんひどくなってきていて。来て下さ いって人を呼び付けても交通費は二か月後とか、ひどい所は領収書を出さないと旅費出さないとかっていう所もいっぱいあるんで。それでは生活はできない。 で、もうほとんど高速バスを使うしかなくなって。ただ、これが面白いんですよね。どういうふうに面白いのかっていうと、新幹線とバスではあからさまにジェ ンダー、階級の違いは明確に出てくるんですよね。今でもたまに新幹線を急ぎで乗ることはありますけど、ほとんどスーツ姿の人、オヤジさん。
バスですと、若い人達ばっかり。ここ数年間を見ると、まず若い女性が圧倒的です。あとは男の子でも就活風、あるいは僕らのような人間、まああきらかにサ ラリーマンじゃない人達だったですね。ところが、この二年間くらいに急速にまず僕の、もう父はいないですけど母くらいの、70代、80代の人とか、あと スーツ姿のサラリーマンとかも増えてきて。これは、スーツ姿のサラリーマンでいえば出張経費の削減とかもあるでしょう。まあ、そういう変化もドンドン起き ているんです。
なんで、これだけ若い女性が移動しているんだろうか。いろいろ観察をしてみると、例えばディズニーランドに遊びに行くとか、USJを見に行くとか、ある いはライブの追っ掛けとかっていう女の子達も多そうなんですけど、何か違うなあと。で、ちょっといろんな人に話を聞いてみると、夜の街の労働らしいんです ね、少なくない人が。
例えば二か月間中洲で働いて、その後に夜行バスで移動をして、それで広島の流川っていう所で働いた後に、今度は大阪のミナミに流れる。あるいは名古屋の 栄町に流れるっていう人達が頻繁に移動していると。こういう人達は同時に介護職もやったりするんで、夜昼ともにいわゆるケア労働ですよね。新幹線に乗って 移動している、あるいは飛行機に乗っているサラリーマン達を夜ケアし、昼はそのサラリーマン達が置いていった両親達をケアする、そういう労働で動いている と。これはいったいどういうことが起きているんだろうって感じ始めています。

地方都市のある種の異常な状況

『山谷-やられたらやりかえせ』ではいろんな問題が提示されています。僕は何度も観てますけれど、そのたびにいろんな問題を新しく発見できます。まず大 きな問題としては雇用の問題、国家が管理していたものを闇でヤクザがやっているっていうような話だったのが、今は大っぴらに派遣業の人達ですよねえ。それ どころかテレビで、ほんとにクソくだらない政治討論みたいな番組に派遣業の会社の社長とかが出てきて、なんかわけのわからないことを言ってる。それはもと もとヤクザがやってた仕事だろうっていうことなのに、なんかすごく居丈高に言い始める。僕も実は1980年代の末から90年代の終わりまで10年間サラ リーマンをやってたことがあるんですが、その時に雇用の流動性とかっていう言い方を使い始めて。雇用の流動性がその派遣労働の方に切り替わっていくんです が。
一方で、ここ数年は講義があるんで大学生とも付き合うことも多いいんですが、フリーターというかニートというか、もうどうなっていくかわからない状況の 中で、大学生の方が雇用の流動性を確保しないといけないっていうか、お前が流動性になっちゃうだろうっていう(笑)、倒錯現象が生まれてくるんですねえ。 今そこらの問題がすごく複雑になってきています。  東京や関西などの大都市圏の大学生や若い人であれば、いろんな違う生き方を選ぼうという動きがある程度できるけれども、地方の若い人達って本当にただで さえダメなはずなのに常にマネージメントの視線しかできなくなっているっていうおそろしさがあって。体制側の考えること、権力側、資本側の考えることを、 一番切り捨てられる側があたかも管理職のように体得していかないといけない。で、すぐに言葉でガバナンスであるとかマネージメントであるとかレギュレー ションとかっていう言葉ばかりを振りかざして。だけど、その内側では自分がいつ切り捨てられるかわからないっていう恐怖の念を持って生きているんだってす ごく感じます。これはほんとに広島というような地方都市にいるとかなり深刻で、まあ東京でもたぶんそうかなと思うんですが。ただ、僕が2005年くらいま でいた時にあった東京の息苦しさは、ここ数年変わってきてるんじゃないかと。やっぱり行き着く所まで東京は来てしまって、そこで若い層の人達はなんとかも う一つ工夫をしているっていう可能性が都市部、大都市であるからあるのかなと。けれでも、じゃあ地方や地方都市はどうなんだろうかっていうことをよく考え るんですね。で、その一つの可能性として、可能性であると同時に非常に苛酷なことでもありますが、深夜バス、夜行バスで移動している、まったくカウントさ れない女性労働者達とどういうふうに接点を持ち得るんだろうかということを考えたりしています。
今、広島に帰って僕は実家で母親と二人なんですよ。それと高校生二人が下宿しているんですね。広島県って非常にでかい所で、ほとんど都市がないので広島 の山ん中や島の方からうちの近所の県立の工業高校なんですが、そこに来る子達が下宿しています。それで彼らを見ていると、もう本当に大変なんですよね。
スポーツで入って来る子も多いですから、これは近年の不況とはまた別の問題で、日本のある種すさまじい現実を見させられるんですね。スポーツで高校に入って来てレギュラーになれなかった子達とか。
一方で「山谷」の映画であったように今まではある程度みんながなんとか食い詰めても山谷に行って、それで非常に厳しい状況であってもまだ団結できる可能 性があったにもかかわらず、もうドンドン追い込まれていく。で、ドンドン追い込まれていくのが端的な形で表れたのが年間3万4千人の自殺者という数字。 ひょっとすれば山谷や釜ヶ崎や寿町に辿り着いていれば一人で死ななくてもよかったかもしれない人達が、もう年間3万4千人も死んでいる。そういう分断の状 況をどういうふうに考えるか。
ところが、じゃあその問題をどういうふうに広島の内部で考えるかっていうことを、広島の大学生と一緒に話をしようと思っても、ここでまた一つの分断が生 まれてくるのは、広島というのは原爆が落ちて、国際平和文化都市と言われて、町にも地方公共団体にも市民運動にも広島大学にもいくらでも金が落ちてくるわ けです。で、そこの広島大学の大学生達が「難民映画祭」というのをやる。へえ、それはすばらしいと思って、まあ新聞報道を読んでいたんです。ところがその 記事ですが、外務省と国連と協力して世界中の本当の難民をネットカフェ難民とか言ってる連中に教えてやるとか平気で記者会見で言ってるんですね。広島大学 と外務省と国連と共同して「難民映画祭」をやる子達というのは、自分達はそういう貧困の問題や平和の問題に関わる以上は、きちんとした地位と収入を得られ なければ関わらないって言い出してるみたいで。どういうことかというと、まあNPOもだいぶ問題はあると思いますけど、市民運動レベルでは参加しないと。 だから大学院の修士課程で国際政治学をやったり、その間でインターンで国連に行って、アメリカの大学でPh.Dを取って、それで国連職員になるというえさ をぶら下げられるわけですね。そのえさをぶら下げられて動いてる間に、もう就職もなにもドンドンなくなっていく。またそれでドンドンこじれていく。じゃあ 早めに動こうよって言っても、もう動けないんですね。先に少し話したような大学生たちが管理者の視線でしかものを考えなくなっているという話とも同じです から、東京でもそういうのがたくさんあると思うんですけれど、一方で少なくとも、僕が東京にいる時には、いろんな運動に関わってもそういう人達と付き合う ことはなかったですね。地方都市の中でのある種の異常な状態、まあこれは広島が特殊なんだろうかなあと思うんですけれども。そういうのを感じます。
そういうのをいろいろ考えている時に、何度も『山谷-やられたらやりかえせ』という映画を観ていると、発見があるんですよね。現実は何にも変わっていな いのに、それがすごくきれいらしく作られて、本質が誤魔化されていると。それでその本質を誤魔化されている時に、今日も若い人がたくさん観に来ているよう ですが、どういうふうにみえるんだろうなあと。剝き出しの暴力ではない、もっと陰湿に囲い込まれて。ところが、マスメディアや消費文化的には非常にキラキ ラしたものだけになっているから余計影が見えなくなっている。で、その影がより一層濃くなっていて、そこから目を背けるというか、もう気付かないようにし なければ、社会から外れてしまうっていう無意識の恐怖、不安のようなものがドンドン人を取り込んでいく。そういう中で、どういうことができるんだろうな あって考えています。

ベンヤミンの「流動する集団身体」

それで今日のトークのテーマというか、タイトルにした「流動する集団身体」という言葉ですが……これはヴァルター・ベンヤミンという思想家、ドイツのユ ダヤ人で1940年にナチスから逃れてフランスとスペインの国境で自殺した人です。彼が1920年代か30年代に書いた『シュールレアリズム』という論文 の中で最後の方に出てくる言葉で、いろんなふうに日本語には訳されているんですね。集合的身体とか集合身体とか。
ちょっと説明なし読んでしまうとわかりにくいかもしれませんが、ずばりのところだけ読んでみると、「集団もまた身体的である。技術の中で組織される集団 の肉体がその政治的、具体的な現実性の全てを備えた姿で生み出されるのは、あのイメージ空間……」イメージ空間とはまあ映画とかいろんなものをここでベン ヤミンは指しています。「……イメージ空間、世俗的啓示のおかげで私達が住み着くことのできるあの空間の中においてでしかありえない。世俗的啓示において 身体とイメージ空間とが深く相互浸透し、その結果、革命のあらゆる緊張が身体的、集団的な神経刺激となり、集団におけるあらゆる身体的な神経刺激が革命の 内で放電されるならば、その時初めて現実に『共産党宣言』が要求している程度にまで自分自身を乗り越えたことになる。この宣言が現在何をするよう命じてい るのか。それを把握している人間は目下のところシュールレアリスト達だけである。彼らはそれぞれに表情による黙劇を演じている、毎分ごとに60秒間ベルを 鳴らす目覚まし時計の文字盤になりかわって」こういうふうに言っているんですね。
これは、シュールレアリズムが出てきた同時代に書かれた批評です。ですから、この論文と一緒にブレヒトであるとか、あのベルトルト・ブレヒト論であると か、『複製技術の時代における芸術作品』って映画論、それも読む必要があるんですが、この集団身体、集合的な身体、それと神経刺激とはいったいどういうこ となんだろうというのを考えるんですね。  2000年代の初めに東京でいろいろモゾモゾしている時に、9・11が起きて反戦運動のようなものがひろがった時に、あのマスコミとかマスメディアの話 になると、もう全く何の意味もないと。それを非常に感じたのが9・11以降の反戦運動の広がり、特に反報復ですね。アメリカの内部から、9・11に対して ブッシュが報復する可能性があるので、もうみんなで止めてくれと。世界中のみんなが止めてくれっていうのを、まさにニューヨークのWTCの近くのイースト ヴィレッジやロアーイーストサイドのアーティスト達から真っ先に、本当にその日のうちにメールが着きだして。それに対して、まざまざと思い出すのは日本の マスメディア、大新聞の全く何の意味もなさない報道ばかり。世界的なインターネットでの反戦運動のひろがりをせいぜい後追いをするかのように報道を始める くらいなものでした。
先程、例を出した夜行バス、あるいは高速バスで移動する、国内ですとそうですよねえ。今はもう急速な勢いで始まっているようですが、そのうち成田−上海 は5,000円くらいで立ち乗りの飛行機になると言われてますよね(笑)。実は、それは1990年代の半ばでもそうでした。香港−成田−ニューヨーク便っ ていうのがあって、この中はほとんどチャイナタウンのような状態だったんです。そういうふうに非常に活発に人が移動しています。
それで、先程の『山谷-やられたらやりかえせ』の両義的な空間、あるいはまさに一つの場所で身体が集合する可能性を断ち切っている雇用システムを、一方 でインターネットであったり、インターネットを利用することで日本国内の様々な都市を労働者が個別に分断された形で、格安バスで移動するというふうにも なっています。この両義的な空間っていうのがすでにもう人々が集まれる空間ではない。
これはあるパレスチナの研究者が一つのキーワードとして言ってる「スパシオサイド」、空間殺しですね。空間を殺して人が集まれないようにする。だけれど も、一方でインターネットが全然違う人達を結びつける可能性もある。分断しながら結びつけていく。同時に、いろんな身体が動き回っている。そこで、ベンヤ ミンがシュールレアリズムや映画を観ながら1920年代から40年代にかけて、彼自身の身体や感受性や思考をふるわせていたものを、今の段階でどのように 考えることができるのか。ただ、このベンヤミンという人は圧倒的に厭世的でペシミスティックな人でしたから、今それこそ僕らももう一度徹底的に絶望するし かない。現実は本当に絶望しきっているわけですよねえ。
僕が東京に住んでいる時、この近所のよく飲みに行った飲み屋さんで、当時高校生の女の子、もう大学生か、働いているか、それとも夜の女になっているかも しれないですけど、「もう夢も希望もないよ」とか言ってました。「楽しいことはディズニーランドに行くことだけ」って言ってましたけど。そういうのをふま えた上で、もう一度何を考えることができるのか。そばにいる人もそうだし、夜行バスに乗って隣に座ってる人は何をしているんだろう、どこに行くんだろうと か。あるいはインターネットをやっていて、会ったこともない人と友達になるかもしれないけれど、意見が合う人、合わない人とか関係なく、どういうふうに対 話ができるんだろう。それを今回の「流動する集団身体」ということでちょっと言ってみたかった。

移動する人と閉じこもる人

それと移動をしている人びとが数多くいる一方で、もう全く引きこもっている人達もいるでしょう。また、移動を常に繰り返している労働者達と、労働者の中 でも移動が全くできない、本当に閉じ込められているような工場の労働者とか、あるいはショッピングモールの労働者などの、そういう人達とどうつながってい けるのか。
昨年の夏なんですけども、ちょっといろんな所に呼び出されて行かないといけなくなって、久しぶりに二十数年ぶりに青春18きっぷを買って、コトコトして たんですね。たまたま関西学院大学に講義に行った時に、伊賀上野の出身の子がいて、それで彼に伊賀上野へはどうやって行くのって訊いたら、「関西本線って いうのがあるんですよ」と。東海道本線がありますよね、名古屋からいっぺん琵琶湖の方に上がっていって、京都に下りる。それは東海道新幹線も走っているや つです。関西本線はそれができるまでに三重、名古屋から奈良、それからこの間事故のあった福知山線につながる線路だったんですね。福知山から名古屋までつ ながっている、三重や奈良の方を走るのが関西本線。今、関西線って言ってますが、東海道線に東海道新幹線が走るまでは、この関西本線が一つの大きな基幹線 路だったらしいんですね。伊賀上野は、戦国時代からある忍者の所です。その近くに、亀山城で有名な亀山という所があります。ここにはシャープの液晶の巨大 な工場があります。ほんの二、三週間前、去年の年末にその工場に行く外国人労働者が乗ったバンが事故を起こして何人か亡くなった所です。
で、そこに行ってみようと思って。尼崎から紀伊本線かな。奈良大和路線っていうのがあるんですよ。それで奈良の方を通って、奈良から関西本線に入ってい くんですけどね。亀山にしても伊賀上野にしても昔からある町だし、歴史を知っていれば聞いたことがある町です。でも、夕方通るんで時刻表を見たら奈良から それを抜けて名古屋に行くまでに5、6時間かかるんですよ。東海道線を乗るより時間がかかるんだけど、まあ行ってみようかと思って。亀山でも伊賀上野でも コンビニの一つくらいあるだろうと思って行ったんですね。
ところが単線で本当にずっと真っ暗なんです。電車一両の中にいろんな外国人が乗って来て、途中でバンっていきなり電車が止まったら「現在、小動物が衝突 しましたので、しばらくお待ち下さい」と。だんだん不安になってきて。青春18きっぷで鈍行で行くと二時間くらいです。200キロ走ると大体30分くらい 乗り換え時間があって、まあ亀山でも伊賀上野でも晩飯食えるだろうと。でも、本当になんにもないんですよ。亀山に降りてみたら、そのシャープの巨大な工場 に行くバス、労働者達を運ぶバスは駅の前に止まっているんだけど、もうなんにもない。本当になんにもなくて。これは一体どういうことなんだろうと、考えざ るをえなくなるような所で。やっぱり閉じ込められているんですよねえ。同じような例として、琵琶湖の周辺でいえば大津の方が今、工場街になっていて。で、 そこに嫁いだ中国人の女性が本当に孤立して、自分の子供と同級生の幼稚園児を殺してしまったりというような事件も起きています。それは本当に行ってみない とわからないくらい閉鎖的な空間で。

広島・シャリバリ地下大学

広島でシャリバリ地下大学という、まあ変なことをやってるんですが、そこで学長を務めている行友太郎君という人がいます。この行友君はしばらく早稲田で こっちでいろいろ運動をやって、広島に僕より先に帰って。今はある工場で働いています。彼に聞いたのかどうかはちょっとさだかではないのですが、今、瀬戸 内海周りのいろいろな工場で働いてる人達の多くは渡り職人的にいろいろの工場の期間工として働いて、全く外に出ることのないような人もいるっていう話で す。あとショッピングモールの労働者もそうですよねえ。ショッピングモールも本当に擬似的な町の中にできあがっています。ショッピングモールってたかだか スーパーの延長と思うんですよ。入っているお店はほぼ全国チェーンだったり、あるいは世界的なチェーンだったりするんで、現地採用の人もいますが、ほとん どのお店の管理職はいろんな日本中のショッピングモールを何年か単位でまわされているんですよねえ。ほとんどその町に親しむ間もなく移動していると。しば らくその町に住んで、毎朝ショッピングモールに通って、二年たったら今まで広島にいたのが今度は名古屋に行ってくれとかって移動していくそうです。一方で その下のいわゆるアルバイトの人達とか派遣社員の人達は地元ですよねえ。この構図は、今までの大手の大企業がやってきたのとほとんど同じ、あるいは国家公 務員でいうキャリアとかと全然変わらないやり方なわけですね。そういう中で、もう一度どういうふうにできればいいのかを、ここのところいろいろ移動したり して、あるいは広島の中でいろんな人と会うたびに考えます。
それで、このシャリバリ地下大学に、今、大体20人から多い時は50人くらいが来るんですけれども、まあいろんな人達が来ます。大学生も来るし、あとフ リーターとか派遣社員とか、60過ぎて反原発の運動をやっている人も来るし。我々は何もくくりをしてないし、学費も取らないし、もう誰が来てもいいよとい うふうにはしているんですが、やっぱり正規雇用をされている人は一切来ないんですよね。大学の先生は別ですが。普通にサラリーマンやってますよ、公務員 やってますよっていう人は全く来ないんです。30、40でずうっと派遣社員の人であるとか、あるいはポスドクってやつ、大学院博士課程まで出てて非常勤講 師だけで食っている人達とか。
その辺のいろんな話を聞くと、特に派遣社員を続けている人達を待ち受ける罠っていうのはすごくあるみたいで。派遣社員の人達を次の段階で搾取するのは自 己啓発セミナーなんですね。これは正規雇用の人もそうだと思うんですが。先程の外務省とか国連であるとか、あるいは防衛省とくっついた平和構築みたいなも の、平和活動を派遣社員を続けながらやっているような人も来ていて、それでいろんな話を聞くと、平和活動家のための非暴力運動の基礎になる自己啓発セミ ナーなんてのがあるんだそうです。これはでも恐ろしい話で、10日間寺に閉じ込められて罵詈雑言を浴びせられて、それに耐えるのが非暴力運動ワークショッ プだとかいって。逃げ出してきたって言ってましたけど。なんとか抜け出そう、あるいは抜け出すだけじゃなくて、ある種自己実現的に社会に関わっていこうと する人達を取り巻く罠っていうのが何重にもなっているんですよねえ。基本的な構造は『山谷-やられたらやりかえせ』の中で描かれたものと全く変わらない。 そして、一見身体的な暴力や脅しの言葉がなくて、口当たりのいい言葉を使いながら、すごく高度な次元で人を抑圧する構造がドンドン複雑化しているっていう ことなんでしょうね。

いま一度、『山谷-やられたらやりかえせ』

そこで、もう一度『山谷-やられたらやりかえせ』を観ると、いろいろ考えてちょっと複雑な気持ちになってしまいます。どういうふうにしたら、こういう形 で具体的に一つの場所でみんなが一緒にいられるのか、そしてそんな場所が今作れるのか。もしそれが徹底的につぶされているのであれば、先程言ったような実 際に移動している人、あるいは移動はできないまま閉じこもっている人、その情報を分断したままつなげているネットのようなものをどのように今使うことがで きるのか。そのネットの問題性も含めて何ができるのか。で、そういう意味で先程ちょっと読んだような集団的あるいは集合的な身体、それをもう一度連結し直 していくようなうねりを、神経刺激的なものをどのように僕らが作り得るのか。それはどのような表現であるのかっていうことですね。
この間も、1月13日に広島でこの映画を観ながら、若い人も、広島の大学生達も来てくれていろいろ話をしてきたんですけど。まず出てくる人達の、どうい う言い方をしてたか忘れましたけれど、存在感がもう全然今とは違うって言っていて。それで、それをどういうふうに感じるのかなあと。
それと、「ヒロシマ平和映画祭」というのの事務局長をやったりしたんですが、白黒、モノクロ映画自体についていけないっていう若い人も多いんですよね。 今、僕は大衆文化の批評とかをやるのである程度アニメも観ますけれども、非常に複雑にはなっているんですよね。例えばアメリカのテレビドラマの『24』と かを観ても何が何だかわからない。主人公が何の為に動いてるのかわからないのに、やたら刺激的なシーンが多くて。で、なおかつシュチュエーションだけはす ごく複雑になってる。そういうものを見慣れていると、モノクロの映像を観るとか、あるいはこの『山谷-やられたらやりかえせ』を……ああそうだ。学生が 言ってたのは「言ってること、ほとんどわからない」と。確かに音声の問題とか、ちょっと上映環境の問題もあったと思うんですが、「ほとんど言ってることは わからないんだけど、何かすごい勢いを感じる」と。で、そういったものと、今の刺激をどういうふうにつなげて考えるのか。あるいはその差異をどう考えてい くのか。そういうことが、今すごく重要なのかなあと思っています。
僕は音楽批評から最近はいろんなことをやらされて、映画や写真や演劇まで書かされたりするんですけれども、さっきのアニメの例で言えば、すごく短いスパ ンの中で大量な表現が生まれて、それをマニアックに追っていくことによって一切の歴史性に近付けないという事態が生まれていると。例えば、音楽で言えば、 いろんなリミックスのバージョンが生まれるんだけど、じゃあそれを消化するだけで、この音楽がどういうルーツがあるんだろうかっていうところにいかない。 そういう意味で、非常に歴史が排除されていく。あるいは非歴史というか脱歴史化されてくる。そこで、もう一度時間や空間や記憶や、人々のいろんな交流を、 俯瞰的ではなく上からではなく、自分が常に動きながら、あるいは立ち止まっててもいいんですけれども、どういうふうに具体的に広がりを持って見ていくこと ができるのか。今の段階では僕はそういうふうに感じています。
その辺のことも含めて今日いらしている皆さんが、僕に質問をされても何も答えられないので、むしろ皆さんが勝手に喋っていただければと思います。今日僕 がぐずぐずと喋ってきましたけれども、その為のヒントのような話をできたのなら、広島から夜行バスで来た甲斐があったかなと思っています。

[2011.1.22 planB]

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