映画で腹は膨れないが 
敵への憎悪をかきたてることはできる
                       佐藤満夫

 

  冬将軍=アブレ地獄が猛威をふるう季節が到来しました。今冬も皆さんのなかから野垂れ死ぬ方がいらっしゃるのではないかと、映画を撮影する私達は争議団とともに心を痛めております。縁起でもないことを吐きやがってとおっしゃいますな。これが寄せ場の現実であり、腐れきった社会を転覆させないかぎり避けられない我々の未来なのです。

 私は、自分の生命も他人も等しく「九牛の一毛」にすぎないと得心しております。思うにこの社会が生命を金銭で購なえたり、軽重が決められることに怒りを覚えたことがそうした不遜な考えに至る契機となったようですが、特権階級が権力を恣しいままにし、日雇労働者に野垂れ死にを強制することまで許そうとは思いません。我々は、律儀で純朴な労働者として彼等の仕打ちに返礼しなければなりません。その時、生命は、「九牛の一毛」となるわけです。

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佐藤満夫

 マンモスポリ公や金町一家の下衆は、現在のところ鳴りをひそめていますが、日雇労働者の息の根をとめるにはチャカやドスをつきつけるよりもアブレ地獄に叩き込む方がより得策だと察しているからで、厳しい寒さを歓迎しています。奴等は、ほくそ笑みつつ、この冬もまた青カン者の焚き火に水をかけ、凍死させることでしょう。

 我々は、餓死・凍死させられた無数の日雇労働者の怨念を肝に銘じて怒りを倍加させなくてはなりません。
 争議団は、来年こそ寄せ場を紅蓮の炎で包みこむべく、精進の日々を重ねています。彼等の決起が新年を革命元年とすることでしょう。私共は、しがない映画屋にすぎませんから、せめて楽しい初夢で新年を飾りたいと思います。初夢の舞台は泪橋交差点、素裸の抱き合わせにしたポリ公、ヤー公のカンカン踊りが観られるでしょう。

 ところでこの映画は、完成までに二年間の日時を要します。その間、私共は寄せ場に常駐して皆さん同様の日雇労働に従事しながら撮影をつづけます。けっして半端な気持で皆さんにカメラを向けているわけではありません。映画屋にも羞恥心がありますので偉そうな理屈は省略させて頂いて個人的な事情を述べますと、この映画に取り組むことによって、十五年つづけた稼業の垢を洗い落し、生まれ変りたいわけです。しかし、反面では下品なことをやっているという意識にとらわれているわけで、直接ポリ公、ヤー公を相手にして闘う方が気楽です。しょせん、皆さんにとって私共は他所者で目障りな存在でしょうが、寄せ場の未来を切り拓くため、現実を映像にとらえると宣言した以上、一歩も後退することは敗北を意味します。遠慮ばかりしていて皆さんとダチ公の友誼を結べないようでは、映画の内容も貧弱になってしまいます。皆さんに大胆に接して理解を得ることが大切なことを承知しています。悶着は不可避でしょうが話し合いでひとつひとつ解決していきたいと思います。

 金なし、人なし、物なしの厳しい状態にありますが、先憂後楽を信ずる他ありません。

 この映画は、資本家とその手先にこれ以上なめきった真似をさせないために活用されるわけで、奴等と共犯関係にあるブルジョワマスコミとは決定的に異なります。ですから争議団ばかりでなく皆さんの協力と援助がなければ目的を達することは不可能です。諸々の事情から被写体となることに抵抗を感じられる方もおられるでしょうが、プライバシーの保護には争議団とも協議して万全を期するつもりです。

                                                         不 尽
                                   (一九八四年十二月・映画製作に際して山谷労働者に向けたビラより)

●佐藤満夫
1947年1月19日、新潟県南魚沼町に生まれる。高校3年時に上京。当時の全共闘運動に出会い、69年東大列品館闘争で逮捕さる。その後、斉藤龍鳳等の影響を受け、映画界へ。83年「東アジア反日武装戦線・支援連」の集会で「山谷を支援する有志の会」のメンバーと出会い、対皇誠会戦下の山谷へ「有志の会」として参加。以後、83~84越冬、対西戸組戦と継続して山谷の闘いを支援の先頭で闘い抜く。84年11月、本格的に寄せ場の映画を撮るべく「マニフェスト映像」を結成。12月5日より撮影を開始。12月22日早朝、西戸組・筒井栄一の凶刃に斃れる。享年37。