2013-14山谷越年・越冬闘争

2013-14山谷越年・越冬闘争

黙って野垂れ死ぬな!   越年・越冬をともに!

中村光男(山谷争議団)

寄せ場がつぶされ、そして非正規労働者2000万人の時代に

今晩は。中村です。いま寄せ場で、山谷で活動してる人は少ないし、働いてる人もほとんどいない。私達がもう日雇い労働者として働いてきた最後の世代なん じゃないかって思っています。ドヤも百二十数軒ですかね、残ってるのが。大体5,000人前後の方がいるわけですけれど、9割以上が生活保護受給者です。 その周辺に路上にいる方がいますし、安い木造の二階建てのアパートとか、そういうのが地域に広がっているわけです。で、この映画でも示されていますけど も、被差別部落や三河島という在日の集住地区、あるいは吉原という地域があります。まだ1980年代までは沖縄の人達や、あるいはアイヌの人達や、社会的 に排除されたり差別されたり、そういう人達がこの寄せ場に仕事を求めに来ていました。それが、まあ80年代までだったかなと。
90年代に入るとバブル崩壊という、まあ失われた20年とか30年とかってよくマスコミで言われますけれど、その時代が始まって、ほぼ日雇い労働市場と しての寄せ場の機能が奪われているわけです。それまでは仕事に就くというと、手配師、仕事を紹介する手配師がいて。これはほとんどバックに暴力団がいたわ けですけども。あるいは業者が直接車で乗り付けて、その日の仕事の現場に行く。それから一か月契約とか15日契約っていう形で飯場、飯場って言うんですけ ども寄宿舎ですね。寄宿舎に入って仕事に就く。四大寄せ場とか三大寄せ場とかって言われてた訳ですけども、釜ヶ崎以外は、まだ釜ヶ崎は若干労働市場として の姿が朝見受けられますけど、ほぼ壊滅的な状態になってもう既に20年以上経つ訳です。
でも日雇い労働っていうのがなくなった訳じゃないですよ。ご存じのように非正規労働という形、あの呼び方で厚生労働省の発表で2000万人、三人に一人 が非正規労働ということになってる訳で、あらゆる形でもう食えない仕事がドンドン再生産、拡大しているのが実態だと思います。普通に考えたら三人に一人が 非正規労働ですから、もう凄い時代に来たっていう気もします。この前、厚労省が発表したブラック企業の調査っていうことで、5,000企業の8割以上がブ ラック企業であると、これ正規職ですよね。正規労働者の5,000企業のうち8割が残業代を出さないとか、いろんな形で労働者がほとんど声を上げられない 状況になっているっていうのは非正規と変わらない。労働そのものがそういう形になってるんだと思ってます。
私は個人的には1980年に初めて山谷に行ったんです。越冬闘争は81-82越冬、まだ山谷争議団に入ってなかったんですけど、その時参加したのが最初 なんです。80年に何で行ったかっていうと、たまたま私が東拘(東京拘置所)に入ってたら山谷の人がいっぱい入ってて。で、出た後暮らす場所がない。要す るに、アパート借りられないし保証人もいないし、どこで生活するんだって。そうしたら山谷っていう所があるって聞かされて、ドヤで泊まるしかないっていう ことで。それでドヤ探しに山谷に行ったのが初めての経験なんです。それから81-82越冬から数えてももう32年。その間この映画で切り取られた80年 代、83年以降ですね。中曽根政権時代か。戦後政治の総決算っていうことで、世の中は低成長時代って当時は言ってたんですけども。それとアメリカとの関係 で。都市再開発を一気にやろうっていうことで、その辺から東京の一極集中っていうか、再開発が始まって。そこの背景には、切り捨てる労働力、安い労働力を 動員して牛耳ろうっていうのが、あったんだろうと思うんですね。で、当時は、今みたいに路上に人がいるのが当たり前のような時代ではなかったんですけど も、それでも環境浄化っていうことで、ともかく路上にいる人間を山谷から叩き出せ、反抗、抵抗する勢力の山谷争議団を潰せみたいな形で、一気にくる。
記憶に残っているのは、84年の横浜の寿町で中学生が路上にいる仲間を4人、襲撃して殺してしまうという事件がありました。当時の衝撃的な時代の写し絵 といいますか、それがいまなお変わらずに続いてる訳です。中学生、高校生の路上にいる仲間への襲撃は今も絶えません。それと路上に暮らすこと自体今は困難 になってる。90年代から2000年にかけて、隅田川にはブルーテントが1,400軒くらいあったんです。今はブルーテントすら建てることが出来ない。そ ういう状況の中で、なんとか生き抜くための取り組みを続けてきたと言えるのかもしれない。
90年代に入って、バブル崩壊してもう仕事が無くなった状況の中で、ドヤから毎日のように200人、300人の労働者が、ドヤ銭を払えないためにバッグ を肩に担いで路上にドンドン出ている。そういう姿を見てきたんです。そういう労働者がどうしたら声を上げていけるのか。労働者自身がどうつながっていける のか。上からこういうことをやれば、こいつらの命を救えんじゃねえかとか、仕事を取れんじゃねえかとかっていうよりは、強いられた状況の中で労働者がどん な声を上げていけるんだろうか。自分達がもう一回声を上げながら横につながっていけるんだろうか。そういうことを、引き下がれないベースみたいなところで 考えていきたいっていうのが一つあるんだと思うんです。

山谷の労働者から突き付けられてきたこと

特に、最近は貧困と格差が拡大したってよく言われて。はっきり言うともう食える仕事がない。別に山谷に限らずに、一般地域社会の中でも食える仕事がない 訳ですよねえ。時給900円の仕事はあるかもしれない。あるいは週に三日程度の掃除の仕事とか、そういうのはあるかもしれない。だけども少なくとも非正規 労働者2000万人というように、安心して働いて暮らしていけるような、そういう仕事がほとんどないと言っていいかもしれません。で、そういう中でNPO とかいっぱい出来てます。私自身もそれに関わってはいるんです。でも端的に言うと、日比谷派遣村以降に出来たものとして第二のセイフティーネット、生活保 護以前の第二のセイフティーネットっていうことで職業訓練をして就労支援をさせようっていう、そういう取り組みは4年経って完全に失敗した、と。これは行 政の職員も明確に言ってる。仕事がないんです。最近の調査で就労支援をやってるNPOの調査をしてみると、就労支援団体の三割が一人も就職させることが出 来なかったっていう状態になっている。この15年で、特に製造業は労働力が600万人くらい減ってますし、現実にもうほとんど海外に出ちゃってますから。 今、企業優先っていうことで、まあ普通に暮らしてる人達からドンドン税金を取って、消費税が典型ですけど、企業優遇する、と。だけど、もうとっくに企業は 海外に出て中小零細はバタバタとつぶれてるんですよね。でもなおかつ中小零細企業の6割くらいは大企業の末端で、部品一つ、一個作るのに1円だったものを 30銭で作れって言われればその通り作らざるをえない。どんなに頑張って働いても中小企業主は利益も出ないし、労働者も派遣で時給800円、900円で雇 わざるをえないというのが現実なんだと思います。
世間から見たら身も蓋もないって言うか、どこに希望があるのかっていったらどこにも見えない。そういう状況の中で何が出来るんだろうかっていうことなん です。もちろん路上にいる人は路上から声を上げている。生活保護を貰ってる仲間はそこから声を上げている。あるいは、一年前から始めた被ばく労働ネット ワークっていうのを今日お手元に配りましたけども、今、原発や除染で働いている労働者もそこから声を上げていけるような条件をどうしたら作れるんだろう か。そういうことを、活気があった時代から今でもそれは変わらぬものとして私らは持っているんだ、と。私もそうでしたけど、山谷に入った時に労働者から常 に言われてたのは「お前達は好きでここ来たが、俺達は好きでここに来たんじゃない」と。「お前達は好きで来たんだろう」と。「違うだろう」ということを常 に突き付けられていた訳です。その中で自分達の役割は何なのか。これだけ特定秘密保護法とか、原発の再稼働とか、消費税、あるいは派遣労働者の改悪など、 社会の暮らしや労働や国家の仕組みまで含めて変わっている時代の中で。自分達がどこにいて、自分は何者でどんな役割を背負って生きているのか、まあ青っぽ く言えばそういうことを常に山谷に入った時から労働者に問いかけられてきたっていうのが、私らの実情だったと思うんです。

被ばく労働者は山谷で共に働いてきた仲間と同じだ

この映画のことを私はほとんど言えないんですけど、まあ映画はその一つの答え、最終解答じゃあないとは思うんですけど一つの答え方であったと思うし。 で、生き長らえてきた私達がどうそれに対して答えていくのかということで、非常に深刻な時期を迎えてるんだと思うんです。人も少ないし、仕事に就くって いってもなかなか出来ない。それでも地に這いつくばってる仲間達の中で、一緒になって団結とか仲間とかという言葉がまだ生きている。小さくてもどう声を上 げて社会に発信出来るかっていうことが、まあせいぜい私らのやれること。逆に言うと、それがない状況が一番恐いなあというような気がします。ここに来た人 達も、それぞれの、自分がどういう仕事をしてどんな社会的な位置に、自分が勝手に社会的位置を作ってる訳じゃなくて、社会の中から作られる訳ですよね。お 前は何者だっていうことで。そういう中で自分の負っていく役割みたいなものを、やっぱり凄く意識しないと生きていけない。
秘密保護法だ、原発の再稼働だ、生活保護の改悪だ、正直言ってやりきれないですよ、一つの身では。もう既に60を越えてますけど、やっぱり働かないと食 えない。私とか荒木さんなんかもずっと山谷の日雇い稼業ですから無年金なんですね。何歳になったって年金なんか出ませんし、体が動けるまでは働かないと 食っていけないんで、まあ仕事に就いてる訳ですけど。その中で、毎日のように反対反対っていう声を上げていかなきゃいけないような時に、それだけではな い、どっかでこう横につながる、抵抗する火っていうか、抵抗する基盤を、もう一回再形成していけるのか、新しく作っていけるのかっていうことを考えない と。いや相当恐い時代に来たなあというふうに思ってます。
私らは本当に力はないし金もないし人もいないんですけども、狭い山谷という空間の中で、今は絶やさずに声を上げている。そういう中で、個人的には被ばく 労働の問題や、反貧困ネットワークにも関わっています。山谷に来て共同炊事をやっている生活保護の仲間や路上の仲間の姿を見ると、私は物すごく誇りに思い ます。被ばく労働ネットとか、反貧困ネットなんかは特にそうなんですけど、当事者が胸張って何かやる姿っていうのに出会えないんです。まだまだ山谷はそう いう地だと思うんです。生活保護を受けていようが路上に生きようが、飯場で労働していようが、胸を張って仲間がいるっていうことが言える。みんなで同じ境 遇を一つのものにまとめて声を上げるエネルギーはまだ残ってると思います。もうとっくに寄せ場は労働市場としてつぶされたんだけども、活気のあった80年 代でもそうでしたけど、これは寄せ場の中で固有のものなんですよ。山谷労働者っていう抽象的な言葉、あるいは野宿者っていう言葉で言い表わせない個々の、 それぞれの人達が具体的につながりながら一緒に声を上げていく。そういうことを、それこそ山谷の壁を越えて、いろんな地域とあるいはいろんな人達とこれか らもつながることを……これは希望なんです、我々から言うと。ドヤ街に囲い込まれて、あるいは路上の中に押し込められた仲間がその壁を突き破って、様々な 方とつながって声を上げる。これが希望なんです。
被ばく労働の問題をやり始めたのも……私達の目の前を見ると、日雇い労働で今日も明日も仕事だという人はほとんどいなくなっちゃった。でも、その仕組 みっていうのは頑強に残ってるんですね。その典型的な姿を被ばく労働者の中に私達は見た訳です。最初に思ったのは同胞だっていう。彼らこそ、かつて山谷で 一緒に働いてきたのと同じ仲間だって思ったんです。ここをやれないと駄目だろう、俺達は駄目になるっていう気持ちだったんですね。残念なことに、一般の大 きな労働組合はほとんどやりませんので、廃炉で40年、50年と言ってますから、私が死んだ後もなんとか残っていくような形で作りたいなあと思ってます。

ネット求人の闇―原発労働一日15分って何だ?

山谷の映画でも観たように、仕事に就く時は必ず私達の体験では手配師がいて、業者のオヤジがいて、という形で顔の見える関係だったんです。飯場にはごう つくばりなオヤジがいるし、そういう顔の見える関係だった。ところが、被ばく労働の問題を取り組んで一番びっくりしたのは、除染も原発労働者も8割がた ネット求人で仕事に就いてます。ハローワークを活用してる人はほとんどいません。フリーっていうネット求人があるらしく、ここが一番有名なんです。そこに は業者の名前と担当者の名前と電話番号、携帯電話が書いてあるだけ。時たま賃金、条件とか書いてあります。そこから、どこの会社に雇用されるかわからなく て行くんです。いわばネット求人っていうのは労働ブローカー、手配師ですね。顔の見えない手配師です。これがネットを通じて行なわれてる。これは本当に私 は衝撃的でした。つかまえどころのない、どうしたらいいんだ。今でもわかんないんです。
例えば一か月程前に出た、そのフリーでの求人募集の内容は、福島原発で一日15分の労働、賃金は16,000円。で、名前が書いてあって携帯電話の番号 が書いてあるが、会社の名前も書いてないし所在地も書いてない。原発の中で15分の労働ってまず何なんだろう、と。今、汚染水の仕事をしている労働者は大 体一日に500マイクロシーベルトくらいの被ばくをします。それでも一日4時間から5時間は実際に体を動かして汚染水の仕事をしている。待機してても被ば くするわけですけれど、低線量でね。それで半年から一年で、被ばくの限度を超える訳です。じゃあ一日15分の仕事って何なんだろう。これがわからない訳で す。もう、例えば労働基準法であるとか、そんな世界じゃないんですね。これは、原発とか除染の仕事だけではありません。典型的な相談でこういうのがありま した。広島の40歳の労働者が、仕事が無い金が無いっていうことで福島に入って働き始めたんですが、もう耐え切れなくなって、東京に来た。それで仕事をま た探し始めるんですけど、結局福島でしか仕事が無い。で、待機する。どこで待機したかっていうと田端にあるシェアハウス。一泊800円。二段ベッドの8人 部屋。そこに待機して一か月派遣の仕事に就く。何の仕事に就いたかっていうと、紀文の工場。紀文ってあの結構有名な会社です。あそこの工場で、夜8時から 朝8時迄の12時間労働で6,800円。そこを一か月耐え切りながら、またネット求人で一万いくらかの除染の仕事に就いていったんですね。
この一年100人以上の方の相談を受けました。建前上、厚生労働省から危険手当が出るって話になってますから、なんとか危険手当を払わせることが、ほぼ 100パーセント出来たんです。まあ成果といえば成果なんですけど。始まった頃は危険手当が一銭も出ていなかった。あるいは一日1万円出てるのに二次下請 けでは一日2,000円、三次下請けは一日100円の危険手当しか出なかった。それを全員に1万円出すことはなんとか出来た。でも、今度は福島の最低賃 金っていうことで。これはもう国の、福島労働局の指導の下でゼネコンが統一して、そういう賃金体系を作ってる。で、逆に言うと原発で働く人のほうが賃金が 安いくらいになってきちゃってる。原発で今一番安い人で8,000円くらいからですから、一日の賃金。低線量被ばくなんで健康への影響が科学的に証明され ていないという現実があります。そういう中で皆さん働いてる訳です。

自己規制・利権、そして支配・排除・差別の構造の中で声を上げる

津波と原発の被害を受けた浜通り、あるいは中通りからもうちょっと奥に行った会津地方、あの地域の人達、80年代の山谷に福島出身の人が相当数いたんで す。この間、山谷のみんなと福島にフィールドワークってことで行ったんです。その報告集もお手元に配りましたけど、一番驚くのは、福島で被災した人達が、 原発や除染で働く人達の状況を何にも知らされてない。除染だと5割くらい地元の方々。原発だともう6割、7割の人が地元の方なんです。にもかかわらず福島 現地で誰も知らない。ほとんど男性です。除染現場は今、女性が結構増えてるんですけど、原発だとほとんど男性です。で、働いてる父ちゃんが母ちゃんにも 言ってない訳です。子供にも伝えてない。そういう状況の中で果たして原発で働きながら声を上げることが出来るんだろうか。家族にも言えない労働って何なん だっていう話なんですね。ほとんど労働者が、ある種自己規制せざるをえない。言ったら会社ごとに全部切られちゃうっていう中で働いてる。私は山谷でずっと 日雇いをやってきましたけども、現場に行けば「あいつら山谷だぞ」と同じ現場で働いてるのに言われる。そういうものが原発や除染っていう労働者の中にも、 福島の地元ですら作られているっていうことなんですよ。がんじがらめに、単に労働ってことじゃなくて、原発が地元で家族と住める条件だったっていうこと で。東電に対する自己規制も含めて地元には作られてるんです。当然、利権の仕組みっていうのは物すごい形で作られてます。
日常の自分達の働く場や、あるいは暮らす場にこそ、実はそんな支配の網の目があるんだと思うんですね。そういうところでも声を上げていくような力、もち ろん原発反対のデモには一生懸命参加しますし、あらゆるところで抵抗の声を上げていくんですけども。僕らにとっては、仕事や山谷のドヤ街、あるいは路上、 そこで暮らす中にこそ、支配、排除、差別の網の目がもう見える形である。そこから、仲間と一緒に小さくとも声を上げていく。そんなことを続けていきたいと 思っています。それをどうにかしてね、まあ僕らも先はそんなに長くないんで、別に山谷じゃなくたっていいんですけども、みんなで声を上げていくことが必要 なんじゃないかなって思います。
特に派遣労働とか若い人達が寄り集う場もない。本当に孤立してる。酒を呑んだり騒いだりっていうこともなかなか出来ない。一緒に汗流すってこともなかな か出来る場がないといつも聞かされています。ぜひそういう場を、今日のこういう場もある種その発信地ですけど、作っていきたい。今回の越冬もそうですけど も、夏祭りはもうちょっと楽しい雰囲気なので、みなさんに来ていただいて。どうやったら声上げられるのか、どういう、どんな声の上げ方が出来るのか、そこ らをぜひ一緒に考えていけたらいいと。こういう所でも山谷でも、あらゆる所で、そういうことをみんなで一緒に問いかけながら、いや本当に凄い時代に来てる んで、みんなで頑張りましょうってことで終わりましょう。

司会 頑張りましょうっていう話でした。デモで声を上げるとテロリストにされちゃう時代なんですけども。この冬もし時間がありましたら山谷の越冬でもう一回、中村さんの顔でも見に行って下さい。今の中村さんの話で何か、ここを聞きたいなあということがありますか。あっ、はい。
参加者A 皆さんの手元に配った山谷の転び公妨(公務執行妨害)のビラがあると思うんですが、ちょっとだけ訴えさせて下さい。山谷の映画 の中で泪橋が出て来ましたけど、あそこで3月の24日に警察官に囲まれて職務質問を受けたんですが、間を擦り抜けて通ろうとしたところ、警察官がその場で 尻餅ついて倒れた。でも普通、そんなふうには人は倒せないですよね。もう明らかに転び公妨の典型なんです。それで、134日も拘留されて40万円も罰金を 取られている。だから今、控訴しています。本人から一言だけ訴えさせて下さい。よろしくお願いします。
参加者B 特にないんですが、1月22日に裁判が行なわれますので、あのう、よろしくお願いいたします。
参加者C その裁判の中で、警察官が言った聞き捨てならないせりふがあります。山谷は低所得者で犯罪者の集まりだ。ここの人間はクズだと いうようなことを再三言いました。検察官も。証言台に立った警部補、伊藤という警部補と中井巡査部長も再三言いました。私はそれを全部聞いておりました。 それで最初はまばらだったんですが、傍聴人がとっても増えまして活気づきました。そうしたら今度は429号法廷、これ警備法廷です。ここに持っていかれま して、もう傍聴人に対して威圧です。裁判の判決も、その判決文の中で安東章裁判長も差別を重ねて言いました。山谷の人に対するこの差別、これはもう聞き捨 てなりません。そして1月22日に裁判があります。みなさんに大きな関心を持っていただきたい。あわせて応援も、どうぞよろしくお願いします。
司会 1月22日、地裁の429号? 何時からですか?
参加者C 高裁で午後3時から。
司会 ああ高裁。控訴してますよね。ということで、午後3時からあります。もし仕事の休める方はぜひ行って下さい。ええ、それから隣に忘 年会の用意をしてあります。時間のある方は、よろしかったらお残りください。そこで、中村さんや山谷争議団の荒木さんも来てますからもうすこし話を聞くこ ともできます。この映画のことでしたら僕らにどうぞ。今日はどうもありがとうございました。

(2013.12.21.PlanB 文責・山谷制作上映委員会)