杭迫隆太(竪川を支える会)
竪川での強制代執行
杭迫 今晩は杭迫といいます、よろしくお願いします。まず竪川の現状から説明しますと、2月8日に対象地に一人残った人のテントを、小屋 を除却したんです。でもその10か月後の、おそらく12月くらいまでの間にもう一回代執行が行われようとしています。今はその手続き中で、おそらくそれは 間違いない。そこで黙っているわけにもいかないということで、今、住んでいる竪川の河川敷公園多目的広場の少し上がった堤防の上の所、副堤部っていうんで すけども、そこにテントと小屋を作って電撃的に引っ越ししました。ですから、今はその対象地に残っているテントと小屋が10張りくらいと、代執行の前に、 それを逃れる形で引っ越したテントと小屋が5軒くらいあります。この間、警告書というのが副堤部に引っ越したテント小屋に貼られまして。対象地の小屋には 「いつまでに除却するので、それまでに出て行って下さい」というようなのが届きました。現在、竪川はそういう状況です。ただみんな、決して悲観的ではな く、今日も竪川カフェがあったんですけれども。みんなで力を合わせて明るくやっていますので、ぜひ皆さんも一回、今のうちにと言うとちょっと縁起は悪いん ですけども、竪川のみんなと話すような機会を持っていただけたらと思います。
司会 知らない人もいらっしゃるので、なぜこういうことが行われたかっていうことを少し話していただけませんか。
杭迫 はい。竪川、荒川、隅田川、そういう河川敷とか公園のような公有地に野宿者が劇的に増えたのは、あのバブル崩壊の頃の経済がこうド ンと落ちて、それで建築業界が冷えきって、山谷や横浜寿や高田馬場の、今もありますが寄せ場ですね、そういうところの日雇いの仕事が急に無くなってしまっ た。ようするに日銭を稼いでドヤに泊まるとか、仕事にアブレたら野宿するっていう人達の生活スタイルが、もう一気に後退したんですね。それでもう仕事が出 来なくなってしまった人が、そういう公有地にテントや小屋を張って暮らすという。だから20年くらい前からの潮流としてありまして。で、竪川もそのバブル 崩壊の頃から、20年くらい前から住んでる人、長い人で20年くらい。Aさんは20年くらい?
A オレはもう21年目に突入しました。ベンチからスタートして小屋作って。
杭迫 その人達は、20年間江東区の福祉行政からほったらかしにされていて。まあ福祉事務所の人が相談に来るなんてことはほとんどなくて、見て見ぬ振り を役所はしてきたんです。にわかに、スカイツリーが出来るとか、近くにいっぱいマンションが出来て、それなりの所得の高い人が増えたりっていうことになる と、急にそれまでは放置していたものが「出ていけ」に変わったわけですよね。それがまさに今、竪川で起こっていて。それは隅田川でも荒川でも、大きくは変 わらないんで、そういう流れが東京東部で、顕著に今あるように感じています。
A 2006年からねえ、都内でよく……みんな聞いてます? 「三千アパート」って聞いた人います?アパート事業っていうの。それがちょ うどねえ2010年頃かなあ、始まって。それからウチら竪川には、現在10人しかいませんけど、その2010年頃にはもう45くらいのテントがブワァーっ と同じところにあったの。今の渋谷も新宿もそうよ、再開発でみんな……。ウチらの竪川でも高速道路の小松川の下で工事が再開して、再開発でみんな追い出さ れて。今の状態は応援入れると12、3のテントでがんばってやってます。だから、ぜひ遊びに来てください。最寄りの駅だったら都営線で行くと西大島から明 治通りをまっすぐ高速道路に向かって左っ側にいますから。朝9時から5時までいますから。JRだったら亀戸の駅でまっすぐ。目の前が明治通りですから、 まっすぐ。真ん中に高速道路が上に通ってますから、それを目印にして、向かって明治通りの右っ側に銀行がありますから。そこの一か所だけウチら唯一の門だ から。もう夕方にはみんな閉められちゃう。ぜひ、あの暇があったら竪川に一度遊びに来てください。いつでも待ってますから。オレ自身がいますから、毎日の ように。
杭迫 亀戸と西大島の間にある高速道路の高架下にある竪川で、最初に工事の計画が上がったのが2006年で。その工事計画はいったん野宿 者や支援者、活動家の、そういった反対もありまして一回立ち消えになるんですけども、また三年前からかなり激しい追い出しが始まって。そこでは、「三千ア パート」の、なんていうか焼直しみたいなものだったりとか。あとは緊急一時保護センターとか自立支援センターとか、そういう所に入れっていう。また、それ までは一切認めてこなかった生活保護の制度を使って「そこからどいてくれ」と、そういうことを言い始めたわけですよね。Aさんがいっぱい言ってくれました し、竪川の感じはこんな感じで。
移動した所にもフェンスが
そもそも私がどう関わってきたかっていうことを話しますと……この去年の夏頃から、江東区がどうあっても追い出す気だなっていうような空気がすごく出て きたんですね。それまで竪川に住んでいるみんなは、江東区が「ここ今度工事するから、そこどいて」って言われたら「ハイ」って言ってどいて、「こっち工事 する」って言ったらまたどくってことを繰り返してきたんですね。それで、五の橋のすぐ下に引っ越したわけなんですけど。その頃から、もう話し合いのテーブ ルに着くことをしなくなり始めたんですね。これはいよいよおかしいなっていうことで、話し合いをして解決しなさいっていうことを、私たち野宿者、支援者有 志で江東区に訴えてきたんですけれども、ついに去年の12月に、最初の行政代執行の手続きを区が始めて。それで、2月の8日に一軒だけ残ってた高齢のSさ んっていう人の小屋を全部除却して強制的に撤去しました。何で1軒だけ残ってたかというと、Sさんはすごく人に頼るのが嫌いな性分で。他のみんなはSさん の小屋がやられちゃう前に、すぐ近くの今いる所に引っ越したんです。そこはもう工事も終わっていて、行政代執行の対象地でもないので文句はつけられないだ ろうと。そういうことで引っ越した所に今みんな住んでいるんですが、今度はそこがやられてるっていうことですね。その2月8日の行政代執行の前に引っ越し た所の多目的広場が1月27日にフェンスで囲われてしまうんです。
竪川河川敷公園は細長い公園で、自転車の抜け道みたいな感じでひんぱんに使われてたんですけども、そこを使えなくして。それで「危険な野宿者がいるから ここは通さない」みたいなことを区が言い出して。その時に来たのが100人から150人くらいの警備員、区の職員、あと何もしないで見てる警官ですね。そ れを僕は目の当たりにして、これはもう、本当にもう多勢に無勢で好き放題やられてしまうなっていうふうに考えて。誰もが携帯電話とかパソコンで「こんなこ とが起きてます」って発信出来るわけでもないでしょう。僕はその時、御徒町のアパートに住んでたんで、家もそんなに離れてないし、泊まれる時はここに泊 まって、野宿者の人と一緒にテントに寝泊りして、誰も見てないところでやられちゃうってことがないようにと思って、Aさん達と一緒に暮らし始めました。今 は、ちょっと体を壊しまして竪川にずっといるわけではないんですけども、また代執行の目論見がこうあらわになってからはなるべく現地に行ってみんなと一緒 にいるようにしています。
非正規労働者となって山谷へ
私は、もともとは広告代理店で働く、普通のそういう賃労働をしてたんですけども体を壊して。大変な仕事だったんで、一回入院したあとはその仕事を続けら れなかったんですね。その後は塾の先生とか予備校の先生とかしながら、ようするに非正規で食べてきたんです。でも本当に2005、6年あたりからもう食べ られなくなってきて。教育の現場の非正規の賃金っていうのはすごく足元見られて、たたかれ始めたんですね。もう一番良い時の半分以下くらいの給料で働くこ とになっていて。それまでは運動とか労働問題とかと全く無縁だったんですけれども、こんな世の中はおかしいなっていうことにその時ようやく思い始めたんで す。2008年のリーマンショックの時に、非正規でも誰でも入れるっていう労働組合に初めて入って。そして、その年の暮に派遣村、あの日比谷公園の年越し 派遣村がありましたが、そこに僕はボランティアで行ってたんですね。そこで会った人達、たくさん野宿の人達が日比谷公園に集まって来てたんですよね。その 山谷とか東京の各地で活動している野宿者運動の人達とも接点が出来て。私は一応労働組合には入ってはいるんですけれども、本当に大変な思いをしている人達 のために何か出来ないかなっていうことで、だんだん山谷に足を運ぶようになりました。
で、その派遣村のことを話しますと、とても大きな出来事だったと思うんですが、まああれだけ大きな出来事が起きて、その年の8月には政権交替も起きると いう大きな流れがあったのに、全然世の中は良くなっていない。特に野宿の現場なんか見るともうどんどん、どんどんひどくなっているっていうのが現状なん で。派遣村がどうこうっていうんじゃあないんですけども、あれだけのことをやっても全然世の中は良くならないんだなっていう失望みたいなものを今でも感じ ているんですが。それでもまあ、いくつか良いこともあって、その一つに生活保護の……。生活保護って本当に受けられない、一人で行っても門前払いされる、 水際作戦とか硫黄島作戦とか言いますけども。ちゃんとやったら絶対申請は出来て、ちゃんと審査して決定するかしないかっていうことをするはずなのに、その 申請すらさせてもらえない。そういう違法な運用がされてきたんですけども、派遣村の直前から粘り強くやっていた「もやい」の人達とかの活動の積み重ねも あって、派遣村の後は誰か一人でもそういう詳しい人とか手伝い出来る人が一緒に行けば、野宿の人でも生活保護は断られないっていう、新しいスタンダードは 出来たかなって思ってるんですね。
路上に居続けて闘うこと
私は隅田川医療相談会の現場で、そういう生活保護の申請の手伝いをしに役所に一緒に行ったりとか、体が悪い人と一緒に病院に行ったりとかを主にやってた んですが、何でテントに住んでそこで一緒に生活して行政と闘うみたいなことを始めたかというと、さっきも言ったように生活保護は本来だったら生存権を担保 する制度ですから、誰でも困ってる人だったら受けられるものでなければいけないのに、とってもそうはなっていないし。たとえ生活保護申請してそれが通った ところで、受給してる人がずいぶん暮らし辛いっていう状況がありますよね。いろんなバッシングとかにもあいますし、今の竪川の現場もまさにそうなんですけ れども、野宿している時にあったつながりというのが断たれてしまって、急に老け込んじゃったりとか。場合によってはもう孤独死みたいなことになってたりと か、たくさんの人の相談にのってきたので、そんなことも少なくなかったんです。
そういうふうなことを考えると……生活保護を受けてもそんなに幸せな状況ではない。かといってじゃあ生活保護をやめてちゃんと仕事に就こうと思っても、 今の雇用の冷込みをみると、本当に目を覆うような状況がずっと続いていて。もうそれに対して福祉政策って本当にひどいんですよね。じゃあこの人達をどうす るのって。「仕事しろしろ」って言うけれど、その仕事がどこにあるのっていう状況で。結局それは企業任せになると思うんですけれども。でも、企業や資本家 がやることっていうのは、まあせいぜい雇用のパイを増やすことを口実に、非正規雇用とか不安定雇用を認めろみたいな、そういうことだと思うんですよね。
だから、こうどんどん社会は悪い方に悪い方にいってしまった時に、路上にいて闘うことの重要性って今すごく大切になってきてるんじゃないかなと思うんで すよ。20年もそこに暮らしていて、ほったらかしにされてきた人が、今さら生活保護なんか受けられるかっていうような、そういうまあ心意気というか気概み たいなものももちろんありますし。かといってもう本当にしんどいから生活保護を申請して医療につながってというようなことも全然否定しないし。そういった お手伝いを今もしています。
申請してもどうなるものでもないんだとしたら、もうそこに居座ってそこで生きることを追求するっていうのは、決してない選択じゃないと思うんですよね。 そこにはだって仲間がいて、ちゃんと仕事がある。Aさんだってちゃんと労働はしてる労働者ですから。あそこの竪川にいるみんなは本当に働き者です。そこに 仲間がいて仕事があるのに、なんでそれを捨てて生活保護にいかなければいけないのかっていう思いはどこかにあります。どこにも行き場がない人が、せめてそ こに居る権利というのは絶対に認められなければいけないし。それはおそらくヨーロッパなんかでは認められてるようなケースもたくさんあるんじゃないです か。そこらへんを僕ももっと勉強していきたいなあと思っています。
ですから、僕の運動のスタイルとしては、路上にいることはもう生存権の危機なんだからなにがなんでも生活保護につなげなきゃっていうものではなくなって きていて。これからも、どんどん仕事を失って生活保護もどんどんケタオチになっていく。そういう中で路上に居続けることを主張する意味というものを、今ま さに竪川の闘いというのが体現してるんじゃないかと思うんですね。ですからぜひ、その場所を、あそこがやられちゃう前に、みんなに見ておいて欲しい。決し て最後まであきらめない。けれど代執行はもうこのままだと確実にされちゃうんですね。その前にぜひ、みんなの話を聞いて欲しいなあと思います。
今、竪川では、Aさんが言いましたけれども、朝8時に寄り合いがあって、寄り合いが終わったら今日は見張りが誰とか、食事の当番が誰とかを決めます。そ れで、12時頃に昼飯を食べて、4時から4時半くらいに食事の準備を始めて。それから、ご飯を食べ、まあ食べ終わったら寄り合いを、夜の寄り合いをやると いう感じです。みんなで話し合って、支援者も野宿当事者も分け隔てなく意見を出しあってやっています。ですから9時から5時の間だったら、何かしらそこに はみなさんが見付けられるものがありますし、誰か話相手になる人もいますので、ぜひみなさん足を運んでください。
竪川の現場から――Aさんの話
司会 それでは質問などがありましたら、またそれでちょっと話を展開していきたいと思います。竪川のことだけに限らずに、映画の内容についてでも、あと現在の山谷の状況とか、そういうことでも構いません。今関係している方も来ていらっしゃいますので。はい。
B 自己紹介からしますと、三多摩で、立川で野宿者の支援活動をやってるBといいます。私は主に野宿者の人達を生活保護につなげたりと か、レストハウス、サンキューハウスというのを立ち上げてまして。そこでいろいろと支援活動をやっている者です。映画の「やられてらやりかえせ」の感想な んですけども、ものすごい労務支配の中、敵がよくわかるわけですね。相手がピンハネする手配師のヤクザだったり、また警察官、機動隊も闘う労働者に対して 弾圧する。そういった中で粘り強く労働者が闘っていくっていうね。今日深く思ったのは、在日朝鮮人や被差別部落の人達が歴史的な流れの中で、何でそういう ふうに下層につかざるをえないのか、そういった状況が作られてきたのか。そこに自分なんかはものすごくひかれるっていうか、興味をもちました。現在はって いうと、杭迫さんが言われたように日雇い労働者の求人も少なくなってる。山谷でもものすごく少なくなってる。80年、90年通じて、バブルの崩壊から始 まった流れの中で建築土木、ゼネコンもそうだけども、どんどん縮小されて求人が減り、アブレていく人達が増えていった。で、今の状況ですね。どういうこと が竪川でおこなわれているか。野宿をしている人達がどういう生活をしているか。当事者のAさんが来られているようですから言ってもらえますか。
A ウチの竪川の仲間、大体5人、6人くらいがアルミ缶と新聞集めで生計をたててます。あとは山谷での日雇いでどうにか、その日その日 を……。その中で代執行、これで二度目ですね。今年の2月にやられて。で、来月に入れば3枚目の通知が必ず来ます。オレが思うには、11月の半ばにはもう 代執行の予定じゃないかと。今このビラ配りましたね。11月の7日にデモをやりますから、ぜひ応援に来てください。その後どうなるかは来月になってみない とわかんないです。今は様子見です。もうみんなすごく疲れてるから、明日はゆっくり休もうってことで。明日の午前中はゆっくりしましょうっていうことを いってます。今は、それくらいかな。来週になったらウチらも考えることで。以上ですね。
B 竪川ではヤクザと対立しているっていうことは?
杭迫 対峙しているのは、江東区ですよね。
B 江東区、行政が差別をあおっているっていう。例えば、今日の映画の山谷ではマンモスポリだとか警察官が山谷の労働者をものすごく差別 的に扱う。そして、多くの商店もそういうふうに差別的に扱うじゃないですか、労働者を。竪川の行政も同じようなことをしてるんじゃないか。寝泊りしてい る、野宿している人に対して、人として認めてない。ようするに不法占拠をしている、どうしようもない人達なんだっていうふうに区民に対して告知していま す。で、そのあおりを受けて、少年達が夜な夜な襲撃をしたり、嫌がらせ、いたずらをしたりする。大人がやるような構図を子供がやるような構造が起きてい る。
A オレらが住んでいるところの反対側の学校、中学校があるんだけど、オレの目の前で5、6人がテントに火をワアーと投げてくるわけ。当 たる寸前ですよ、本当に。人権問題にするべえって言って、役所に行ってみんな声を合わせましたよ。それで、学校の校長と教育のあれに謝らせましたよ。それ が今の現状。
司会 Aさん、ありがとうございました。それから、杭迫さんの方からもう一言。
現地に行けない者のいろいろな闘い方
杭迫 中学生などの襲撃問題は、まさに警察や区の職員が当事者にやっていることを真似してるようなところがあって、これすごく問題です。 あと地域の人にどう受けとめられるかっていうと、必ずしも歓迎はされていないんだなあっていうのは思います。そういうのが子供達の襲撃にもつながるし。何 が辛いかっていうと、大体の人があんまり良く思っていないんですね。敏感なのは区議なんですよね。区議は、例えば人権を大事にするっていつも言ってる政党 でも、誰でも生きる権利があって、野宿を余儀なくされてる人にもちゃんと住む権利があるということを、そこで絶対に言わない。そこで投票する人達が野宿者 のことをよく思ってないから、当然その人達に受けのいいことを言うんですね。だから、陳情とか、訴えて何かを変えるっていう、そういう政治的なことは本当 に出来ないなあって感じますね。
C 映画のことなんですけど、最後のシーン、ちょっとわからなかったんですけど。手配師の人に謝らせたりしてる。あれは何でそうなったんですか。
「山谷」上映委員 一番最後の「ほら謝れ」みたいにやったやつね。あれは手配師なんだけどもヤクザですね。義人党というヤクザ。映画の中で出てきた西戸 組とは違うんですが。「賭場のなんとかだろう」みたいな会話があったと思うんですけども、完全なヤクザです。見えてないけれども耳が片っぽないですね。指 も切ってこっちもないですね。そういうヤクザがこの映画の中に何人か出てきてますが、そこで手配師を束ねてそこから更にピンハネして組織を作り始めたとい う。彼はその一人なんです。ですから、「オマエわかってるだろう」とありましたが、山谷の労働者はみんな顔を知ってますから。そいつだっていうのがわかっ てますから、「じゃあ謝れ」っていうふうになってたわけですね。
D すいません。その行政代執行が迫ってるってことなんですけども。今、Aさんや杭迫さんが現地にぜひ一度見に来てくださいって言われた んですけど。実際に行政代執行が迫ってきて、当日たぶん平日とかに来ると思うんです。で、その占拠闘争というか、オキュペイションしている人達が闘うって いう実力闘争もあると思うんです。その時の現地での行政の警備員や警察との闘い方、そのレベル、ハードルですね。なんて言うんだろうな、参加の仕方という か支援というか、いろいろな闘い方法があるんでしょうか。
杭迫 例えば、区に抗議のファックスとか電話をじゃんじゃんやるっていう。あとは、いつでもそうなんですけども、物資とかカンパはすごく助かりますよね。
A 小さなテントでも、一人でも入れるようなテントがあったら、それでいらないものがあったら山谷争議団に送ってください。すごく竪川では役にたちますから。よろしくお願いします。
杭迫 とにかく大事なのは情報発信。僕もツイッターとフェイスブックをやってます。影響力のある人が一言ツイートしてくれるだけで、もの すごいたくさんの人が来てくれる。今日のこの上映会も、たぶんそういうものを見て来てくれた人もいるんじゃないのかと思うんです。そういったことも本当に 力になります。あと現場で、例えば、今まさにそこでやられてるっていう時に、どうしていいかわかんないっていう人もいると思うんです。誰も見てないところ でやられるっていうのは本当にもう何と言うか、無力感を感じるところもあるので、せめて、そのやられるところを見てるだけでもいいです。こいつらはこうい うことをやるんだっていうのを刻んでいただけたら、それだけでもすごく大切なことなんじゃないかと思います。
篠田昌已と南條直子――「星空音楽会」と「山谷への回廊」
司会 そうですね、確かにそれは大きい。見てるだけでも、彼らはその弾圧の仕方を、たとえ少しかもしれませんが変えるかもしれません。それでは、他にありませんでしたら宣伝を二つ。
杭迫 今日の映画の音楽を手がけていた篠田昌已さん、サックス奏者です。この方は本当に早く1992年ですか、44歳で亡くなってるんで すねえ。で、その人を偲んで、篠田さんが組んでいたバンドの名前のコンポステラを店の名前にしたのが綾瀬にあるんですね。綾瀬から歩いて10分くらいなん ですけれども。ここで11月5日に篠田昌已さんと組んでいた、コンポステラというバンドで組んでいた関島さんというテューバの有名なプレーヤーがいらっ しゃいます。その関島岳郎さんが来てコンサートをやります。僕も絶対行こうと思ってるんですけれども。11月5日の7時にオープンで7時半から開演、 チャージ2,000円です。この「星空音楽会」はとてもいい、特別な夜になると思いますので、ぜひみなさん来てください。チラシも持って来ましたので、帰 りに持っていってください。それとあと、「週刊金曜日」の最新号に竪川のことを書きましたので、そんなに大きくじゃないですけれども、写真と文章が載って ますので、よかったら立ち読みしてください。よろしくお願いします。
織田 すいません、早く呑みたい方もいるかなと思うんですけれども、ひとつ宣伝をさせてください。この写真集(『山谷への回廊』)、5月 に出版をしたんです。実はこの「山谷」の映画が撮られているのと同時平行で、南條直子さんという女性のカメラマンがドヤに住んで、ずっとこの時期の山谷を 撮っていたんですね。本の中に山岡さんとかが写っていますけれど、ちょうどこの南條直子さんが撮っていて。で、その頃の写真を30年経って私がまとめたも のです。8月にイラクで山本美香さんが亡くなりましたが、一緒にやっていたジャパンプレスの佐藤さんという方、その人とちょうど同時期にアフガニスタンに 入っていた女性です。実は、彼女は1988年にアフガニスタンで地雷を踏んで、33歳で亡くなっています。その彼女が6年間撮っていた山谷の写真です。ほ とんど世には出ていないものなので、大変貴重な写真がこの中に入っています。今日の映画を観にこられた方なんかは、すごく興味をもって写真を見ていただけ るかなと思うので。出口のほうに何冊か置いてありますので、興味ある方はぜひ。この後の交流会でもいっぱい話しをしたいと思いますので、よろしくお願いし ます。2,500円です。写真集としては大変安いです、はい。
司会 今日はどうもありがとうございました。ただ、まだ時間があります。といいますのは、このあと打ち上げを用意してるんで。まだちょっと聞きたりない、話たりないなあという人で、時間のある方は隣の部屋にお移りください。お酒も用意してあります。
[2012/10/27 plan-B 責任編集・山谷制作上映委員会]