働く権利から見たパレスチナ問題

田浪亜央江(大学非常勤講師)

どうも今晩は、田浪と申します。私は学生時代からパレスチナ問題に関わっていて、それで今日この場でお話をさせて頂くことになりました。「働く権利から 見たパレスチナ問題」というテーマを選んだのは、日本社会で過去何十年のことを考えても、これだけ働くこととか労働問題が語られるようになったことはない と思うからです。昨年のイスラエルによるガザ侵攻は、ちょうど年末でしたが、それ以前からガザは封鎖されていて、普通の暮らしが成り立っていない。日本で も「派遣村」ができたりとか、いろいろ福祉や行政の窓口が閉まった時期ということで、すごく厳しい時期と重なったこともあって、私の周辺でもガザのああい う状況と自分の状況を重ね合わせて話をする人も出てきたっていうのもあります。レジュメの最初のところで「日本雇用環境と、ガザ150万住民の『雇い止 め』」という言葉を書きましたけれど、これはこの間のイスラエルによるガザ侵攻の反対運動をやってるなかで誰かが言っていた言葉です。いまの日本社会の状 況と対比して、ガザの150万人があの狭い地区に押し込められていて、そこで彼らは仕事ができない状況にずうっといた。この攻撃が始まる前から、そういう 状況になっていたわけです。
いままで私は日本っていう、わりと経済的にも豊かで恵まれた立場にいる人間が、同じ立場であるかのようにパレスチナ問題とかパレスチナ難民のことを代弁し ているかのように話すのは、あんまり好きじゃなかったんです。でもいま、そういうふうに重ね合わせてみることがすごくリアルな問題で。それはわざと目線を 下げているとか、難民になったつもりになるとか、そういうこととは全然違って、現実問題としてもう一度いまの日本社会の問題とパレスチナの状況を重ね合わ せて考えることが切実なことだと思ったからです。
それから私の個人的な経験なんですけど、春で辞めたんですけども、この二年間契約職員として働いていたんです。そこで正規の職員との間で差別的な扱われ 方をしたっていう経験があります。私自身はアラビア語ができて、一応中東専門家みたいな立場で雇われたという、ちょっとプライドもあったんですけども、そ ういう自分の専門性を活かせるとか、自己実現とかといった、労働に託すちっぽけな思いっていうのが無惨に裏切られるような。夜中まで毎日残業しても残業代 が出ないとか。これだけ頑張ってやっても、契約なので三年経てばハイサヨウナラっていうことで、働く意味をすごく考える機会になったんですね。私自身の経 験ではないですが、職場の中で正規の職員と派遣労働者の立場が違うということで、階級っていうのか、やっぱり全然違うわけですよね。そういうありようを見 て、私自身もう一度イスラエルとパレスチナの問題を日本の環境の中で考えるきっかけとなったということがあります。
イスラエルの建国を支えたイデオロギーということでレジュメに入れたんですけれども「労働を通じて自立し他者と対等な関係をもつという理想」という言葉 があります。やっぱり働く時の倫理とか理想っていうものをもたないと、なかなか人間っていうのは働けないわけです。だけれど同時に、実際は労働のなかで他 者を支配するという現実があります。この言葉は一般的な労働のありようということで書いたので、個別にイスラエルの状況から考えると少し不正確かもしれな いですけれども。何でイスラエルの中でこういうことが起こっちゃったのかということを少し問題提起したいと思います。
イスラエルっていう国は――。まずヨーロッパの中で差別されてきたユダヤ人、特に農業、土地のなかで生きることはできなくて、金融業に代表されるような 特定の職業にしか就けなかったユダヤ人、まあユダヤ教徒ですけれども、彼らが働くことを通じて自分たちの社会を築いていく、自分たちの解放をかちとってい くと。ヨーロッパ社会の中で、「寄生虫」という表現が使われていましたけれども、そうではなくて、土地を獲得して働く、一生懸命土地を耕作することを通じ て自分たちの自立した社会をつくっていくという。簡単に言うと、そういうイデオロギーによってつくられた国なわけです。で、それ自体はすごく美しい理念で あったわけです。そもそもはパレスチナにいるパレスチナ人を排除したり追い出したり殺したりすることを目的にしていたわけじゃなくて、あくまで差別されて きたユダヤ人である彼ら自身が自ら働くことを通じて自分たちの社会をつくっていこうという、まあまっとうな一つの理想だったわけです。それがいまのような 状況を生みだしている場所になってしまっている。
それぞれの人間はそういう理想に燃えていたけれども、実際にはパレスチナ人の排除に繋がってしまった。それはもうしょうがない、人間それぞれの理念、理 想と、それから生みだされてしまった不幸な現実とのギャップ。というところで、問題がぼかされてしまっているというか。責任者も見えないし、そうやってし かたがないことだったという話になってしまうわけですよね。イスラエルの中で、こういう言い方は普通にあるわけです。ただ調べてみると、確かにユダヤ人の それぞれの労働者が主観的に理想に燃えていたことは事実だとしても、そもそもそうした理念そのものにちょっと嘘があったというか。
イスラエル建国以前に、パレスチナにはユダヤ人労働総同盟という労働者を組織する一種の組合みたいなものができるわけですけれども、そこでもうすでにヘ ブライ労働という方針ができています。最初は当然現地のパレスチナ人も雇い入れなきゃいけない。で、一緒に働いていくと、現地のパレスチナ人はユダヤ人よ りも安い給料でも働くわけです。長時間労働も厭わない。ユダヤ人は労働力として競争に負けてしまうからアラブ人ばかり雇われるようになる。そうすると、 せっかくパレスチナの地にユダヤ人が移民してきても何の意味もないわけで。それでアラブ人労働は排除して、ユダヤ人労働、ヘブライ労働という言い方で、ユ ダヤ人しか雇わない、アラブ人とユダヤ人の労働を分けるということがずっと進められたわけです。
建国の理念は社会主義シオニズムということで、社会主義と言われるとなんとなくいいイメージがあって。社会主義に基づく理念であったイスラエルの建国当 時の理想が、どうしていまのような社会をつくってしまったのか、みたいな言い方になりかねないんですけれども。そうじゃなくて、社会主義シオニズムの当初 からパレスチナ人の労働力は排除して、ユダヤ人だけが土地を持ち、生産手段を持ち、労働を支配する。そういう理念が最初からつくられていたわけです。
そうやってできたイスラエルですが、簡単に建国後の話をしますと――これはレジュメの右側に書いてある表をざっと見て頂きたいんですけれども。占領地と 書きましたが、ここではおもにガザの話です。ガザは最初エジプトの占領下にしばらくあったわけですが、UNRWAという国連の機関に雇われるパレスチナ人 はいました。あとはエジプト政府からパスポートを取って湾岸諸国とか海外に出稼ぎに行くパレスチナ人もいました。それが1967年にイスラエルがガザ地区 それから西岸地区を全部占領してしまう。それで建国の理念はユダヤ人労働、ヘブライ労働だったにも関わらず、ここで一気に政策を転換して、占領地のパレス チナ人をイスラエル国内に入れていくわけです。イスラエル国内だから、ユダヤ人よりは賃金が安いにしても、占領地にいるパレスチナ人からみるとすごく良い 条件です。そこでどんどんどんどんイスラエル国内にパレスチナ人労働が増えていって、特に建築労働に入っていくわけです。いまのイスラエルの基盤となって いる建物は全てパレスチナ人がつくったんだという自負がパレスチナ人にはあります。
労働者として受け入れるって言うとすごいきれいごとなんですが、それは労働者の労働力だけを搾取するというやり方です。例えば、イスラエル国内でパレス チナ人は宿泊することは認められないんですね。それでガザから毎朝早朝乗り合いタクシーでテルアビブなんかに行く。狭い地域なので3、40分でガザからテ ルアビブまで行けるわけです。そこで建築労働なりレストランの掃除夫だとかとして働いて、夜になるとまたガザに戻るという生活ですね。ところが、雇用者と してはそれだと効率が悪いというか、翌日必ず労働者が来るという保証もないということで、例えば当局には内緒でパレスチナ人の労働者を集めて一室に寝泊り させたりするんです。ですが、外に勝手に出られないように、外から鍵掛けちゃうわけです。そこで火事が起こって中にいた労働者が全部丸焼けになったとか、 そういう事件も起こっています。
そうやって占領地の人間を自分たちに都合のいい労働形態、雇い方の形態で働かせる。そこでは本来的な意味での労働とは違って、例えば技術を身につけて少 し違う仕事に就くとか、お金を貯めて自分で経営をするとか、そういった展望なんかも全然描けないような、本当にイスラエル経済に都合がいい形での仕事しか 与えられなかったわけです。これ自体すごく問題があったわけですが、ただいまから思うと、この時期はそういう形であれ、パレスチナ人達は働いてお金を得て ガザでの生活を多少は豊かにすることができたわけです。それがまたまた転換してしまいます。
それが現在までのありように繋がるわけです。1993年日本ではオスロ合意ということで、イスラエルとパレスチナが相互承認して、パレスチナ人の国家を つくっていくための話し合いのスタートということで平和が、中東和平が訪れたみたいな感じですごく宣伝されました。けれども、実はこの頃からイスラエルは 占領地を切り離していこうとする政策に変えていくわけですね。つまりイスラエルはパレスチナ人と対等なパートナーとなることをもともと希望していないの で、アメリカが仲介しているオスロ合意を受け入れたことにして、同時にパレスチナを対等なパートナーではなくて、むしろパートナーたりえない条件に陥れ る、そういう政策に出ます。いわゆる自爆テロを口実にしながら、占領地の封鎖をこの頃から始めるわけです。それと同じ年、オスロ合意のこの年からパレスチ ナ人労働者ではなくて外国人労働者の受け入れを始めるようになります。中国人とかフィリピン人、それからルーマニアなんかの東欧の人たちがイスラエルの中 に入って来て、これまでパレスチナ人がやっていた労働に変わっていくわけです。
それからあと労働者の問題だけじゃなくて、例えば、イスラエル国内にも少数ですけどパレスチナ人が住んでいますが、彼らが占領地のパレスチナ人と結婚す ると、占領地に住んでいたほうの人はイスラエルに住むことができたんですね、結婚後は。それが認められなくなります。つまり占領地の人間とイスラエル国内 に住む人間が結婚するのは勝手だけれども、占領地出身の相手方がイスラエル国内に住む許可は全然下りない。結果的に海外で暮らすとか、そういう状態になっ てしまう。ほとんど結婚そのものができないような状況になっています。
イスラエルがいままではずうっと使ってきた労働力の市場だった占領地を、一方的に切り捨てていく。それが行き着いた先が2005年にガザから撤退したと いうことです。これはもちろん他のいろんな側面があるわけですけれども、労働力という問題からすると本当にもう占領地は必要ない。完全にそうした底辺の労 働とかは外国人労働者に依存するという形になってしまって。占領地がそういう形では必要がなくなったので、まさに棄民政策ですよね。ガザの出入りをイスラ エルが管理するという占領自体は変わらないのに、一方的に撤退だけするわけです。占領地がこういうイスラエルの経済のありように、もうずうっと左右されて きたことがわかると思います。
イスラエルは、いまでは外国人労働者もこれ以上は入れない政策に出ています。あまりにも外国人労働者が増えてきたということに対する、イスラエル国内の もともとの排外主義ですね。治安の悪化とを理由に国内で反対する人間もどんどん出てきたので、いまはもう一度イスラエル人による労働、いままで外国人が やっていたこともまたイスラエル人にとって代わらせるという方向に政策転換しています。
レジュメにグラフを載せていますが、これはサラ・ロイさんという、このあいだ来日したユダヤ人の研究者が作成したグラフです。アメリカのユダヤ人です が、ガザの状況についていろいろ研究をしてきている方で、イスラエルの占領政策に強く反対している立場の人です。ガザっていうのはもともとレモンとかオレ ンジなど柑橘類がたくさん獲れていた豊かな土地だったんです。それが占領後、生産高がどういうふうに変わったかという例なんです。イスラエルがガザを占領 する前は、開発が低い状態、低開発だったけれども、かろうじて少しずつ経済が発展していた。ところが、イスラエルが占領して以降はもう開発そのものが全然 ありえない状況、De-developmentになってしまった。サラさんはそういうことを、彼女がまとめたガザ経済の本の中でいろいろ分析して示してい ます。普通の状態だったら生産高も上がっていくのに、それがこういう状態になっているということを示しています。
イスラエルの占領政策で、いろいろ細かい軍法があるんですけれども、例えば占領地で新しい建物を建てることも禁止なんですね。禁止というか、イスラエル 当局の、軍政府の許可を得ないと駄目っていうことで、実際には許可なんて何年も出ない。だから人口は増えていくのに、社会全体が発展しようがない状況に なっちゃう。レモンの例だと新しいレモンの木を植えることが禁止になっている。もともと占領以前からあった木からは収穫できますが、しばらく経つと古く なって実がならなくなるわけですよね。それを伐採して新しい木を植えることが軍法によって禁止されているわけです。でも、そういう状況にも関わらず税金は 取られて、それもイスラエル国内と同じ税率なんです。ユダヤ人社会の農民は政府からたくさん援助を受けて、生産高もすごく高いわけです。それと同じ、その 生産高に基づいた税率が、占領地で生産コストをカバーできないくらいの生産高しか得られない農業をやっている人にも課せられている。そういうことを彼女は 本のなかで指摘しています。
いままでパレスチナの難民というと、パレスチナの地に戻りたいと願っている難民たちの感情に思いを寄せるということ、彼らの帰還権を訴えていくことが中 心とは言えないにしても、結構ポイントだったと思うんです。そうなんだけれども、それだけだと彼らの存在を逆に抽象化しちゃって、私達にはまあ関係がない 難民の人たちっていう括り方ですませてきちゃった感じがしていて。帰る展望がないなかで、彼らは日々生活していかなきゃいけないわけで、そこではやっぱり 労働、働いて日々生活していくという環境が必要なわけですよね。そうした働くことがそもそもすごく困難であるという状況をもう少し具体的に見ていくこと で、パレスチナ人、パレスチナ問題ともっと繋がる手立てがこの日本の今の状況の中で見えてくるんではないかなと感じています。
あんまり長く話すなという圧力を感じますので、なるべく早めに終わらせようと思いました。とりあえずここまでにしておきます。

司会 そんなプレッシャーはかけてないんですけどね。では、まあ討論というか、質問や考えがある方がいましたどうぞ。
 根本的なことなんですけど、ユダヤ人とイスラエル人は違いますよね。いまの話だとイスラエルの人達とそれから占領地の人達、パレスチナ人の話でしたよね。さっきおっしゃったように、イスラエルの中にもパレスチナ人はいて、彼らはイスラエル人なんですか。
田浪 国籍から言えばイスラエル人です。イスラエル国籍をもっていますね。
 イスラエル人の中にもいろんなところから来た人がいるから、例えばある時期から旧ソ連邦から逃れてイスラエルに来て、その人達は普通の イスラエル人よりも下にみられるという話を聞いたことがあるんですよ。そういうイスラエル人っていうのはすごく下層なわけですよね。僕はよく知らないんだ けど、法制度で基本的人権とかありますよね。こういった場合、イスラエル人一般にあてはまるような労働権などの権利はあるんですか。現実的なカテゴリーの 中で具体的に処遇の違いがあるんだったら、どのように違うのかを聞いてみたいんです。そうするとイスラエルの中の処遇の違いと、それといま話されたガザの パレスチナ人の違いと、もっとくっきりすると思うんですよね。その辺をちょっと補足してほしいんですけど。
田浪 イスラエル国内にもパレスチナ人が住んでいます。それで彼らと一般の、他のユダヤ人との待遇の違いがあるのかということですけれど。 イスラエルの中にいるパレスチナ人は一応イスラエル国籍を取っているわけですね。そういうことで言うと、同じイスラエル人なので、イスラエル国内の法律が 適応されていて、労働条件だとか最低賃金だとか、そういうものは当然イスラエル国民として同じ法律の下で守られているというのが建前にはなっています。た だ実際には、そういう法律ではカバーしきれないいろんな状況があって、やっぱり職場の中でもアラブ人差別はすごくあるんですね。そもそも一般のユダヤ人の 会社にはアラブ人はなかなか雇われません。アラブ人はどうしてもアラブ人の経営している小さな職場とか、自営業とか、あとアラブ人の町村の小学校、中学校 の先生だとか、そういう仕事を選ばざるをえなくなってるんですね。
それと法律的には平等ということになっていますが、アラブ人は兵役につきません。ユダヤ人の中にも少数だけれども兵役拒否する人もいますが。そうすると 仕事募集の新聞広告なんかを見ると、何歳以上とか大学の専攻とか、条件が書いてあるところに必ず「兵役済」っていう条件が書いてあるんですね。兵役を終え てない人は雇わないぞと。もちろん、ユダヤ人の雇用主はそれをアラブ人差別だって絶対言いません。兵役を経験することは、そこで基本的な生活のスタイル、 朝早く起きて体を整えて仕事に出るという、基本的な労働者としての生活スタイルや意識、国民としての自覚みたいなものを二年間叩き込まれるわけですね。 で、兵役を終えてないってことは社会人としてのそういうまともな経験などを備えてない、労働者として駄目な人間だから雇わないんだと。そうして、結果的に それがアラブ人を排除する形になっています。
それから国家のセキュリティーに関わるような高度な科学技術なんかは、アラブ人は大学で専攻できないようになってるんですね。法律があるわけじゃないん ですけど、実際にアラブ人は成績が上でも、そういった専攻では大学に入学できません、面接なんかもあったりして。そうすると当然そういう部門の仕事には就 けないわけですね。だからイスラエル国内のアラブ人がいくら頑張っても、例えば宇宙開発だとか、イスラエルはそういう科学技術がすごく盛んですけれども、 そういう方面の仕事には就けない。そこでイスラエル国内のアラブ人、特に優秀な人なんかは自分たちがいくら頑張っても就きたい仕事に就けないんだっていう 不満をよく言っています。
それと、占領地のパレスチナ人についてはイスラエル人ではないのでイスラエル国内の法律が全然カバーされていないわけですね。だからイスラエル人だったら守られる最低賃金だとか保障とか、そういうのから排除されています。
B 占領地の中で軍法とかでがんじがらめの状態の中で、政治的なことで解決する方法ももちろんあると思うんですけれども、それ以外、例えば 隙間産業ではないんですけれども、何か産業みたいなものは出てきてないんですか。とりあえず、いま食べていかなきゃいけないという時に、新しい抜け道では ないですが、食っていける産業みたいなものが出てきたりはしないんですか。
田浪 まさにそういう発想で、オスロ合意以降進んできたと思うんですよ。オスロ合意で一応イスラエルとパレスチナが両方とも和平へのスター トラインに立ったということで、海外の投資がたくさん入りました。占領地の中で自立できるような産業を育成しようという方向ができたわけです。でも、逆に そうした方向がますますパレスチナ人が自立できない状況を作っているんですね。というのは、占領自体終わってないわけです。そこで海外から投資がきて、占 領は終わってないけれども、とりあえずパレスチナ人が生活できるように何か産業を興そうという。日本政府も、ヨルダン川西岸地区のヨルダン渓谷という場所 で農業団地をつくって、そこでパレスチナ人がつくった生産物を湾岸の方に輸出するという事業を打ち出しているわけですけれども。それは占領の状況を全然変 えないで、占領状況の中でとりあえず食べていく、実際にはそれだけでは食べていけないわけですが、ともかく占領状況を変えないまま、とりあえず産業をつく るという。
イスラエルもその路線を支持しているわけです。占領を固定化したまま、とりあえず海外の資本が投下され、そういうことをやってくれる。パレスチナ人の労 働者を雇って、パレスチナ人の不満を少なくしてくれるなら、それはイスラエルにとっては願ったりかなったりの話で。そうした状況は、レジュメにも「現状認 知の力学」と書きましたが、むしろ占領のノーマライゼイション、固定化に繋がっていると思います。
ガザという所は本当にこう狭くて、川もないし、周辺から孤立した状況で、あの場所だけで発展するってことはありえないわけです。だから普通の社会ではあ りえないような不自然な形で、例えばUNRWAが一度やろうとしたのは電話交換手、いまそこに住んでる人じゃなくても遠い海外でも英語が話せる人が電話 取って電話交換、そういうことはできますよね。日本でも、いま電話交換手を海外でやらせようかという話が出てると思うんですけれども。それで、ガザの人を 雇おうというような話が出たりしてました。でも、とりあえずの雇用は確保しても、とりあえず日当を貰えるとしても、それはガザの社会を本当の意味で発展さ せることには全然繋がらないわけですよ。占領が終わらない限り、とりあえず食いつなぐだけのこういう仕事しかないわけですね。それでは社会の発展はありえ ません。
司会 ガザの状況、西岸もそうでしょうけれど、特にガザの現状はどうなんでしょうか。僕らも通信とかテレビくらいでしか状況は知りえないの ですけれども。逃げられない状態で相当ひどい爆撃を受けるという。田浪さんもいろいろガザと通信をされていると思うんですけれども、具体的にどういうふう にガザの人々の声をお聞きになってきたのでしょうか。
田浪 うーん、私自身はこのかんガザに入ってないんで、ガザの現状はこうですというというような報告は、ちょっとできないんです。最後に私 がガザに行ったのは2001年だったんですが、そこで付き合いのあった人たちは電話ももってないし通信手段もないので、連絡も取れない状況になってしまっ ているんです。
ガザの状況を話してください、それからひどい状況だけれども何か打開策はあるのか、何か希望の見える話をしてくださいってよく言われるんです。ただ希望 と言っても、私たちの気休めのためにそういう話をすることにしかならないと思うんです。ガザだけでなく、いまガザが一番ひどい状況にありますけれども、あ れはパレスチナ占領地全体の先行例に過ぎないと思います。イスラエルは本当にもうパレスチナ全体をなくしていく方向に動いてるとしか考えられないわけで す。口に出すのもすごく嫌なんですけれども、パレスチナが消滅に向かっているとしか言いようがないです。
それでは、じゃあ私たちに何ができるかということですが、パレスチナの状況を気に病んでいるだけよりは、イスラエルそのもの、イスラエルの占領政策をと にかく変えていく。いまや私たちはパレスチナの人たちに抵抗や闘うことを求めたる立場にないわけです。私たちの責任として、いまのイスラエルの政策を何と か変えていくように働きかけること、それが外部の人間にできることではないのか、と思っています。宣伝みたいになっちゃうんですけども、チラシをここで 配っていいですか。5月の31日にちょっとしたイベントをやるので、もし関心があったら参加して頂けたらいいなと思います。もちろんパレスチナに心を寄せ るとかパレスチナの人たちと連帯するとか、そういうことはすごく大切だと思うんですが、それだけだと何かこう……。日本政府がそもそもイスラエルのやって ることを黙認してるわけですね。許可を与えているわけですね。そういう国に住んでる私たちの責任っていうのもあるわけです。占領地のことを心配するより も、まず私たちがいまやれるのは、イスラエルの政策を変えていくために何ができるかを考えることではないかと思っています。
司会 5月31日日曜日の13時から18時30分までYMCAで……。
田浪 お茶の水と水道橋のあいだにある在日韓国YMCAという所でやります。日本の中でずっとパレスチナと関わる団体とか運動って結構ある わけです。でも、同じことの繰り返しになりますけれども、パレスチナ人と連帯するぞっていうところで、なんか終わっちゃってるんですね。そういう気持ちは すごく大切だと思うし、私自身もそれは否定しないんだけれども、私たちの日本社会全体は、どっちかっていうとイスラエルの側に立った社会なわけですよね。 だからこそ、なんとかイスラエルの政策を変えていく、それからそういうふうに日本政府に働きかけるようなことをやっていくのがすごく必要だと思っていま す。
[2009年5月9日、プランB]

2009年5月9日

plan-B 定期上映会

講演 働く権利から見たパレスチナ問題
講師 田浪亜央江(大学非常勤講師)

難民であることによって居住国での職 業選択が制限され、働く場を求めて国境を超えることもままならないパレスチナ人。イスラエルで日雇いとして差別的に使われた揚句に労働市場から締め出さ れ、今や被占領地のなかで就ける仕事などほとんどないパレスチナ人。イスラエル国内で市民権をもつパレスチナ人がまずぶつかる壁も、彼らの働ける場がユダ ヤ人に比べて極めて限られていることだ。ユダヤ人が働き自立する場として作られた国家は、労働においてこそ非ユダヤ人を差別し、分断する社会となった。労 働を通じて自立し他者と対等な関係をもつという理想と、労働のなかで他者と支配/被支配関係が作られ、自らの人間性を失っていく現実。日本社会の中から、 今こそパレスチナ問題がより切実に見え始めている。