2009年5月9日

plan-B 定期上映会

講演 働く権利から見たパレスチナ問題
講師 田浪亜央江(大学非常勤講師)

難民であることによって居住国での職 業選択が制限され、働く場を求めて国境を超えることもままならないパレスチナ人。イスラエルで日雇いとして差別的に使われた揚句に労働市場から締め出さ れ、今や被占領地のなかで就ける仕事などほとんどないパレスチナ人。イスラエル国内で市民権をもつパレスチナ人がまずぶつかる壁も、彼らの働ける場がユダ ヤ人に比べて極めて限られていることだ。ユダヤ人が働き自立する場として作られた国家は、労働においてこそ非ユダヤ人を差別し、分断する社会となった。労 働を通じて自立し他者と対等な関係をもつという理想と、労働のなかで他者と支配/被支配関係が作られ、自らの人間性を失っていく現実。日本社会の中から、 今こそパレスチナ問題がより切実に見え始めている。

2009年2月4日・5日

国際基督教大学( ICU )上映会(4回上映)【日時/会場】

2月4日(水)・5日(木)
両日とも 午後1時~(大学本館367号教室)/午後7時~(ハーバーホール:ICU教会幼児園)
~午後3時頃より話+ディスカッションあり~
(話:4日=池内文平〔上映委〕/5日=濱村篤〔上映委・日本寄せ場学会〕)
【料金】
一般 1,000円/学生 500円
【問い合わせ】
0422-33-3323(国際基督教大学・宗務部)
(三鷹市大沢3-10-2)

2008年11月29日

plan-B 定期上映会

講演:「都市のこわれかた②──68-08/新宿」
講師:平井玄(音楽批評)
* * * * *
「1968年」について、みんなが何か言えという。
―困ったことだ。だって私は、あの年の春に高校に入ったばかりの16歳。正確にいえば15歳と11か月で、小田実を「おだみのる」と読んで、新しくできた 友達に鼻で笑われるような少年だったからだ。そのマシュルーム・カット(初期ビートルズのあの髪型)のY君は、そのころ筑摩書房から出ていた『展望』とい う雑誌の編集長の三男坊だった。
そこから「怒濤のような3年間」が始まった―ような気も確かにするけど、そんな訳はない。うろうろ、ごそごそと、後ろからついていっただけ。いつも何かに 「後ろ髪」を引かれ続けていたのだった。だから私の「68年」は、実は1972年に始まる。前川國男の新宿紀伊國屋本店から2丁目の薄暗い路地裏へ。
聞き飽きた「世代の物語」を超えて、40年後に何を語ることができるのだろうか?

反貧困プロジェクト『山谷-やられたらやりかえせ』札幌上映会

「山谷-やられたらやりかえせ」は1985年に発表されたドキュメンタリーです。東京の一角にある寄せ場と呼ばれる日雇い労働者の街の生活実態や悪徳事 業者に対する闘いが記録されています。日雇い派遣・フリーターなど非正規雇用者が増加し、日本社会全体の寄せ場化が進んでいるといわれる今、この映画が映 し出す底辺におかれた労働者の状況と、それを支える資本や国家、搾取や暴力の構造について知り、現在の私たちの状況とどう結びつくのか、状況を覆すにはど うしたらいいのか考えます。

10月5日(日)14:00開場 14:30~1回目上映
16:40~「山谷」制作上映委員会のメンバーによるトーク
18:00~2回目上映
会場:北海道大学学術交流会館(札幌市北区北8西5)
主催:NPO法人 さっぽろ自由学校「遊」

2008年9月29日

ドキュメンタリー・ドリーム・ショー-山形in東京2008

「山谷は日雇い労働者が集住する東京の「寄せ場」。右翼やヤクザに搾取され、雇用者の言いなりの彼らは、組合を組織して労働条件を改善しようと激しい争議 を始める。監督佐藤満夫が撮影11日目に刺殺される。制作上映委員会が使命を引き継ぎ、全国の労働者の生き様を描く映画を完成。”派遣労働”が切り捨てら れる今と照らし合わせても興味深い。」

9月29日(月) 21:00~ ポレポレ東中野

2008年7月6日

plan-B 定期上映会

フリーターって、誰?
山口 素明(フリーター全般労働組合)

フリーター。もうずいぶん前からよく使われている言葉だが、この自由人(?)たちの「自由」は、そんなにロマンチックなものでもない。
そう、──「なるほど諸君は自由だ。ただしその自由は飢える自由だ」──そういう類いの「自由」にちがいない。「フリーター」という言葉の周りには「非正 規雇用」「ワーキング・プア」という語がまとわりついている。これは「不安定」「貧困」と直接に結びつく意味あいがあるだろう。するとフリーターとは、飢 えに至る貧困という不安定な自由を持ったひと、ということになる。
けれどもその「貧困」はフリーターひとりの生活状態というものではなく、人ひとりを「飢え」に至らしめる社会全体の「貧困さ」なのではないか?
今回のミニ・トークは、「フリーター」とともにこの社会の「ありかた」を鋭く問うているフリーター労組の山口素明さんに語っていただきす。──<サミット>前夜に。

2008年3月15日

plan-B 定期上映会

上映後の講演:都市のこわれかた──①北京 「農民工」のなかから
講師:孫 歌(sun ge : 探求者)

『山谷』の視線から学んだこと
激しく発展している中国をどう見るか。中国の打工者をどう思うか。格差、安い賃金、厳しい労働条件、都市の市民権が得られない「二等国民」…… そしてこのような打工者は、国境を越えて日本にも進出して日本労働者との競争に強いられているのだ。
その一方、中国では、ひどい汚染を伴う大量な「違法産業」、農地の廃置や食料安全の破壊など、いわば近代過程のつき物も後を絶たせない。
今日の世界は、資本の論理で作られている。国家権力、警察システム、法律の「中立」は、いずれもその論理を免れない。暴力団の暴行はどの社会においてもこのようなシステムの本質を象徴している。
『山谷』は、このような矛盾を濃縮して見せてくれた。鮮烈な形で差別の構造を顕にしたこの傑作は、日本社会に内在している病を暴露することに止まらず、グローバル化の中で、先進国の日本と途上国の中国の間、すでに現れている新たな差別構造をも暗示しているのだ。
そしてわれわれは、山谷の労働者から、佐藤、山岡両監督のまなざしから、いったい何が得られるのであろうか。

2007年11月2日

plan-B 定期上映会

映後の講演:僕が山谷に関わったのは二十歳のときだった…
講師:宇賀神寿一

僕が山谷に関わったのは、二十歳のときにひょんなことからだった。武装闘争に関心があった僕は、京都大学で行われたリッダ闘争戦士追悼集会に行った。そ の集会後に釜ヶ崎の闘いを支援するための会議にたまたま参加し、そこで船本洲治たちに出会ったのが、日雇労働者の闘いに僕を結びつけたキッカケだった。帰 京した僕は、その秋には、第一回山谷越冬闘争の準備会に参加して、あれよあれよという間に、日雇労働者の闘いを非公然に支援する部隊のメンバーとなって いった。当時、「武装闘争」に一番マッチしていたのが、暴動闘争中の山谷?釜ヶ崎だったから。なるほどナッ!の運命とでも言うべきかもしれない。
その後に敗北があり、指名手配の逃亡者となり、逮捕・受刑者となり、21年経って出所しても、僕の闘いは、まだ続いている。当分続きそうである。エライコッチャ!それもこれも山谷との関わりがあればこそ。映画『山谷』を観る時、僕は懐かしい顔をいつも探している。