2011年11月5日

plan B定期上映会

「非在」の言葉を明るみへ
大場ひろみ(ちんどん屋・『チンドン―聞き書きちんどん屋物語』著者)

何故ちんどん屋が「山谷」の上映の場で語るのか、私にも必然性を強調できるような言葉はないのですが、これだけは言えるなと思うのは、ちんどん屋を始めた人々が、どうでもいい瑣末な存在として見られて、いろいろな歴史や文化、芸能、職業検証の文脈でまったく省みられなかったことです。庶民芸能、民俗学の対象からも零れ落ち、片手で足りるほどの僅かなルポライターや民間研究者が書き残したに過ぎませんでした。
たまさか私がちんどん屋の世界に入り、諸先輩の聞き書きを始めてすぐに気がついたのは、彼らが言葉を残せないがゆえに、まるで「無い者」かのように扱われ、無視されているすべての人々のうちの一人であることでした。「山谷」の人々と同様に、彼らの言葉に耳を傾ければ焙り出されてくる、支配者の側でない歴史、生活、今の日本の状況へと繋がる点と線が見えてきます。
私の本も「山谷」の映画のように、見えなくさせられているものを見える場所へ置き換え、そのような人々を繋げる役割まで果たせたらいいなと思い、今回お話しすることにしました。

2011年9月3日

plan B定期上映会

みんなの公園――野宿者排除と「公共」のアクティヴィズム
浜邦彦(早稲田大学教員/ストリート研究会)

2007年10月、野宿者が暮らしている国道246号線渋谷駅 。ガード下に、野宿者への「移動のお願い」が掲示された。「お願い」の主は「渋谷アートギャラリー246」と記されており、なるほど、ガード下と地下道一帯の壁には、いかにも稚拙な「アート」の装飾がほどこされていた。2009年8月,渋谷区はナイキジャパン社と、区立宮下公園の名称を「宮下NIKEパーク」に変更し、有料スポーツ公園への全面改修工事を依頼する基本協定を結んで,宮下公園の野宿者排除に乗り出した。
こうした動きに、いち早く反応したのはアーチストたちである。かれらは「アート」の名において野宿者が排除されることに危機感を覚え、誰もが利用できるはずの公園が私企業の管理する空間へと変貌することに抗議の声を上げた。「246表現者会議」から「宮下公園アーチスト・イン・レジデンス」に至るアーチストたちの闘いは、さまざまな賛同者を集め、野宿者支援の運動とともに、宮下公園の「ナイキ化」を阻止する1年半以上の劇的な活動に結実した。
1980年代の山谷の闘いと、2000年代の渋谷の闘い、その連続と断絶を、「公共」というキーワードから考えてみたい。

2011年6月25日

plan B定期上映会

山谷から震災・原発危機状況の福島へ
中村光男(日雇全協・山谷争議団)

現在続けている被災地支援の内容と、原発および被曝労働者を巡る問題を、中村光男さんが得ている最新の情報をもとに、山谷と関連づけてお話しいただきます。
原発労働が土建と同じ重層的下請労働で行われている問題と、声を出せなくされている状況について。山谷の差別抑圧構造が世間から伏せられたまま経済成長が語られていたことと、被曝労働者の現実を隠蔽しながらエネルギー像が語られ大量のエネルギー消費が進められてきたことについて。そして、今の取り組みとしての被曝労働自己防衛マニュアルを用いた被曝労働者への取り組みについて、それぞれお話しいただきます。

2011年3月26日

plan B定期上映会

● 実録・山谷「現場闘争」を語る――山谷争議団三十年の闘い

三枝明夫(山谷争議団結成メンバー)&荒木剛(現・山谷争議団)
司会・キムチ(金町戦元行動隊長)

1981年10月4日、山谷争議団が結成されてからはや三十年を迎えようとしている。
映画は、83年秋からのヤクザ金町一家と争議団・日雇全協の、山谷を舞台にした攻防の只中で撮影されていった。撮影の中で二人の監督を亡くしたが、画面に登場する日雇全協派遣団や争議団のメンバーも、その後十名以上が他界している。生き残った者たちも老人化し、きつい肉体労働に体がついて行かなくなり、土建現場からの撤退を余儀なくされつつある。
今回は、そのオヤジたちの重い口を開けさせたいと思う。彼らが何を伝えたいのか、さあ、ご期待というところだが、現場の闘いから離れ「活動家」を引退したものが、過去のこととは言え、皆の前で語ることは、恥の上塗りになるかもしれない。誇れる(?)ものは十数回に及ぶ逮捕歴しかない者達だが、そのこと自体が失敗や敗北の経験の多さでしかない。しかしそこから豊富な教訓も引き出せる可能性もあるということだ。
司会は対金町戦元行動隊長のキムチ。弁士は、山谷争議団と日雇全協の結成メンバーで、止めた後、二十数年ぶりにこういった場に顔を出すようになった三枝明夫、今も現役として争議団を守り抜く荒木剛の二人。
話したいことは山程あっても短い時間の中で、今回は映画の中でも出てくる「現場闘争」について焦点を当て、オヤジたちの「昔はこうだった」という戯言の中に、今に繋がるヒントが、何か一つでも隠れていればと祈るような気持ちで、しかし、一世を風靡した、少し古いが大川橋蔵や中村錦之助、あるいはもっと古ければ、ハンフリー・ボガードやゲイリー・クーパーにも劣らぬ顔ぶれを気負って、登場しようと目論んでいる次第です。乞うご期待。

2010年11月13日

plan B定期上映会

北京郊外「農民工」居住区・皮村――北京テント芝居の旗揚げ公演と映画「山谷」上映会
講演者:桜井大造(中国「北京・臨テント劇社」・日本「野戦之月海筆子」・台湾「海筆子」所属)

2007年9月日本の「野戦之月海筆子」と台湾の「台湾海筆子」は共同して、北京の2カ所にテントを建て、「変幻カサブタ城」という芝居を同一台本・同一舞台の日本語版と中国語版にて日替わり公演した。
1カ所は北京の中心部、朝陽文化館とマクドナルド朝陽店の前の五輪広場で、無許可での公演であった。もう1カ所は北京の飛行場そばにある「皮村」という農民工(打工)の集住地区であり、こちらも無許可ではあったが、農民工の芸術団体が活動する打工博物館の前庭での公演であった。
今年の8月、3年前に北京のテント公演を企画制作した北京メンバーが中心となって、中国では初のテント演劇グループが旗揚げした。 テントが建ったのは3年前と同じ農民工の街「皮村」である。皮村は3年前より農民工の数も増え(現在2万人ほど)、いたるところから子供たちの歓声が聞こえる活気に満ちた場所となっていた。しかし、この街はもうすぐ跡形もなく消えていくのだ――。
今年夏の皮村のテント演劇と、翌月9月に行われた「農民工芸術祭」の「山谷」上映の件について報告します。

plan B映像週間第1弾「NDUの軌跡」&『山谷やられたらやりかえせ』

NDU(日本ドキュメンタリストユニオン)は、「早大150日間ストライキ」を担った早大中退者を中心に1968年に結成された映像集団である。その映画 づくりは小川プロ、土本典昭らと同時代にあって学生運動高揚期から長期にわたって闘争の現場を撮り続けてきた。その視線は労働者・学生運動とベトナム反戦 でもりあがる新宿から、沖縄―先島諸島―台湾―朝鮮半島へと歩を進め、国境をまたいで流浪する労働者の姿を追い続け、「“アジア”への視点」を独特の地平 から切り開いていった。


■日時:6月1日(火)〜6月6日(日)PM7:00〜(上映後、ゲストのトーク)
6/1【火】「出草之歌 台湾原住民の吶喊 背山一戦」(2005年/112分)
ゲスト:桜井大造(野戦之月海筆子)
6/2【水】「鬼ッ子 闘う青年労働者の記録」(1969年/78分)
「倭奴へ・在韓被爆者無告の二十六年」(1971年/52分)
ゲスト:土屋トカチ(映像作家『フツーの仕事がしたい』監督)
6/3【木】「沖縄エロス外伝・モトシンカカランヌー」(1971年/87分)
ゲスト:小野沢稔彦(映像作家・批評家)
6/4【金】「アジアはひとつ」(1973年/100分)
ゲスト:平井玄(音楽批評)
6/5【土】〈特別上映〉「山谷─やられたらやりかえせ」監督 佐藤満夫・山岡強一(1985年/110分)
ゲスト:丸川哲史(台湾文学・東アジア文化論)
6/6【日】「出草之歌 台湾原住民の吶喊 背山一戦」(2005年/112分)
ゲスト:井上修(NDU)
■場所:plan-B:地下鉄方南町線(丸の内線)中野富士見町駅下車5分
東京都中野区弥生町4-26-20モナーク中野(地下1階) 03-3384-2051
■『山谷─やられたらやりかえせ』(監督:佐藤満夫・山岡強一)以外の5作品は企画・制作/NDU
■料金:1日券1000円、通し券3000円

2010年4月3日

plan-B 定期上映会

「フォークの吟遊詩人高田渡と、詩人高田豊」 『高田渡と父・豊の「生活の柄」』(社会評論社)の著者・本間健彦さんをお迎えして。

沖縄上映会

特集『闘う労働者たちの記録 ’85→’08』
『山谷 やられたらやりかえせ』 『フツーの仕事がしたい』

■3/6(土)〜3/12(金)  13時ごろより、2作品を上映。(入れ替え制)
■2作通し券:一般2,200円 会1,800円
■会場 桜坂劇場ホールC
■住所:〒900-0013 沖縄県那覇市牧志3-6-10
電話番号:098-860-9555(劇場窓口)
桜坂劇場のホームページはこちら
「高度経済成長を終えた80年代、山谷にあふれた労働者とその搾取の構造を追い、二人の中心人物を惨殺されると言う、文字通り命をかけた映画作りの果てに生れた名作『山谷やられたらやりかえせ』。そして現代のトラック運転手の過酷な労働状況をフツーの目線で捕え、フツーがフツーに手に入らないものだという現実を提示し、海外の映画祭でも話題を呼んだ『フツーの仕事がしたい』。いづれも特定の職業を描いた作品ながら、現代の我々に繋がる物をもっており、単独で見ても見応えのある作品です。しかし、四半世紀近く離れた二つの時代のドキュメンタリーを並べ、類似点と相違点を見比べることで、我々自身の現在から未来を考えるヒントが見えてきます。(桜坂劇場 真喜屋力)」
初日には両作品の関係者も来場し、詳しくお話をお聞きするトークショーも開催。
<初日トークショー>
時間 15:00ごろ(『山谷』上映終了後)
ゲスト:映画『山谷』上映委員会より、中山幸雄氏
土屋トカチ監督(『フツーの仕事がしたい』監督)
※上記2作品を鑑賞どちらかを鑑賞、または2回券をお持ちのお客様はトークショーをご覧になれます。
※トークショーは『山谷』上映後、『フツーの仕事がしたい』の上映前の時間に行いますので、『山谷』の話題を中心に進行しつつ、『フツー?』の前フリをする形になる予定です。

2009年12月12日

plan-B 定期上映会

講演「ドキュメンタリーに監督・作家はいらない、勿論、編集だって不要だ?!」
井上 修(NDU/『出草之歌』撮影・編集)
「ドキュメンタリー」はなりよりもまず、素敵な対象に巡り会うことだ。多くの場合、彼らは過酷で困難な状況に置かれているだろう。しかし状況がどんなに困 難であっても、いやだからこそ彼らが果敢にそれに立ち向い、状況を切り開いていこうとする姿を、多くの人に知ってもらい、感動を持って欲しい。それが私に とっての「ドキュメンタリー」であると思っている。だから「ドキュメンタリー」に所謂「作家、監督、ディレクターなどなど」はいらない。必要なのは映像と 音声を的確に収録して、それらを順番に並べていく(これは断じて編集じゃない)ことができるスタッフだけだ。でも残念ながら、日本の「ドキュメンタリー」 の主流はどうやらそうではないらしい。たとえば、NDU日本ドキュメンタリストユニオンの最新作『出草之歌 台湾原住民の吶喊 背山一戦』では……おっと、この先のお楽しみ(?)は、会場で!

2009年6月6日

無期囚磯江洋一さん 山谷6・9決起30年 問われ続ける、山谷・監獄・貧困...」

2009年6月6日(土) 午後2時~

日暮里区民事務所ひろば館(301洋室) 東京都荒川区東日暮里6-17-6 (JR日暮里駅北口東側出口・日暮里中央通り沿い徒歩10分)
≪第1部≫午後2時~
『山谷─やられたらやりかえせ』DVD上映(1時間50分)
≪第2部≫午後4時30分~
発題:6・9闘争と寄せ場の闘い(松沢哲成)/磯江さんを支えて30年(丸山康男)/6・9以降の山谷の闘い(荒木剛)/無期囚の終身刑化について(山際永三)/獄中の処遇、医療について(永井迅)/「貧困」とはなにか(加名義英逸)/山谷からの報告(山谷労働者会館)他
磯江さんからのメッセージ
≪第3部≫
討論(全員)
資料費/1,000円
連絡先:090-1836-3430(「山谷」制作上映委員会)