2014年4月12日

plan-B 定期上映会

行政の排除に抗して――竪川や荒川での野宿者のたたかい
講演 / 向井宏一郎
(山谷労働者福祉会館活動委員会)

「山谷―やられたらやりかえせ」という映画の中で描かれているのは、約30年前の山谷のたたかいです。使い捨て可能な労働力として、大量の日雇い労働者 がプールされ閉じ込めらた被差別空間としての寄せ場。そこには、最も厳しい条件の下、差別と抑圧にさらされた人々の、ギリギリのところでの連帯と怒り、エ ネルギーが直に渦巻いていました。
90年代、山谷の風景は大きく変わりました。寄せ場は労働力市場としての機能を大幅に縮小しました。では仕事が激減し、ドヤに泊まれなくなった日雇い労 働者はどうしたかというと、公園や河川敷などに勝手に小屋を作り、駅や路上に寝泊まりして、命をつないだのです。野宿者運動のはじまりです!
寄せ場の周辺の公共地に、寄せ場と地政学的に密接な関係を結びながら、野宿する人々。行政の施策が日雇い労働者・野宿者を露骨に差別し排除する中、行政 に対する施策要求を経由するのではなく、空いてる場所に自前で居住権を勝手に実現してしまうこと(=公共圏の自然発生的な占拠)。そこでの行政との反排除 のたたかい。この理念に先行して突発する行動(だがそれは問題の本質を大事なところで的確にとらえる身体的な感覚に裏打ちされています)や、横のつながり だけを信じ、縦のつながり=権力の支配から徹底して身を引き離そうとする中で実現されている直接性こそ、野宿者運動の中に、日雇い労働者のたたかいが直系 として引き継がれていることの証左ではないでしょうか。
ここ数年、竪川や荒川での文字通り行政の排除との全面的な対決が続きました。それらの取り組みを通して、映画に描かれているたたかいが、どのように現在に引き継がれているのか、伝えたいと思います。

2014年2月8日

plan-B 定期上映会

「ヒミツのはなし」
講演 / 渡邊太
(国際脱落者組合/大阪国際大学教員)

ポスト小泉体制として出発した第一次安倍政権は「美しい国」をスローガンとしたが、民主党から政権を奪取した第二次政権のスローガ ンは「日本を取り戻す」である。「美しい国」にせよ「日本を取り戻す」にせよ、何をもって「美しい」と言うのか、取り戻したいのはどのような「日本」であ るのか、あいまいで何とでも言える。だが、「美しい国」という名詞形から「日本を取り戻す」という動詞形への変化は見逃せない。「取り戻す」の主語は何な のか。主体は誰なのか。
この間、特定秘密保護法案が迅速に可決された。9月に法案が公表されて2週間のうちに約9万件のパブリックコメント(8割近くが反対意見)を集めたにも かかわらず、10月に衆院可決、12月に参院可決。このスピード感。もはや「日本を取り戻す」ために大衆的合意は必要としないかのようである。自民党幹事 長は法案に反対するデモを「テロと本質的に変わらない」と述べた。
「特定秘密」のターゲットは防衛、外交、テロ等とされるが、原子力エネルギー、沖縄の米軍基地、TPP交渉、等々「ヒミツ」にしたいことには事欠かない。その先には、「公の秩序」を基本的人権に優先させる自民党憲法改正草案も待ち構えている。
2020年「東京オリンピック」開催が決まり、大阪では「道頓堀プール」の実現が目指されている。都市再開発と零細窮民の排除といういつもの光景がくり 返されるのは明らかだ。「儲からなければ文化ではない」(堺屋太一)だと? 文化をなめるな。うんざりしつつも、ヒミツに包囲された生活空間を社会復帰さ せるために何を共謀すべきか、考えたい。

2013年9月14日

plan-B 定期上映会

「新宿ダンボール村」の日々
講演 / 迫川尚子
(写真家、新宿ベルク副店長)

ほんの15年ほど前、新宿駅西口地下に「ダンボール村」があった。「ホームレス」と呼ばれる者たちが寄りつどい、工夫を重ねてダンボールハウスという 「ホーム」を次々と立ち上げて、ひとつのコミュニティをつくっていたのだ。それに寄り添った支援者によると、その期間は1996年1月24日から98年2 月7日までの約2年間。──このふたつの日付にはそれぞれ重要な意味がある。ひとつは、それまであった西口広場から都庁に通じる地下通路のダンボールハウ スが都によって強制撤去された日。そしてもうひとつは「ハウス内からの失火」によって住民4名が焼死した日だ。
わずか2年余という「短い」期間ではあったが、しかしこのコミュニティには濃密な時間が流れていた。それまでバラバラにされ、見えない存在とされていた 「ホームレス」たちが、若いアーティストが描く色彩とともに鮮やかに姿をみせ、「生きることが闘い」であることを人びとの目にはっきりと焼きつけのだ。そ の「闘い」は、いまもそこかしこで続いている。
今回の上映では、この5月に写真集『新宿ダンボール村』を上梓した迫川尚子さんに、同時代としてのダンボール村を語っていただく。

2013年7月13日

plan-B 定期上映会

ヘイトスピーチと、わたしたちの現在
講演 / 首藤久美子
(女性と天皇制研究会)

ヘイトスピーチ──たとえばいま、新大久保の街頭で「ハヤク クビツレ チョウセンジン」と叫ぶ集団がいる。憎悪表現とも訳 されているヘイトスピーチは、もはやネット上の「スピーチ」を超えて、罵声を浴びせられる人たちの生活や身体を直撃している。それは、朝鮮人6000人を 虐殺し去り(1923年)、アジア各地への侵略を進めていったこのクニの──わたしたちの歴史を思い起こさせる。
むろん、このヘイトスピーチは「在日朝鮮人」たちだけに向けられているわけではない。わたしたちの未来、わたしたちがめざし作り上げようとする「社会の多様性」に、それは向けられているといってもいい。
今回の上映では、こうしたヘイトスピーチのありさまと、それに対抗する運動の課題を、「女性と天皇制研究会」の首藤久美子さんに、女の視点を交えて語っ ていただく。侵略戦争下にあって、唯一といってもいい、朝鮮人らとの共闘を継続した下層──寄せ場の・もうひとつの歴史・をふまえて。

2013年5月11日

plan-B 定期上映会

勝新太郎とドキュメンタリー
講演 / 境誠一(映画編集者)

もちろん、勝新太郎がドキュメンタリーを撮ったということではない。ドキュメンタリー志向というのとも違う。では、なぜ「ドキュメンタリー」なのか?誰かが日本の三大監督の一人に勝新太郎をあげていた。ここでは稀有な名俳優としての勝新太郎ではなく、映画監督の、それはまるでアヴァンギャルド作家のような顔をもった勝新太郎の姿だ。合理性をきらい、計算した役者の演技はきらい、あげくにカチンコをつかわない、そんな勝新太郎の映画づくりの秘密をいくつかのエピソードを交えて、映画編集者の境誠一さんに語ってもらう。そして、なぜ「ドキュメンタリー」なのかも考えていきたい。

「勝新太郎7回忌法要記念場面集」DVDを併映(20分)

「山谷─やられたらやりかえせ」plan-B定期上映100回記念(1987年~2013年)

★日時:2013年2月16日

●16:00〜 「山谷―やられたらやりかえせ」上映 〜17:55
●18:15〜 対談「ライブスペースplan-Bを語る」木幡和枝+平井玄 〜18:45
●18:55〜 ホイト芸 黒田オサム 〜19:15
●19:20〜 ダンスと音 田中泯+大熊ワタル 〜19:50
●その後、これまでの講演者・ゲストの話をまじえながら交流会

木幡和枝(芸術・美術評論家、アートプロデューサー、翻訳家) 訳書は『同じ時のなかで 』(スーザン・ソンタグ)『私は生まれなおしている……日記とノート 1947-1963 』(同)など多数。2000年から東京藝術大学先端芸術表現科教員
平井玄(思想・音楽批評) 著書に『路上のマテリアリズム―電脳都市の階級闘争』『破壊的音楽』『愛と憎しみの新宿 半径一キロの日本近代史』など。
黒田オサム(パフォーマー・アーティスト) 敗戦直後にアナーキストとなり、山谷の労働者とともにダダイストとして生きる。そこでつちかった人間の俗のなかに聖を見るホイト(乞食)芸を披露する。現在81歳。
田中泯(ダンサー) 土方巽に私淑した前衛的、実験的舞踊家。1960年代モダンダンサーとして活躍。1966年ダンス界から追放、日本現代舞踊協会から除名される。1970年代「ハイパーダンス」を展開。日本・世界の知識人、科学者、美術作家たちとのコラボレーションへと繋がっていく。1978年パリ秋の芸術祭の「日本の時空間―間―」展で海外デビュー。以来30年以上、世界中で独舞、グループの活動を発表し続ける。
大熊ワタル(ミュージシャン)  http://www.cicala-mvta.com/

2012年12月15日

plan-B 定期上映会

沖縄は、どこに「復帰」したのか?
講演・太田武二
(命どう宝ネットワーク)

普天間基地の移転、オスプレイの配備強行、米軍将兵による強姦・暴行など、沖縄をめぐる問題が報道されない日はない。しかし これらの問題はなにもここ数年に限ったことではない。オスプレイ配備は危険な機体の配備ということだけではなく、軍事基地機能という危険性そのものの強化 にほかならない。性犯罪は米軍による沖縄の暴力支配のひとつのあらわれかただと言えるだろう。これが「天皇メッセージ」によって合州国に売り渡された沖縄 のずっと続いてきた現実であり、「復帰」40年後も変わることない支配実態である。加えて尖閣諸島の問題がある。のぼせあがったナショナリズムは、まるで 在日米軍基地の大半を押しつけてきた現状を正当化しているようだ。
「もう、たくさんだ!」──沖縄の発する声は、「本土」に住む私たちにどう届いているだろうか。沖縄諸島をめぐって長く思索・行動・発信し続けてこられた太田武二さんを招いてお話を聞く。1879年の武力併合(琉球処分)以来の歴史を踏まえて。

2012年10月27日

plan B定期上映会

講演●野宿者コミューン! 江東区竪川で起きていること
杭迫隆太(竪川を支える会)

江東区・竪川河川敷公園において、テントで暮らす野宿者たちと江東区との間で、排除をめぐる攻防が2006年以来6年も続いている。
江東区は「水辺と緑の町」を標榜し、「観光名所」としての再開発に乗り出し、長年この地に住む野宿者たちの追い出しに乗り出した。こうしたなかで、山谷と竪川の現場を結んで排除に抗する闘いが始まり、江東区との話し合いも数十回を数えたが、今年2月には行政代執行が強行され、支援者1人が逮捕・起訴された。さらに、テント集住エリアにフェンスが張られ、通行を禁止、中学生による襲撃(投石)という事態も起きている。スカイツリー開業に伴う東部圏の再開発と並行して、隅田川や荒川など、野宿者の拠点が危機にさらされている状況もある(山谷周辺の風景も変容)。
竪川は今、どうなっているのか、都市再編の中の野宿者コミューンの現状を報告し、野宿者運動の展望をともに考えたい。

2012年5月12日

plan B定期上映会

講演●光州からソウルそして東京へ――テント芝居『野火』公演  
池内文平(『野火』作・演出)

2012年4月6・7日韓国光州、4月11・12日ソウル、そして6月23・24日東京。日韓のメンバーとともに転戦の『野火』について作・演出の池内文平に語ってもらう。
出演○ばらちづこ・おかめ・森美音子・瓜啓史・リューセイオー龍・桜井大造・疫蝿以蔵、そして韓国光州のシンミョンの役者たち。

2012年3月3日

plan B定期上映会

ウォール街を占拠せよ――オキュパイ運動について私の見てきた2、3のこと
小田原 琳(大学非常勤講師)

2011年のはじめ、私たちは中東で高まりを見せていた、後に「アラブの春」と名づけられる民衆蜂起を見守っていました。3月11日以降は、この日本の社会が、世界からの注目を浴びる場となりました。それは当初は自然災害と原発事故の惨状と恐怖によるものでしたが、原発反対を訴える街頭行動が爆発したときそれに最初に注目したのも、国外のメディアでした。同じころスペインでは怒れる若者たちが広場を占拠し、ギリシャでは望みもしない借金を無理やり取り立てられることに抗議する人びとが立ちあがっていました。そして9月、ウォール街占拠が始まります。2011年とは、それぞれの場でそれぞれの理由で人びとが立ち上がり、海を越えて、たがいを共感をもって見つめてきた年でもあったのです。オキュパイ運動のはじまり、そしてそれが胚胎するものが私たちにとってどのような意味をもつのか、ほんの少しだけ見てきたことを含めてお話したいと思います。