2024年8月8日 ベルリン上映会報告

この上映会はドイツ・ベルリンのSavvy Contemporaryで開催された表現と労働に関する展覧会 “Labo*r - An Invitation To Action… A Basis For Hope” の一環として行われました。

2024年8月、イスラエル占領軍によるガザでのジェノサイドが始まって10ヶ月が経過しており、多くの人にとってこの上映は深い悲しみと怒りの中で行われました。ベルリンにはヨーロッパ最大のパレスチナ人コミュニティがあり、主に非西洋諸国のアーティストの作品を展示するSavvy Contemporaryのコミュニティにもパレスチナ人やパレスチナ解放運動に関わる人が多く含まれます。その反面、ドイツ政府はイスラエルへの無条件の支持を掲げて、パレスチナに関連する言論の弾圧を強化しています。

 

会場となったSavvy Contemporaryも、一つ間違えれば施設の閉鎖につながることが通告されている厳しい状況下での開催でした。

上映会には多様な移民ルーツを持つベルリン在住の人々約50人が参加しました。山谷や釜ヶ崎の運動に長年関わってきた経験を持つ参加者もおり、上映後には1時間半のオープン・ディスカッションが行われました。

最初に、山谷や釜ヶ崎をはじめとする寄せ場の現状や歴史的な背景について、現地の知識を持つ参加者から説明がありました。その後、現代のギグワークが非常に不安定な雇用形態であり、日雇い労働と類似している点や、イタリアで移民労働者を管理するマフィアの存在など、様々な感想が参加者から寄せられました。

また、佐藤監督や山岡監督の殺害、イスラエルによるパレスチナ人のジャーナリストや作家の暗殺について、抑圧に抗う文化労働者の身体的危険や弾圧についての議論が行われました。イラン出身の参加者が、イランで秘密裏に映画の上映会を行うコレクティブの活動と、そこに在籍する知人が政府により収監されていることを共有しました。

 

また、Savvy Contemporaryのような「脱植民地」をテーマにした文化施設が、ドイツ政府によるパレスチナに関する言論統制に屈していることに対して批判の声が上がりました。労働運動やパレスチナ解放運動のような人々の生存に直結する政治課題が「芸術」として消費されることへの危機感と、既存の構造の中からの変革を起こす限界についての議論が交わされました。

最後に、本上映会を含むアートスペースがどのようにして特定の人々を排除し、地域の再開発に加担しているかについての問題提起があり、ディスカッションが締めくくられました。ベルリンは、文化事業に豊富な公的助成金を提供していることもあって、世界中から多くの文化労働者が集まります。弾圧や紛争で出身国を追われた人も多く、ドイツのリベラル化された文化経済ではそのマイノリティの「痛み」や「記憶」を表現することが労働として評価されます。しかし、公的助成金に依存する既存の構造では、政府の弾圧に抗うことができないことが明らかになりました。文化を通じた抵抗を根本的に見直す必要がある今、「山谷ーやられたらやりかえせ」と40年以上続くその上映運動から多くを感じる上映会になったように思います。

(吉川彬 記)

2023年12月3日

寺島珠雄と「労務者渡世」をめぐって

前田年昭(調理補助パート労働者、元「労務者渡世」編集委員会代表)

 今回のミニトークのテーマは「寺島珠雄」です。寺島珠雄はアナキズム詩人。1925年東京生まれ、千葉で育つ。戦後、土工や鉄筋工などの肉体労働をしながら山谷などを流動し、66年以降、大阪・釜ヶ崎に移り住んだ寄り場の大先輩です。73年、「新日本文学」2月・5月号に寺島編「釜ヶ崎語彙集(抄)」を掲載(この「語彙集」の完成版は寺島の死後、2013年に新宿書房から上梓された)。74年、月刊の雑誌「労務者渡世」の創刊に参加する。「労務者渡世」は76年に16号分がまとめられ、風媒社から単行本『労務者渡世──釜ヶ崎通信』として刊行された。
 寺島はまたアナキズム詩史に通じ、『時代の底から 岡本潤戦中戦後日記』、『小野十三郎著作集』全三巻などを編集。著書も多数で、詩集『まだ生きている』『わがテロル考』『あとでみる地図』ほか、自伝『どぶねずみの歌 廻転し、廻転する者の記録』、『釜ヶ崎 旅の宿りの長いまち』『アナキズムのうちそとで わが詩人考』他、がある。1999年、『南天堂 松岡虎王麿の大正・昭和』の出版間際に死去した。
 今回、お話くださるのは、当時の釜共闘(暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議)メンバーで、寺島さんと「労務者渡世」を一緒につくった前田年昭さん。前田さんは新宿書房版『釜ヶ崎語彙集1972-1973』の編集者でもある。

琉球弧の要塞化を問う! ――馬毛島の軍事化反対運動から

トーク:和田香穂里(前・西之表市議会議員)

かつては馬毛島にも人の暮らしが…

司会 ミニートークに移っていきたいと思います。本日は、馬毛島の軍事化反対運動を続けてこられました前西之表市議会議員の和田香穂里さんをお呼びしまして、〈琉球弧の要塞化を問う!〉というテーマでお話を聞いていきたいと思います。では、よろしくお願いいたします。

和田 ようこそおじゃりもうした。種子島弁で、「ようこそいらっしゃいました」です。「めっかりもーさん」。これは種子島弁でこんにちはという意味です。そして何人かの方々は「とーどーしゅーございます」。というのはお久しぶりでございます。11年経ちまして、種子島で種子島弁もそこそこ身に付いた私でございますが、レジュメにもありますように、東京生まれの埼玉育ちで、この先ほど観た『山谷』の上映にも関わらせていただいたこともあります。
そんな私ですが、11年前に連れ合いのふるさと種子島に帰郷というか、移住をしまして。連れ合いは、ですからUターンですね。私はIターンで、種子島に暮らし始めたその年の6月に、防衛省が米国との2+2で馬毛島のことを決めたということがありまして、ずっと馬毛島のことについて取り組んでいます。で、この前西之表市議会議員という肩書は私はあんまり好きじゃないんですけれども、たまたま馬毛島のこともあって、選挙に2017年に出たんですが、これもたまたま通りまして。で、約4年間1期務めたんですが、2期目はこの見事に落ちまして、今は普通の一般市民です。一般市民という言葉が良いかどうかわかりませんが、市民として馬毛島問題に取り組んでいるところです。では、座ってお話をさせていただきたいと思います。
まず初っぱな何で自衛隊基地反対なのかということ。多分ここに来てくださっている方にいちいち説明するほどのことではないのかなとは思うんですが、とにかく戦争につながるのはNoと、拒否・阻止。そういう思いでやっているんですが。でも、実際には地元にも「自衛隊歓迎、自衛隊に基地をつくってもらって交付金ももらって、ちょっと島が元気になったらいいんじゃないの」っていう人とか、「国のやることなんだから、何か言ってもしょうがないでしょう」というような人もたくさんいます。いますけど、やっぱりだめなものはだめ。嫌なものは嫌、そういうことで私は反対に取り組んでいるところでございます。さて、これまで馬毛島ってさっきから言ってるけど、そんなところは一体どこじゃろか、という方々は関東地域には多分たくさんいらっしゃると思います。地図をごらんいただきますと、九州の一番南ですね。沖縄が九州に入るかどうかっていうのはちょっと置いておきます。鹿児島県です。鹿児島県に種子島という島があります。これはロケットの打ち上げとか鉄砲伝来とかで皆様、名前をご存じだと思いますが、お隣が世界遺産の屋久島です。その種子島、実は小さな島ではありますが、1市2町ありまして、一番北側西之表市というところの西側約10キロ、そこに馬毛島という島があります。
地理的位置はこういった具合でございます。で、馬毛島はどんな島かというとですね、これは2002年当時、今から20年ほど前の馬毛島の姿です。緑が豊かで、周りは魚とか貝とかイセエビだとかタコだとか、とにかく豊かな漁場となっていたこの馬毛島でございます。希少な動物、絶滅のおそれがあるマゲシカ。そういったいろいろな動物。それから真ん中はナガラメ。これはトコブシです。アワビによく似た1枚貝、トビウオやミズイカ、それからもちろんイセエビですとかね。そういった高級食材もバンバン捕れる島でした。馬毛島と人との暮らしということで、説明にはあるんですが、ずっと長いこと馬毛島は定住者はいない島でした。ただ、季節に応じて漁業基地として、特にトビウオ漁のために種子島の方から、浦と呼ばれる漁村単位で馬毛島の方に小さな集落を、仮の集落をつくって、そこでトビウオ漁をして、そういうふうに使われてきた島ではあります。で、1950年代、要するに戦後ですね。種子島とか、他の鹿児島県内とかから入植っていうのかな…始まりまして、一時期は500名を超える人がそこで住んでいました。小中学校もありました。定期船も通ってました。ですから一度も人が踏み入れたことのない前人未踏の絶海の孤島というわけではございません。
で、ですね。ここには古代の縄文時代の遺跡があったりとか、それから古い石塔があったり。それから馬毛島は一番高いところでおおよそ71メートルの島なんですが、その71メートルのてっぺんのところには、太平洋戦争の時に使われたトーチカというものがあったりします。ということはですね。誰も足を踏み入れたことがないわけでなくて、種子島のすぐそばにあって、種子島の暮らしと密接に結びついてる島だったということです。ちなみに広さが8.2平方キロメートル。それがどんなものかというとですね。よく引き合いに出されるのは東京ドームですね。東京ドームが約170個入ります。けっこう大きいんですよね。これを皇居に換算いたしますと皇居が3.5個入ると。大体そんな感じの大きさでございます。そこそこ大きいんですね。

米軍艦載機の離発着訓練のための施設――2011年発表計画

じゃあその馬毛島なんですが、自然環境の事は先ほど言いましたね。本当に種子島からすぐ目と鼻の先にあって、実はこの中にも種子島に来てくださった方がいらっしゃるんですが、よく晴れた日、種子島から馬毛島を望むと本当に間近なんです。その間近の島で一体何が計画されているかというと、自衛隊基地を作る。自衛隊基地を作って米軍の空母艦載機の離発着訓練にしようという計画が、今もずっと持ち上がってきて、それについて私たち闘ってるわけなんですね。
それが決められたのがこれです。平成23年でありますが、2011年ですね。2011年6月21日、なんと私と連れ合いが移住したのが6月20日でございます。なんという因果な運命だったのでありましょうか。
で、ですね。この下になります。「新たな自衛隊の施設のため、馬毛島が検討対象となった。南西地域における防衛体制の充実の観点から、同施設は大規模災害を含む各種事態に対処する際の活動を支援するとともに、通常の訓練等のために使用され」ここから先が大問題になったんですが、「あわせて米軍の空母艦載機離発着訓練の恒久的な施設として使用されることになる」。このように、本当に地元に事前の何の説明もなく、いきなり「というようなことになりましたから」という発表があったわけですね。
じゃあその具体的にはどんなことになるのかというところなんですが、まずその2011年にこれが発表されました。で、この8.2平方キロメートルの馬毛島。今は1980年からは無人島になってしまった馬毛島。一般的な評価で…そうですね。3~4億円でしょうかね、というふうに不動産屋さんが言う馬毛島なんですけれども、国はここを取得しようとして鑑定をしました。鑑定評価額が45億円だそうです。国の45億円。それに対して、そこをほぼ全体を取得していた企業は450億円でなら売ってやるよと、何と10倍の開きで。そんなところではあったんですが、2019年にそれが160億円で売り買いすることになりましたという発表がありました。そこからもうあっという間に進んでいくんですが、その160億円というのも実は評価額の3倍以上の160億円。企業が違法に開発したその馬毛島の開発したコストも見てあげましょうという、とんでもない話ではありますが、防衛省が馬毛島をおおむね手に入れることになった。
それとですね、その160億円なんですが実は全く国会審議はされていません。科目間流用といって、予算には何か項目があるんですよね。その項目間で動かしてもいいよっていう部分があって、なんとなんと辺野古の関連予算。その中から今これぐらいは辺野古では使わないから、これを使って馬毛島を買いましょうという、そういうとんでもないことがされていたりするんです。それもね、ほとんど知られてないことではあるんですが。そういうことで国有地にほぼなることが決まってしまいました。実際にはまだ6割ほどしか防衛省は取得していないと言われています。というのは幾つか理由があって、その土地を持っているその企業が、やっぱり全部手放しちゃうとお金を引っ張れないという思惑があって、手放さない部分がある。それからわずかではあるんですが、西之表市が持っている土地がある。個人が持っている土地がある。それとですね、実はほとんどその企業が持っているとはいっても、その企業が借金をしているので、その抵当に入っている、借金のカタになっていたりするんですね。なので全部はまだ防衛省は取得していないんですが、その借金のカタっていうのがひどい話でして、借金のカタになっている、つまり、抵当権にされているような土地は実は国は買うことができないんです。でもどうしたかというと、借金のカタになってないところの土地のお金をまず払う。そのお金で借金を企業は返して抵当権をなくす。そしたら、また、そこを国が買うと。「おいおい国は税金で1企業の借金を払ってやってるのかよ」っていう、そういうひどいやり方です。

米軍のタッチアンドゴーをはじめとする訓練

次がこの、今ご覧いただいているのがさっきも言いました馬毛島に自衛隊施設を整備する必要性というのを、防衛省は3つ出してます。陸海空自衛隊が訓練活動を行い得る施設、主に訓練拠点と言われています。2番目が整備補給と後方支援における活動。これはいわゆる兵站拠点ですね。で、3番目が米軍艦載機の離着陸訓練。その①番、これはちょっと資料としては少し古いんですけれども、内容は今ずっと言われていることと変わりません。陸海空自衛隊がその3自衛隊がまとまって訓練をできる場所っていうのは、実は日本国内には今のところはありません。で、どんな訓練をするかって発表されたのが、ここにあるほぼ12種類ですね。大ざっぱに12種類、最初の連続離着陸訓練でF-35,F-15,F-2等とあります。連続離着陸なのでいわゆるタッチアンドゴーというわけです。キュウーっと降りて来て、ほとんど着くか着かないかで、またブワっとエンジンを吹かせて飛び上がっていくタッチアンドゴー。これがあとで説明する米空母艦載機の離着陸訓練、FCLPと同じ形の訓練で、厚木や岩国でとんでもない騒音であると住民から苦情が殺到して何度も訴訟にもなっていて、裁判所も耐え難い騒音であると認めている訓練です。
その次に「模擬艦艇発着艦訓練 F-35B」があります。このF-35Bっていうのは、垂直に離陸できるのかな。それがまたものすごい騒音と、それから噴射をするわけなのでものすごい熱とか。特殊な(地面の)舗装をしなければならないとんでもない訓練だそうなんですが。
あといろいろある中でこの2段目ですね。エアクッション艇とか離着水とか水陸両用訓練。この辺は日本では3年くらい前に創設された水陸機動団、日本版海兵隊と言われているその自衛隊の水陸機動団の訓練が主になります。簡単に言うとですね。水陸機動団―日本版海兵隊というのは、例えば島が敵に占領されました。その占領された島に乗り込んでいって、その島を取り返すという、なんだかえーと、アニメじゃないんだからっていうようなその作戦のための部隊ですね。そして、最後の段の一番左です。ヘリコプター等からの展開訓練、CH-47,V-22とありますが、このV-22、オスプレイのことです。もう皆さんはオスプレイの悪名は、説明するまでもなく御存じだと思います。「空飛ぶ棺桶」とか、「未亡人製造機」とかそう言われている欠陥機ですね。そしてそれが佐賀空港に自衛隊のオスプレイが配置されるというふうになってて、佐賀の方がまだうんと言ってないので配置にはまだ至っていないけれども、大体決まってしまうのではないかなと。そのオスプレイが佐賀空港から九州の上空を飛んで馬毛島にやってきて訓練をすると。そういうのが馬毛島の基地で行われようとしてます。
この2番はちょっと私資料を用意してないんですけど、「整備補給と後方支援における活動」。これは鍵括弧でいう『有事』。要するに戦闘事態、戦争ですよね、一言で言えば、それが起こった時に物資とか武器とか弾薬とか、そして隊員・人員をそこへ集めて、それから戦闘地域へ展開していく、そのための拠点であると。「大規模災害等」ってくっつけてますけど、そんなのは後付けというか、とりあえずそう言っとかないとねっていうだけであって、実際の目的は戦争のためです。戦争の補給と後方支援、そしてこの後方支援は実は安保法制によって、そして集団的自衛権を認めたことによって、アメリカが、米国が戦争した時のその後方支援にも使われるということです。あんまり取り沙汰されてないんですけど、そういうことです。
そして3番の「米空母艦載機離着陸訓練 FCLP」と言われるものですが、米軍の空母というのは横須賀を母港の一つにしてるんですけれども、その空母に向かって、戦闘機が、空母はでっかいですけれども、海にいて、空から見たらほんのちっちゃな点です。そこに上手に着陸して、またそこから上手に飛んでいくためには訓練が必要です。その訓練をFCLPと言います。細かいことは言わないんですが、そのFCLPというのはさっきも言ったようにタッチアンドゴーを繰り返す。その訓練で地上を甲板に見立てて、何度も何度も着陸離陸を繰り返すタッチアンドゴー。物凄い音がするそうです。私は本物の音は聞いたことありませんが、かつて1970、80年代前半までかな、厚木基地で行われていたそうです。でも、本当に物凄い音でものすごい苦情が近隣の自治体とか防衛省とかに寄せられて、訴訟も何度も起こされて厚木ではもうできません。「してもらっちゃ困ります。じゃあしょうがないね」ということで今、小笠原の硫黄島の方で進めている訓練ですが、この米軍のこの空母艦載機という戦闘機ですよ、その戦闘機が米軍再編ロードマップの中で岩国に移駐する。要するに岩国に持っていくっていうことが決まりました。もう既に岩国に持っていかれているんですが、ちょうど普天間ではなくて、普天間の基地の負担軽減もあって、辺野古に基地をつくろう、新基地とは言わないんですけどね、辺野古移転っていうことが決まったのと同じ時にこの岩国移駐というのが決まっています、同じ流れの中で。
なので、実は馬毛島の問題も辺野古と根っこというか、出発点が一緒なんだなっていうことを私もこの運動している中で知ったんですが、その岩国に移駐したというところで、厚木から硫黄島まで訓練に行くのと、岩国から硫黄島まで訓練に行くのでは距離がえらく違うと。そんな遠い距離まで訓練に行くのは、いろいろ面倒くさいからもっと近いところで訓練できるところを探せというのが米軍からの要請でありまして、それに応える形であちこち探して馬毛島がよかろうということになったということなんですね。で、この訓練も年間に多い時で2回、だいたい5月と8月ぐらいと言われています。一回の訓練が20日ぐらい。最初の頃はですね「年間に2回、20日ぐらいだったら、それだけ我慢すればいいんだったらいいんじゃないの」という声も地元にはありましたが、まあ、そんな単純なものじゃなかったんですね。

対中国を想定した南西諸島の自衛隊配置

これが馬毛島にできる基地の大雑把な図面です。ご覧のとおりですね。滑走路が2つあります。主滑走路というのは、こっち側ですね。で、横風用というのは、種子島、馬毛島は季節風の影響を受けるところということで、横風を受けると離発着ができないから、その横風を受けない、風に向かって飛び上がるんですね、飛行機ってね。で、そのための方向、2方向の滑走路があります。
それから、右の真ん中辺に仮設桟橋とか係留施設等とあります。係留施設って何だよっていうと、簡単に言えば軍港です。実は南西諸島と言われる琉球弧、自衛隊の基地がたくさんあるんですけど、大きな軍艦が係留できるそれなりの広さと深さを持った港というのが少ないんですね。で、今、馬毛島に予定されているのは、空母に改装することが決まっている「いずも」とか、そういう軍艦が難なく泊まれる大きな軍港を作るということになっております。そして、さっきナガラメ―トコブシとかイセエビが取れるって言った、一番取れるところがそのちょうど軍港の辺りなんです。最も本当に豊かな漁場の辺りが、全く使えなくなってしまう。永久にその漁場は奪われてしまうことになります。
じゃあですね。この馬毛島に基地を作るその背景というか、どういう流れで馬毛島に作るのか先ほどその米軍FCLPのことは言いましたが、もっともっとあるのがこの対中国を想定した南西諸島を中心にした自衛隊の配置ということで。
私はあの南西諸島という言葉は行政用語でもあるのであまり使わず、琉球弧もしくは薩南諸島から琉球弧。薩南諸島というのは種子島とか屋久島とかあの辺で、大隅諸島とも言ったりしますが。まあ見事ですよね、これを見るとね。南から行くと与那国、もう監視部隊が実際に配備されています。で、石垣、宮古、沖縄島、奄美、馬毛島種子島ときて宮崎の新田原、佐世保。それから福岡の築城、佐賀ですね。そしてここには出てないのですが山口県の岩国と。これで中国が太平洋に進出することをここで止めると言ってます。その太平洋に進出。何か進出って聞いたことないですか、皆さん。どこかで昔、侵略を進出って言い換えたような記憶が。同じですよね。でも、その進出という言葉とか、それから実力での現状変更っていう言い方をしますが、要するに戦争をおっぱじめるときにはここで止めるんだ、という話です。
島嶼防衛という言葉もあります。島嶼防衛という言葉は、さも南の島々を守るんだっていうふうに聞こえてくるんですが、ここを見てわかるとおり、南の島々を弾除けにしてそして一体何を守るんだろうと思いますよね。守る…自衛隊風に言うと、領土・領海・国の主権を守るっていう話なんでしょうが、まあ、国益という言葉も最近、時々マスコミでも聞きますね。かつて自衛隊の幹部だった人が守るって言った時の国というのは、「我が国の伝統的な天皇をいただいたその国柄を守るんだ」ということで、そういうことを言ってた人もいます。
実はこれって、自衛隊がというだけでは今ありません。先ほどから言っている「米軍が」というのが全部絡んでます。米国は中国の進出を太平洋進出を歓迎しない。どうしてもそこんとこで止めたい。そのことで何かドンパチが起きた時はここを舞台にドンパチしてもらって、米軍はちょいとグアムの方まで引いてというのが少し前の戦略でした。でも、昨年12月には、米軍は何かことがあった時、台湾有事を想定してと言われているんですけれども、この島々に分散配置をしてそこで戦うって言ってるんですね。先ほど「沖縄を再び戦場にするな」というお話と、チラシが配られたと思うんですけど、まさにこの島々を戦場にするというその日米の、日米というよりは米軍が主体なんですが、そういう計画が着々とこの南の島々で進んでいるんだということです。
すごいですよね。これを見るとね。今言ったように南の島々を戦場にって万が一そういう事態になったとき、南の島々に…言っておきますけど、無人島ばかりではありません。というより無人島じゃないからこそ、自衛隊配備されてるわけですよね。住民が住んでおります。自衛隊員だけがいるわけじゃありません。そもそももともと住民が美しい海と緑の中で長いことそこで営みを続けてきた。その住民のことは一つも想定されていない。それがこの南西シフトと呼ばれる琉球弧の軍事要塞化。

自衛隊は軍隊、有事になったとき住民を守らない

もしここからですよ。宮古でも石垣でもミサイル部隊が配備されますよね。そこからどこそこへミサイルを打ちましたっていったときに、当然相手方は撃ち返してきます。どこに打ち返してくるかといったら、やっぱり先ずは飛ばしたところに打ち返してくるわけですよね。基地があるところが標的になります。当然です。そしてじゃあ馬毛島はミサイル配備されてないから標的にならないんじゃないのって。とんでもないです。兵站拠点を一番先にたたく。これは戦争の常識、セオリーです。どこも軍隊があるところが標的になります。そのとき、住民をどうするかって言ったときにですね。実は自衛隊幹部の言葉がその12月の新聞報道のときに載ってたんですが。何て言ってるかというと、「日本列島は米中の最前線。台湾をめぐる有事に巻き込まれることが避けられない。申し訳ないが自衛隊に住民を避難させる余力はないであろう。自治体にやってもらうしかない」と言ってるんです。でもそうなんです。元からそういうことになってるんです。だから国民保護法って名前を聞いたことがある方もいらっしゃると思いますが、国民保護法って、それこそ戦争が起きたときにどうやって国民を守るのか、国民の生命財産を安全を守るんだっていう話なんですけど、それを主体的にするのは自治体ということになっています。自衛隊は何をするのか。戦うんですね、そのときはね。
実はですね、種子島に数年前に石破茂が講演に来たんです。当然呼んだのは自民党関係者なんですが、そのとき石破茂もはっきり言ってました。「自衛隊は災害救助隊ではありません。もしも有事と災害と同時に起こったら有事を優先します」。それが自衛隊、自衛隊という名前ではあっても軍隊です。軍隊というのは、そういうものだっていうことを、やっぱり私たちは一つ、しっかりと認識しておかなきゃいけないのかな、と思うところです。そして最近はもし何かあったときにどうやって逃げるんだと。誰かが石垣か宮古で試算したら何か飛行機を何十回、何百回も飛ばさないと島民の避難はできません。そんなことはあり得ない、できない非現実的である。それじゃ何を言ってきたかったというと今度は「シェルターを作りましょう」。シェルターですか。横文字でいうと何となくかっこよく聞こえるんですけど防空壕ですね。防空壕って言ってもらった方が、よりリアルに戦争の感じが出るんじゃないんですかねって私は思ったりするんですが。最近シェルターを作れということがメディアで取り上げられたりしています。
こういったことが着々と進んでいて、これがですね。これはちょっと古いんですが、2018年の産経新聞に載ったものですね。これは馬毛島を主体に考えた時に、どんなふうに使われるのかっていうことで、岩国とか築城とか新田原とか、そういうところから馬毛島に来て訓練をするんだよということで。これは米軍のオスプレイが沖縄から分散配置で来るって。結局ですね、分散配置っていうのもちゃんとここに書いてあって、後から、最近になってから報道はされているけど、自衛隊とか米軍はとうにそういう計画を立てて、それに向かって着々と進んでいるんだっていうのが、もう2018年にあるんですね。
これですね。「南西諸島 米軍臨時拠点に 台湾有事 日米が共同作戦案」と。そんなふうになっているわけでございます。これは沖縄の方でも相当な衝撃を受けて受け止められたようです。とんでもないクリスマスプレゼントだというふうにね。
実はこの次の日に、馬毛島につくるのに3,185億円だったかな…の予算が閣議決定されました、っていうのがあるんですけども。これです。その中に、住民を守る余力はありません。なんていう話も出てくるわけです。これはちょっとまた後でまた持ち出してきますが。

アメとムチの「アメ」――それが米軍再編交付金

どんなふうに今、馬毛島が位置づけられているのかというお話をしたんですけれども、実はこの資料とはちょっと別で、今の話にちょっと戻るとですね。馬毛島に基地ができますが、種子島の方にはその基地に働く人。要するに、自衛隊員の宿舎とかは種子島に置くと、馬毛島に自衛隊員が通勤する形になるんですけれども、結構海がしけて多分通勤ができないこともあったりする。そのために、種子島側にもちょっとした訓練施設とかをつくろうということになっています。それから、あと車両を整備するのは種子島側に作る。ということはですよ、馬毛島の基地反対って私たち言ってるんですが、実は種子島も一体として運用されるんだという計画はもう既に決まっているわけですね。
そうしたときにですね。じゃあ、何でどういうことが問題になってくるのかと。基地建設とか訓練が引き起こす問題。住民がどんなことを不安に考えているのか、どんなことが疑問なのかっていうことが、このレジュメの4番のところになるんですが、まず一番こういうやり方をするんだよなっていうのがアメとムチによる計画の強行、計画をがんがん進めていく。そのアメとムチのアメのところが大きいんですね。で、この「10年間 290億円超」っていうのは、いわゆる米軍再編交付金と言われるものです。で、米軍再編後、あの基地関連のその財政措置というのは幾つかあるんですね。米軍関連の何かしらがつくられる。その米軍再編ロードマップの中で、米軍の機能をあちこちに移転する分散する、そういったところに協力する形になる場合に、米軍再編交付金というのが交付されます。で、その米軍再編交付金は実は基地とか、そういう関連施設できる前から公布されるんです。ただし、それに対して反対する自治体には交付されません。ここがムチですよね。使い方としては結構いろいろ自由に使えます、自由度が高いですということで、公共施設をつくったり、いわゆる箱物はつくれるんですが、そのほかに医療や福祉事業から、各種イベント・農業漁業の振興とかなり使い勝手がいいと言われている交付金です。そのほかに基地があることによっていろいろ生活に影響が出る。その影響を少なくするための民生安定助成事業補助金とか、それから特定防衛施設周辺整備調整交付金などなど。その他に一般的な基地交付金と言われるものもあって、それは基地には固定資産税がかからないので、固定資産税代りに交付されることになっています。
でも、この再編交付金に関しては、その他のは基地ができれば当然交付されるんですが、再編交付金に関しては仮に基地ができても地元が協力的な姿勢を見せないときには交付されないという。それ誰が決めるのかってのは、だから交付する側が決めるわけですよね。国、防衛省。「おまえのところは協力しないから出さないよ」みたいな。とんでもないそういう交付金をアメとして見せてきたのが、この10年間で290億円ということです。この10年間は何かというと、この米軍再編交付金は10年しか支給されないんです。その計画をとりあえず受け入れましたっていう時から10年。それもその交付の割合っていうのが実は100パーじゃなくて、例えばの話ですよ、この交付金を使って体育館をつくりたいですって言ったときに、じゃあ最初は10割で認めましょう。最初の年度はですね。体育館をつくるのに、例えば大ざっぱに100億円かかります。最初に100億円分をボーンとくれるわけじゃないんですよね。今年はその体育館をつくるために「じゃあ10億円必要なんです」としたら、最初は10億円くれるかもしれないんですが、2年後、「まだ出来上がらないんですが、ことしは5億円必要です」って言っても2億円しかくれないとかね。そういういろいろあるんですけど、そういう交付金です。
まあ本当に、実は原発なんかもそうなんですけど、何か大きな公共事業とかってするときに、ずっと私たちの住むこの国は札束で住民のほっぺたを引っぱたくやり方をずっとずっとずっとしてきているんですね。例えば、四国にかかったでっかい橋、なんちゃら大橋みたいなああいうときもそうです。どこどこの原発とかもそうです。昔はもっと何かあからさまだったといいますよね。本当に札束をボーンと積むんだそうですね、1億円ぐらい。大体の人は転ぶと。ホントですよね。目の前に札束があったら。私だったら100万円の札束も見たことないのに、それをこう幾つも積み上げられたら。それが私のものになるんだと。そういうやり方をする。それで人の心を惑わし分断していくっていうのが国のやり方です。
これはね、後でまた説明しますが、西之表の市長はね、最初は反対って言ってたんですけどね。反対とははっきり言わないけれど、「計画には同意できない」って言ってたんですけど、「交付金を受けにいこう」となってくるんですよね、やっぱりね。行政も転びます。

耐え難い騒音、環境破壊、住民の分断などさまざまな問題点が…

それから何が問題かっていうところでちょっと資料の用意してないんですけれども、先ほども言った騒音です。厚木や岩国で何度も訴訟が起きても、厚木の場合は第5次まででしたかね、訴訟が起きています。毎回ですね。「この騒音は耐え難いものである」って裁判所は認めるんです。だから補償が出るんですよ。その補償金もね、元は私たちが払ってる税金なんですよね。とてもおかしな話なんですけど、誰が補償してるかといったら「国が」っていって。国が出すそのお金って、私達の税金じゃない?それもおかしな話なんですが、とにかくその酷い、耐え難い騒音であるというのは認められています。
それも相模原とか、例えばあの周辺でFCLPが行われると、ものすごい数の苦情の電話が地元の自治体に入ってくる。まあ、普段この辺はやっぱりうるさいんですよね。ほかの戦闘機もうるさいので苦情の電話が入るんですけど、FCLPだとボーン跳ね上がるんです、苦情の件数が。そしてそれは岩国もそうなんですが、本当に基地の周辺だけではないんですね。20キロぐらい離れたところから苦情の電話が入ってくる。ってことは、それぐらい離れているところにもひどい騒音を感じる人がいるということですね。で、騒音の感じ方とか人それぞれだから、必ずしもその100パー的な数値では表せないんですが、それでもこの辺が騒音を受ける地域、75デシベルくらいの地域ですよっていうのを大体設定してるんですが、どこの地域でも。そこから大きくはみ出しているんですね。で、馬毛島は先ほども言ったようにすぐ目の前です。種子島の10キロほど約10キロと言われています、一番近いところで。その間には何もないんです。海だけです。遮るものは何もないです。ですから、騒音もダイレクトに多分種子島に届いてくると思います。その騒音によってどんなことが起きるかというと、例えば夜眠れない。これはもう厚木・岩国でたくさんの人が言ってます。とてもじゃないけど眠れない。この中でジェット戦闘機の音を直接聞いたことのある方はいらっしゃいますか。いらっしゃいますね。はい。だからそういう方は御存じだと思いますけれども、ただ大きい音とかうるさい音じゃないんですね。ジェット戦闘機の音って何かあの金属音、キーンっていう金属音を伴ってて、神経を逆なでされるようなそういう音だと思います。私も映像でしか知らないんですけど。だからただ大きいとか、ただうるさいという話じゃない。そういう騒音だと子供が夜泣きする、怖がって眠れない。それからもともと普通の大人の人でも不眠になる。その他に種子島は実は酪農とか畜産が盛んなんですけれども、牛とか豚が子供を産まなくなる、流産や死産が増える。そういうことも言われてます。でも、それって統計をとっているわけじゃないんですね。どこでもね、実は。本当はそういうことをしてこなければいけなかったんです。いろんな基地でですね。でもそれを防衛省は認めないんですよね。そんなことはありませんって言うんですが、そういう心配があります。
それからどんな問題があるかというと環境破壊。まずですよ。島を丸ごと基地にしようって言うんですから、島の自然はほぼなくなると言っていいと思います。馬毛島の環境破壊もそうですが、もちろん先程言ったように種子島の中にもいろいろなものを作るので、そこにあった自然は破壊されていく。
あと、事故や事件ですね。これはもう沖縄のことを皆さん御存じだと思うんですけど、米軍だけじゃないです。自衛隊も各地でさまざまな事件や事故を起こしています。それは私、その一人一人の軍人とか自衛隊員を責めるべきではないと思ってます。軍隊ってそういうところだから、やっぱりいろんなストレス、いろんなものを抱えて、もしかしたら明日は自分の命はないかもしれない。そういうストレスの中でもって事件事故って起こってくるんだろうなと思ってます。軍隊っていうもののあり方をやっぱり考えなきゃいけないだろうなと思います。
もっと怖いなと思っているのが、反対や賛成へと当然分かれていくと。今まで仲良くしていた島民たちがどんどん分断されていく。既にやっぱりあるんです。特に家族でとかね、ありますよね。おじい、おじいっていうの、夫のことで、「うちのおじいは賛成なんだけどね、私は嫌なのよ」。そういうことがどんどん増えていくと思います。そして、それって基地ができてしまったとしても決してなくならない。ずっとずっとこう楔のようにあり続ける、刺さった棘のようにあり続けることですね。例えばですね。漁師さんの間ではもう既に本当に大きな分断が起こっていて、馬毛島でずっと漁をしていた人達は反対なんです。反対なんですけど、そうでない漁師さんたちは結構賛成っていう感じで。何をしてるかっていうと、そのお金をもらって1日に7万円くらいもらって。すごいですよね、一日に7万円て。工事関係者を運んだりとか、それから工事をしている海域の監視をしたりとかっていうことをしています。ところが、その仕事をする時に「反対はしません」っていう何か念書を書かされるということで、馬毛島に反対をしている漁師さんのところにはその仕事は回ってこないんです。もう既にそういう形で分断が起きてて、それって辺野古でも同じことが行われたんだそうです。ちなみに7万て言いましたけど、だんだん下がってくるんだそうです、その金額は。最初だけね、見せ金じゃないけど。辺野古も同じことが行われたそうです。
そういう問題点が多々あるんですけど、防衛省はですね、そういった疑問に対しての説明と回答でも、ちゃんとした説明は一切してません。何て言うかって言うと、まあ公式発表が馬毛島が決まりっていうふうになるまではいつも「馬毛島はあくまでも候補地です」とか。それから環境アセスが今もう大詰めなんですが、「アセスの結果を見てから判断します」とか。それから「今はお答えを差し控えます」「現時点では考えていない」。そういうもう、答えにならないような答えを繰り返して、なおかつでも「住民の理解と協力が必要です。これからも丁寧に説明してまいります」。毎回同じ答えです。

西之表市長――反対、同意できない、そして黙認へ

地元がどうかっていうことで市長なんですが、実はこの市長は2017年に1期目を当選しました。その時の公約は馬毛島軍事施設絶対反対だったんです。ところが、当選した途端に「ニュートラルな立場で情報収集に努める」とか言い出したんですね。ちょっと怪しいなこの人とは思ってたんですが、私がちょうど議員になった時と、彼が1期目市長当選で一緒だったんで、その4年間は毎回、本当に毎回。多分私ともう一人ぐらいだけだったと思います、議会のたんびに一般質問で馬毛島を毎回取り上げたんです。そういうやりとりはしていったんですが、いつもやっぱりのらりくらりの感じで。ただ最後の年にですね、彼は選挙を意識したんだろうと思いますが、2020年の8月に「この基地建設は失うものの方が大きい。私たちは基地の経済に頼らずに島を豊かにしていける方法はないかと、それを考えるのが今を生きている者の責任だ」なんて、すごい格好良いことを言ってですね。本当に素晴らしいことを言ってるんですね「だから、私は計画に同意できない」と。その公式発表したんですけれども、で、それを信じてみんな応援しました。
で、2期目の選挙の時は一騎打ちだったんです。最初の選挙の時はいっぱい候補が立った中で選ばれたんですが、2期目の時は賛成派で自民党が立ててきた候補と一騎打ちでした。大体想像がつくと思うんですが、地方の選挙です。そして自民党がバックについています。相当お金、見えるお金じゃないですけどお金も使い人員も使った、もう相当な力をテコ入れをした自民党の賛成派候補を144票差でぎりぎりで制して、この八板俊輔っていうんですけどね、この人が2期目の当選をしたんです。私もね。自分の選挙そっちのけで応援しました。その結果かどうかかわかりませんけど、私は14票差で落ちたんでございますが。それはでもね、14票差での次点。それはもう私の力不足なんですけど、ただの残念なことに、仮に私がその14票をもうちょっと上積みできたとしてそして当選したとしても、その時落選したのは反対派なんですよ。だから馬毛島のことを考えた時には別に私じゃなくてもね、反対派のみんなは下の方でね。賛成派の方が上位当選なんですよ。
それは市議会の方ですけど、市長はそういう形で、なんとか辛くも二期目を勝ちとったわけです。本当にその時は、馬毛島反対の住民たちが草の根の運動をして、自民党のその物量的に圧倒的な力を持ったその選挙を打ち負かしたという形ではあったんですが。そしてこれがその選挙になる前のさっき言ったすごい格好いいこと言ってね、反対派と新聞などには書かれています。彼は反対という言葉はね、実は市長になってから一度も使わないんですが、「計画に同意できません」と言ってたのにもかかわらず今年の2月、「黙認」。これがですね。えーっとどういう風に言ったかっていうと、ここでも賛成とは言わなかったんです。賛成と言ったわけではない、容認といったわけではないんですけれども、防衛省に要望書を出して、最後の方にですね「交付金と、それから種子島西之表市内につくるその自衛隊宿舎については、特段の配慮を求める」という言い方でですね。で、そこで書かれたのが「黙認する」という、賛成でも容認でもない「黙認」。なんだかね。で、その時に書かれたのが「格差歴然」。この格差というのは、国との力の差のことです。で、「真意届かず 市民に戸惑い」っていうのは、市長の真意が本当はどうなのかよくわからない。賛成とは言わない容認とも言わないけど、反対は封印してしまった。何を考えてるんだ、ということですね。でも、その裏に「アメとムチ交付金で地元は相当揺さぶられました」と。実際に漁協・農協、建設業協会、商工会、観光協会。そういったいわゆる地元の経済団体からの圧力というか、「交付金もらってもっと活性化しなきゃだめだよ」って、「交付金来ればあれもできるじゃない。これもできるじゃない」「今はもう少子化高齢化過疎化が進んで、このままじゃ種子島西之表市の未来はないよ」っていうようなことですね。ゆさぶりがあったんだろうということで、実はついこの前の9月議会では、市有地を自衛隊の宿舎のために売ることを決めてしまいました
馬毛島の中にもさっき言った小中学校がありましたよ、って話があって、その小中学校の跡地は市が持ってたんですが、その馬毛島の小中学校の跡地と、それから種子島側の隊員宿舎にするために土地を売るという議案が市長から提案されて、可決されてしまいました。その可決されたところの議会の話は後でしますが、と同時に馬毛島の中にあった市道、この西之表市の市の道ですね、市道も廃止することを決めてしまいました。
ここで、「市長は原点に戻って」「反対って言ったじゃないか」「最初に言ったのに」ということを訴えたんですが。そういう提案が出るっていうのがわかって、もう市民もかなり言ったんですけど、訴えが届かなかったと。私もこの日、ここの立ってる人の向こう側にちょこっと写ってるのが私です。そこにいました。終わってから「裏切り者」ってつい叫んでしまいました。
これがさっき言った種子島に何を作るかっていう。これね、発表された時、実は西之表市には隊員宿舎だけだったんです。中種子町には隊員宿舎と管理事務所と錬成訓練施設と物流倉庫。南種子町には車庫や車両整備工場や自衛隊のヘリポートを作ります。中種子町と南種子町はもうとうに賛成して誘致、「基地を作ってください」と。「関連施設もつくってください」っていうのを防衛省に要望してきてて、西之表市だけが反対してたんですが。もうここがやっぱりアメとムチですよ、使い分け。「西之表市には隊員宿舎しかできないのか」と、「じゃあ恩恵がないじゃないか」と。「迷惑は被っても何の恩恵もないじゃないか」っていうふうに市民から「それじゃいくら何でもだろう」っていう声が非常に強く上がったということで、それも市長を揺り動かした原因かなと。
で、これが賛成派が行ったシンポジウムというかサミットなんですが、この右側に「自衛隊馬毛島基地建設計画による経済的メリットを考えるイベントです」。基地はですね、経済政策としてあるんじゃないんですけれども、何かそういうふうに、まあ本当にそう思っている人たちがいるんですよ。決してごまかそうとか、基地の問題点を…中にはいるんですよ。基地の問題点をごまかすため、目くらましのために経済問題を言う人。でも経済が良くなるんだったら、っていう考え方をする人がたくさんいるんですね。
これはですね、種子島で行われている自衛隊訓練の様子です。これは南種子町なんですけど、まるでね、上半分は絵はがきのような風景なんですが、これは水際地雷敷設装置といって水際に地雷を埋め込む装置。こんなのが実際に種子島で使われて訓練が行われています。
これは水際傷害構成訓練。何か掘ったり埋めたりするんですが。でも、西之表の住民たちはずっと反対をし続けてきました。選挙でもそうです。民意を示してきましたが、何かあるたびにこうやって集まって、こういう看板をまず町中にいっぱい立てて。でっかい看板があって、これはわりと最近のデモなんですけど。

議決権のない議長選出で失敗――反対派が少数派に

実は西之表市長が1期目当選した2017年の選挙時には、トータルで馬毛島反対派が取った票数が約7割でした、得票数の。でもこの4年、だんだんだんだんちょっと変わってきて、さっき言ったように市長は144票差、大雑把に言えば半々です。そして、議会は私が当選した時は16議席あって、10対…まあ1議席は微妙なので、議決権のない議長を除く15人のうち10対5で反対派は上回ってたんですが、この前の選挙では7対7になりました。7対7ですから、まあ何やっても半々になるんですが、そこで問題なるのが議長なんですね。議長というのは御存じのとおり議決権がないので、議長を出した方が、不利になるわけです。1票減るわけですね。だから大抵の場合は、そこでどっちが議長を出すかって何度も何度もやり合う。与那国はたしか90何回ですね、繰り返したそうなんですが。ここは西之表市の反対派7議員の本当に愚挙というか、何を考えてたんだろうと未だにわからないんですけど。まず反対派から「私、議長やります」っていう人が出たんです。驚いて「お前、何考えてんだ」って話なの。それでその人は、その前日か前々日に知り合いから電話がかかってきた時に、「私は議長をやる気はない」って言ったそうなんですよ。なのに出るって言って。そして、そしたらですよ。他の6議員は「でも駄目だよ、そんなの」ってその人に票を入れなきゃよかったのに。それでも決まっちゃったかもしれませんよ、その時に。でもね、なんとふたを開けたら全会一致で反対派の議長が選ばれたんですよ。未だになんでそんなことが起きたのかは、私には分かりません。もうその時、議会にいないから。分からないけど結果としていつも7対6で決まっていくわけです。西之表市議会はそれまでずっと反対の決議を上げてきたのに、初めて「賛成」「基地を誘致する」っていう意見書が可決され、そしてさっきの最終的に9月議会で馬毛島の土地も西之表の土地も防衛省に売るっていう議案を可決してしまいました。もう要するに、西之表市議会はそれまではずっと反対の市議会だったのに、選挙後は賛成の市議会になってしまったってことなんですね。たった1票差なんですけど。議員は7対7なんですよ。でも1票差でいつも決まっているわけですから、そういう形になってしまいました。
で、県はどういう態度かっていうと、知事はずっと賛否を明らかにしていません。そして、環境アセスメントの最終的な知事の意見書というのが、実は昨日、14日だから一昨日に出されました。そこには一応防衛省にも注文をつける、環境を保全するための注文はつけているけれども、大分緩やかな注文であり、なおかつ賛否は言わない。まあそりゃそうですよね。地元がもういいよっていう形に表面上なってしまったら、知事も言わないですよ。だいたい知事って言うのはいつも「地元の動向を見て」。「あんたの地元でしょ」っていつも言いたいんですけど、そういう形になっています。そういう意見書が出てしまいましたので、このままアセスメントも丸く収まっていくんでしょう、向こう側にとっては。
そんな感じですね、反対運動は。地元の住民はですね、市長をずっと応援してた住民たちは本当にショックではあったんですけれども。でも市長が反対から賛成に移ったからといって私たちも賛成に移りますとか容認しますということではないです。だから、反対の人は反対で続けています。今までも署名とか全戸配布のチラシとかそういうことをしてきて、講演会を開いたり、シンポジウムを開いたりです。市や県や防衛省へ抗議や要望を寄せたり、ここにあるようにデモ行進をしたり、集会をしたり。デモや集会をすると、100人から120人くらいの人が集まるんです。西之表市の人口が1万5千弱、種子島全体で3万弱です。3万とした時に100人集まったら、東京だったらどれぐらいの人数になる思います。すごい人数ですよ、これ。だからそれだけの人たちがまだ反対っていう思いで頑張ってはいます。頑張っていますけど、やっぱりなかなか圧倒的な力の差っていうのがありますよね。

今後の課題――平和、戦争、そして自衛隊の問題

私、ここへ来てこんなことを喋ってるんですけど、反対運動として今後の課題を私なりに考えるところとしてはですね、まずやっぱり今まで種子島での反対運動って、言ってみれば住民運動。ここに私達の住んでいるところに嫌なもの、迷惑なものができるから、それに反対しようという運動だったなと。でもそうじゃないよね、これは本当に平和の問題、戦争と直結する問題、この国を私たちがどうやってこの未来を作っていくのかっていう問題だよねっていう、そういう考え方をしていかないといけないんじゃないかなと。ただ住民、その地域でどうこうっていうことであれば、お金に動かされてしまうし、そこを大事にしていかなきゃいけないなということと、多分、馬毛島の話は実は初めて聞きますという方もいらっしゃると思うんです。全国への発信力が足りないなと。そもそもメディアは取り上げませんからね。辺野古ぐらいはちょっと取り上げられるけど、馬毛島の話なんかは大手のメディアが全国放送のところで取り上げることってほとんどないです。だから、SNSとかを使ってもっともっと発声をしていかなきゃいけないな。それからまた地元では「気持ちは反対、そんなものできてほしくない。でももうしょうがないよね」っていう人が増えてます。そういう人たちにもう一度「違うよね」って、「やっぱりダメなものはダメって言ってこうよ」っていう地元に対するアピール。これも必要だなと思ってます。
あとは自衛隊をどう考えるか。実は地元は自衛隊っていうのがずっと長いこと優良な就職先だったんですね。これは多分地方といわれるところはどこもそうです。地元に大きな就職口がないから、大体外に出ていく。でもわりと遠くの都会じゃなくても良い、わりと近いところでお金をしっかりもらって貯められて、で、いい就職口、堅い就職口としてずっと自衛隊っていうのがそこにあって。自分の身内に自衛隊員が一人もいませんっていうところはまずない。そういうこともあって、自衛隊というものには真っ向から反対したくない雰囲気があります。
それとわりと最近自衛隊っていうのが災害救助ということでアピールされるようになりました。自衛隊の仕事に災害救助というのは、本来は含まれてなかったんですが、まずは東日本大震災、それより前の阪神淡路大震災。阪神淡路大震災のときはなんだっけ? 有名なヤクザのでっかい組。(「山口組」)あっ、そうそうそう(笑い)。自衛隊より山口組の方が役に立ったっていうふうに揶揄されたくらい、自衛隊っていうのはあの時たいして役に立たなかったんだけど。まあそこから路線をちょっと。「災害救助に役に立つ、皆様のお役に立つ自衛隊」っていう側面をアピールするようになりました。自衛隊法には自衛隊が地域の住民の生命や暮らし、安心安全を守るということは書いてないんです。それは自衛隊の仕事でもないので、さっきも言ったように。そうなんだけど、表面的にはそういうことを言いながら災害という、災害救助はありがたいことだと思いますけど、そういうことをするわけですね。
そういうこともあって、自衛隊というものになかなか正面から、「自衛隊ダメ」とは言えない。「自衛隊だけならいいじゃない」っていう人たちもいるんです。「できるのは自衛隊基地でしょ。米軍が使うのは年間にちょっとだけでしょ。だったらいいんじゃない」。でも多分ここに来ていらっしゃる方は御存じだと思います。自衛隊と米軍はもう今や不可分です。一緒だと思って、一体だと思っていいと思います。私の連れ合いは、「自衛隊は米軍の下請けだよ」っていう言い方をするんですけれども、実際にそういう形になっています。なので、自衛隊っていうことをきちんと捉えていかないと、自衛隊問題。さっきの地図を見せましたけど、南西諸島に配備されていくのは決して米軍基地ではないんですね。自衛隊基地なんですよ。そこをちゃんと向き合っていかないといけないんじゃないかなということですね。
具体的に何をしなきゃいけないかっていうと、次回の首長選挙、市議会議員選挙。選挙でちょっとでも反対派が力を盛り返せるかっていうのがあります。特に市議会で。まだ市議会は今2年目なので、その先2年あるんですけど、言ったように7対7ですから一人でも多く反対派の議員でと言いたいところなんですが、さっきも言ったように上位で票を取っているのは賛成派のほうなんですよね。難しいところだなと思います。カギ括弧〈田舎の選挙〉ですから、馬毛島は必ずしも市議会の場合は争点じゃないです。市長選ではしっかり争点にはなるんですけど。どういう形で選ばれるかっていうと、〈おらが地元の人〉地域の人ですね。地域から出ている町内会長だったとかそういう人。それから親戚が多いと票が増えます。同級生が多いといったところで決まっていってしまうところが確かにあって、そういうところをどうやって崩していくかというのもあるんですよね。
それからその前に来年4月に県議選があります。実は種子島の地域は屋久島と合わせて2つ議席あるんですね、県議で。今、どっちも自民党なんです。本当にずるいんですけど、その自民党の二人は馬毛島のことを今までずっと触れてこなかったんです。賛成とか反対とか、積極的に誘致するっていうわけではなく、でももちろん反対というわけでもなく。でも今回こういうふうになってきて、やっと「地元のためになります」みたいなことを言い始めてて。だからずっとあの地元には「馬毛島のことは反対だけど、この人には入れているよ」って人がたくさんいたんです。だけど、さすがにもう次は入れないと言ってるんだけど、じゃあ誰を立てるんだって。馬毛島のこともしっかり考えて発言できる県議を送ることができるかっていうのも一つ今問題になってます。来年4月だそうです。なかなかね、人材がいないんですよね。

戦争につながるものを許さない、そして馬毛島の基地建設を阻止したい

最後ですが、まとめとして訴えたいこととしては、本当に防衛省はものすごい勢いで、ことを進めてます。もう私たちのその小さな力ではどうにもならない感じがしますが、でもそれでもこうやって「私たち反対です」っていうのはずっとやってきているんですが。本当に1票差でも議会が賛成にもなってしまってます。本当に厳しい状況ですけど、私個人としてはただ反対じゃなくて、どうしてもこの馬毛島の基地建設を阻止したいと思っています。なぜなら、一つはさっき見せたその琉球弧に配備される自衛隊基地の中で、まだ唯一できていないんです。確かに少し工事が始まってます。周りの工事はちょっと道路工事とか、その港湾の浚渫とかちょっと始まってはいるけれど、本体にはまだ手が付いてない。まだ阻止できる。そしてここを止めないと琉球弧も本当に軍事要塞化、もう本当に歯止めがなくなるだろうというふうに思っています。なので、やっぱりたくさんつながっていくのが大事だなと思って、今日来てくださっている埼玉で琉球弧の軍事化を問題にしてスタンディングをやってくださっている方は種子島にも来てくださいました。
今日は高円寺北口で1時間ばかり一緒にスタンディングをしてきました。そういう目に見えて地元じゃないところで訴える活動っていうのはすごく大事だということと、島々で進んでいることを島々、一つの島の問題にしないで一つの大きな問題として捉えていく。物理的に離れているので難しいんですよね、繋がるって。意見の交換とか、今はズームで集会とかはできるんですけど。辺野古にワーっと集まれることがあるじゃないですか。ああいうのを各島々、宮古・石垣。ちょっと与那国とか奄美はね、地元での体制がなかなかできないところがあるんですけど、宮古・石垣はすごい頑張ってる方がいらっしゃるし、種子島もいるんですよ。そういうことで「今回はここにみんな集まろう」みたいなそういうことができたらいいなというふうに思っています。それから2014年の7月に集団的自衛権が認められて、まあ閣議決定ですけどね。以降、本当に戦争につながるような法整備とかがバンバン進んでますよね。安保法制ももちろんそうです。重要土地規制法とか経済安保推進法って今問題になっているけど、そういうのもそうですよね。特定秘密保護法はもうスパイ防止法にしようよっていうのもずっと画策している自民党ですし。
ということであれば、9条は絶対変えさせちゃいけないとか、そういう取り組みもしなきゃいけないだろうなというふうに思っていて。とにかく、その戦争につながるものをこれ以上は許さないんだっていうことを皆さんと、そのいろいろなところの皆さんと共有しながら、馬毛島の基地建設を阻止していきたいなというのが、私の今の考えでございます。
長くなりました。以上でとりあえずお話の方は終わらせていただきます。

会場からの質問――市議会について

司会 どうもありがとうございました。ちょっと急かしたみたいで申し訳ないです。みなさんからご意見、ご質問を受けていきたいと思います。
A ちょっと厳しいかもしれないですけれども、15反対議員がいたのが7人に減ったんですよね。
和田 16議席だったんですよ、私がいた時は。それが14議席にまず減ったんですね、議席そのものが。そして10:5だったのが7:7になったんです。
A まあ実際定員が減ったことにもかかわらず、減ったことは確かですよね。その原因として私はいろいろと考えられると思うんですよ。多く出しすぎたとか、いろんなケースがありますよね。そこら辺をどのように分析、次の市議選に向かって分析されてると思うんですけども、その敗因をですね。
和田 やっぱり一つはですね。八板市長の1期目の4年間、つまり私も一緒の4年間ですが。八板市長が絶対反対という姿勢ではなくなって、市民の間に何というか諦めムードが広がって、「まあこれだったらあえて反対しなくてもいいんじゃないの」というムードが広がった中での選挙だったんですね。それとそういうムードになってきたこと、そして防衛省がどんどんこう具体的に進めてくることで、今まではわりと静かにしていた賛成派の議員たちが、かなりこう力強く出てきたというか、強気に出てきた。賛成派の議員の上位当選の人たちはほぼ間違いなく自民党なんです。で、今まで一人もいなかった自民党公認候補という人が出てきました。自民党から推薦されてるっていう人も出てきました。今までは自民党員だというのは知ってる人は知ってたけど、自民党を前面に出してくることはなかったんですよ。で、鹿児島県から出ている森山裕というこの前まで国対委員長を務めてた人が、言ってみれば大ボスみたいな感じで。もう地元の自民党の人たちは森山先生、森山先生と立てているんですが。その森山とか、さっき言った県議の二人とかが、かなりテコ入れしてきた。市議選の方もですね。対して、反対派は今までの形の選挙しかできなかった。今までのその支持者、自分の自治会。そういう何て言うか、戦略的な選挙っていうのはできてなかったんだろうなと思います。そんなところです。
A 確かに市長も、やっぱり議会がね、反対している以上は、というのもあるのかなと思ったので、ちょっとその辺…
和田 その通りなんです。だからずっと議会が反対だったから市長も強気でいられた部分があったのに、議会が賛成になってしまったんで。そうするとその馬毛島に関してだけでなくても、市長が提案した議案議案が潰されていくわけですよね、当然。だったら要するにその議会が通してくれる案しか出していけなくなるっていうのがあるじゃないですか。だから本当に議会が大事だったんですけどね。実は議長の任期って2年というふうになっているんですが、だから1期4年の間に最初の2年はその反対派を立てて、その次は賛成派がするからねっていう、その裏でのお約束があったという話があるんですよ。でもね、そんなことって、そんな約束して全部決まっちゃったじゃないの、という話なんですよね。だからほんとに「なんだよ」っていうような感じではあったのですが。それと最初の市議14人が決まった時の、実は一人は選挙に出た時は「私はまだ中間」とか「中立」って言ってたんです。最初から知ってる人は「どうせ賛成だよね」って思ってはいたんだけど。で、その人は当選してすぐに賛成ってなったっていう、そういう汚いやり方。そういうこともあったんですね。
A いやいや、厳しい質問をして。
和田 いえいえ、当然です。私もそう思います。
司会 反対派が10から7になったんですけど、反対派の中での会派というのか、そういう結束力というか、そういうのははかられてきたんですか。
和田 特に会派っていうのは共産党だけで、共産党の人が二人いて、そこだけは会派なんですけど、あとは賛成であれ反対であれ、一匹狼なんですよね。そして本当に選挙になると、やっぱり自分の票じゃないですか。誰かと票を分け合いましょうっていう、そういうふうにはならないんですよね。それとさっき言ったように、全体的に見ると馬毛島賛成派が市議会の場合は圧倒的に多かったんです、得票数が。6割以上が。だから上からずっと賛成派が並ぶわけですよ。で、下の方に反対派みたいな。そして、じゃあ、その入れた人がみんな馬毛島賛成かって言ったらそうじゃない。今まで出なかった地元の若い人が出てくれたから応援しようとか。それから今まで反対派で出てた人が引退しちゃったんで。その引退しちゃったんだけど、その人の後に反対派の議員を立てられなかった。そういうことが幾つか重なって、っていう結果ですね。でも、その賛成派って言われる人たちが、その前の4年間の間に勢いづいたのは確かです。それはやっぱり私は市長に責任があると思っているんですけど。市長が絶対反対だって言い続けていたらそうならなかったんじゃないかな、っていうふうに思ってます。
B 自衛隊員の家族が移住して、そこに住んできている人は増えてきているというようなことをちょっと聞いたんですが、その辺はどうですか。選挙に関係あると思いますので。
和田 実はまだ種子島には自衛隊関係の家族とかは来ていません。まだ実際に基地ができてないので、自衛隊の準備のためみたいな感じで数人来てはいますし、その家族もいるにはいるのでありますけど、選挙に影響があるほどの人数ではないです。でも、与那国なんかはもうそれで、どんどん自衛隊の人たちの票で物事が決まっていくように一時期なりかけていましたよね。また、ちょっと変わったのかな。
B ありがとうございました。

アリバイづくりにつかわれる防衛省の説明会

司会 他にございませんか。艦載機着陸訓練の問題で言えば、米軍と自衛隊の離着陸は1日に222回ぐらいに及ぶんじゃないかというふうに。
和田 そうですね、トータルで2万8900回だったかな。それを単純に割ると1日に何100回みたいな話ですよね。でも、もちろん休む日もありますからね。自衛隊だって毎日毎日やるわけじゃない、休む日もあって。だから多い時は1日でも1000回近く、もしかしたら飛び回るかもしれないっていう話ですよね。それも機種もいろいろ。で、騒音の話、実際に飛ぶって話でいえば、実はやはり種子島の中に「どんだけの音がするものなのか、いっぺん飛んで見せてよ」っていう話があったんですよ。で、実際にデモフライトしたんです。だけど、そのデモフライトは必ずしも私たちの上空を飛ぶわけじゃなくて、馬毛島の上空を「本当に飛んでるの?」って見えないくらい、ずうっと何度か回ったという代物があったんですが、それでもですよ。種子島島内で70デシベルぐらいを記録した場所もあったんです。ただ飛ぶだけでです。ただ飛ぶだけでは大した騒音はしないんですよね。エンジンをふかす時にすごい音がする。だからタッチアンドゴー、降りてきてここで思いっきりエンジンをふかしてビューンっと上がっていく。ここですごい音がするっていうことなので、それをやってみてくれなきゃ意味ないじゃないかというんだけど、そこは整地されてないからできませんという。でも、賛成派の人たちは「あああれぐらいの騒音なら」というわけですよ。もう簡単にころっと使われました、いいように。
だから説明会とかも、説明してくれって思うのは当然なんですけど、1度説明をさせたら防衛省とかにさせたら「説明しました」というそのアリバイ作りに使われる。だから、私は本当は説明会なんか開かせちゃダメだってずっと言ってはいたんです、個人的には。「でもやっぱり説明は聞きたいよね」っていう人の方が圧倒的に多くて、説明会も何度かされたんですけど。
あと石垣なんかもそうなんですけど、何々について後でもう一回質問を何らかの形ですると、「それについてはご説明しました」って返ってくるわけですよ。だから説明したっていうそのことが防衛省側にとっては、国側にとっては、何ていうか免罪符というか、アリバイになっていく。だから本当に説明なんか受けちゃダメだった。それで実は前の市長はやっぱり彼も反対、実は保守なんだけど馬毛島の基地については反対で、何度も防衛省側が「説明させてください」って彼にアプローチしてきたんですけど、その前市長は「受けません」と。「説明なんか受けません」ってずっとその立場だったんです。で、2011年のこの6月2+2で決まった時も、実は防衛副大臣が来て「説明をさせてくれ」って来たんですけど、そのときも何かしら説明はしたんでしょうけど、「私は説明は受けたとは思っていません。表敬訪問を受けただけだと捉えてます」っていう。そういうふうにずっと門前払いをし続けてきたんですが、八板市長は「ニュートラルな立場で情報を得る」という形で、何度も自分も説明を受ける、住民にも説明をさせるで、その結果どうなったって言うと、こうなってきたわけですよね。
だから言いようにやられちゃったよねって、相手の土俵に乗るということじゃないですか、説明を受けるということは実は。土俵に乗っちゃいけなかった、土俵に乗ったら負けることはわかりきっていますからね、相手の。相手は国ですから。だけどうまいこと土俵に乗せられちゃったというか、自分から乗っていった。確かにその「説明をしてください」ってただ言っただけじゃなくて、その歩み寄る姿勢とやらを見せないと、ちゃんとした情報は出してこないっていうのが国のやり方なんですよね。でも、それで情報を得てっていうのは「軒を貸して母屋を取られる」、そういう感じですよね、説明を受けるってやつは。本当に今では思ってます。だから自分自身も説明会に行ったので、それに加担してしまったなっていう忸怩たる思いはあったりします。
司会 他にございませんかね。

これからの具体的な闘い――何ができるのか

C 今まだ工事がちょっと始まってきたと言ってましたけど、具体的に工事はいつぐらいから本格的になるのかというのは、選挙の状態っていうか、反対なのか、賛成なのかということでの動静で決まってくると思うんですけど。そのことと、実際工事にはどれぐらいの年数で完成するというふうに予測が立てられているのですか。それと、具体的に最悪工事が始まってしまうと、急ピッチで行こうとするじゃないですか。で、沖縄島の方の勝連にもう、来年ミサイル部隊が配備されるっていう、本部隊っていうか琉球弧全部の司令本部になるという形で、もう相当シナリオは出来上がってきているので、具体的にじゃあ、工事が始まった時のことも考えておいた方がいい。その時にじゃあ、もちろん離れた私たちもですけど、住民の人たちがどういう具体的な…例えば辺野古ではずっと、一日一秒でも遅らせるっていう形でやっているんですけど、そういう現場の運動のやり方みたいなことも少しこう話されていたり、考えたりしているのかどうかとか、そこら辺のことをちょっと。
和田 まず防衛省としてはすぐにでも着工をしたい。すでに本体工事の入札公告はされています。されたし、恐らく入札ももう決まった頃だと思います。実はちょっと知ってる関係からちらっと入ってきたのは、コンサルは全てもう決まっていると。発注先までは決まってないけれども、計画は全てコンサルは済んでいる。馬毛島に関しての工事については。で、あとはどこが請け負うかっていう話だけど、その請け負う所の入札なんてというのは形式であって、ほぼ決まっているとされてます。防衛省側が何て言ってるかっていうと年度内。今2022年度内着工を。で、25、6年には完成させたいけれども、一部はもう使えるようにして、24年度くらいからは訓練を始めたい。そういうふうに言ってます。
じゃあそれに対して何をするか、何ができるかっていう話なんですけど、すごく難しいのが馬毛島は離島なんですよね。離島の離島。離れている。例えば、陸地内であれば、それこそそこに行って座り込もうとかできるんだけど、行くには漁船とかチャーターしないと行けない。辺野古はその陸地とつながってて海でもカヌーとか使えるじゃないですか。馬毛島まではカヌーじゃちょっと無理。結構、行った方はわかるんですけど、波が荒いんですね。で、漁船も反対をしている馬毛島でずっと漁をしてきている漁師さん達も、そこまでの何て言うか体力はない。若い人はあまりいないので、まあどっちかというとおじいちゃんがほとんどなので、そのいざという時にみんなで分散して、ワーっと行こうよって、それを継続的にはできないと思うんです。うん、実際に。なので、その実力行動っていうのがすごく難しいというのがあるのと。でも、それはまあ私の考えなんですが、今までもその実力行動みたいなことを言い出す人はいないんですよ、島には。元々が穏やかな性質の人たちで。多分沖縄もずっとそうだったんだろうと思います。本当にやむにやまれずああいう形になっていったんだろうと思うんですけど。それでもまだ実力行動っていうのをあまりこう頭にないかな。一つはさっきも言ったようによそを知らないんですよ。よそでの市民運動とか闘いをあまり知らない。だから「ああそうか。ああいうやり方もあるんだね。私たちもできるんじゃない」っていうふうにはなっていかないですよね。知っている人もいないわけじゃないけれども、やっぱりうまくないって言うか。そういう直接行動的なものには、かなり抵抗を感じるタイプの方が多いかなと。それと漁師さんたちもそうなんですが、反対運動をされている人たちの平均年齢も相当高いんですね。そういう意味ではかなり直接行動は難しいかなっていうふうに思ってます。
だけど、何かしないといけないんだよね、っていう気持ちはある。何が具体的にできるのかなっていうのを今模索しているところで一つ出たのが住民監査請求。それは直接行動、現場での直接行動とはちょっと違いますけど、今回土地を売るって提案があったけど、それっておかしいんじゃないのって。税金の使い方として、市の税金の使い方・使い道。市が行う行政が行うその行動として、おかしいんじゃないのっていう住民監査請求を出したんですが、ほぼ門前払いでした。だから、例えば訴訟とかそういうのも出てくるのかなと、その馬毛島に土地を持ってる個人の方のその土地に関してとか、あと入会権という形で、馬毛島で漁をしている漁師さん達が、馬毛島の土地を誰のということではなくて、みんなで使う共有地だっていう形の土地を少し持ってるんですが、それに関してもずっと長いこと裁判をして入会権は認められたんだけれども、なぜか登記は企業になってしまってる、いつの間にか登記移転がなされている。そういったところの訴訟とか、そういうこともしていかなきゃいけないのかなっていうところではあるんですが、本当に辺野古とか高江みたいなね。そういうちょっとでも1分でもその工事を遅らせようっていう運動が、闘いができるかっていうと、かなり難しいかなと、思っています。
司会 ありがとうございます。時間もだいぶ過ぎましたので、一回ここは閉じまして、残れる方はアルコールでのどを調整しながらお話が継続できればなというふうに思っています。今日はどうもありがとうございました。

(2022年10月15日 高円寺「素人の乱・12号店」)

2023年5月20日

〈脱走する主体〉へ
──ソウル・プレカリアート運動の歴史的形成 

トーク : Didi (人文地理・都市研究)

今回は韓国・ソウルからDidiさんを招いてお話を聞きます。
Didiさんは、2017年の末に山谷を訪れて以来、山谷の運動と併走しながら、先鋭的な研究を続けてきている。それは、「東京とソウルのプレカリアート運動の歴史的形成過程と、その運動の中で作られた都市的コモンズについての比較研究」(今年の1月に刊行された、Didi・他〈監訳〉『被害と加害のフェミニズム』のプロフィール紹介より)という魅惑的なものだ。
今回は私たちの要請に応じて、ソウルの運動に重点を置いた報告をしていただく。おもに「1960年代と1970年代のソウルの 〈月の村〉の形成と、その中で作られた都市住民運動が、現在のプレカリアート運動にどうつながっているのか」を話していただきます。
〈月の村(タルトンネ)〉とは、60年代初頭からの、韓国の急速な近代化の中で、都市部に人が急激に流入して形作られた〈貧民街〉だ。都市の下層民が生み出した闘いが、今の新自由主義の時代にどう息づいているのか? そして、新しい世紀のプレカリアート運動が持っている可能性は、どこに向かっているのかを探ります。