映画では腹は膨れないが敵への憎悪をかきたてることはできる -佐藤満夫
カメラは常に民衆の前で解体されていく これが本当のドキュメントだと思う -山岡強一
この映画の冒頭では、次のような字幕が、山谷地区の遠景を背景にして映し出されます。
「1983年11月3日 日本国粋会金町一家西戸組が日の丸を掲げ山谷争議団に対し 武装襲撃をかけた。 以来、一年余に及び闘いが繰り広げられた」
日雇労働者の街山谷の労働者を、日の丸の下で一元的に支配・管理しようとする右翼暴力団の試みでした。「山谷越冬闘争を支援する有志の会」に所属してい た佐藤満夫監督は、1984年12月に文字通り山谷のど真中にカメラを据えて、山谷労働者の姿を正面から撮影するドキュメンタリー映画制作の作業に取りかかります。ところが、映画がクランクインしてまだ1か月もたたない1984年12月22日早朝、佐藤満夫監督は、日本国粋会金町一家西戸組組員の凶刃に斃 れます。冒頭の字幕に続いて、映画に登場するのが、山谷の路上に倒れた、微かにまだ息のある佐藤満夫監督自身の姿でした。映画の物語を組み立てる当の監督が映画の冒頭から倒れている。これは、通例、物語の終了を意味します。しかし、この映画では、むしろ物語の始まりとなっています。
佐藤満夫監督の断ち切られたフィルムが残されました。翌年1985年2月3日におこなわれた『佐藤満夫さん虐殺弾劾! 右翼テロ一掃! 山谷と全国を結ぶ人民葬』で、佐藤満夫監督が殺されてから一年の間に映画を完成することが、参集した人々の前で約束されました。ここに断ち切られたフィルムを繋れまし た。「カメラは常に民衆の前で解体されていく-これが本当のドキュメントだと思う」とは、山岡強一監督が、この映画の上映運動に託した言葉です。山岡強一 監督は、山谷で始まって山谷で終わる強固な円環を打ち破る中味は何かという問いかけを上映運動に託し、この試みは現在なお継続しています。
次回上映
2024年11月3日(日)
『暴動の時代に生きて ’68-’86 山谷』 (中山幸雄/著)を読んで
コメンテーター:キムチ (元・現場闘争委員会/山谷争議団)
中山幸雄が語る、寄せ場の、熱い暴動の季節を駆けぬけた活動家たち の闘いの軌跡、そして生と死をふりかえり、次代につなぐことばを読み解く。
【本書の梗概】1968 年夏、暴動の嵐吹き荒れる山谷に鈴木国男、船本洲治、中山幸雄ら四人の若ものが降りたった。それは寄せ場を牛耳る暴力手配師、悪質業者、地域ボス、マンモス交番との妥協なき闘いの烽火であった。
山谷自立合同労働組合、全都統一労働組合から悪質業者追放現場闘争委員会、そして 6・9 闘争の会、山谷争議団へとつらなる闘いをたどり、「労働者解放旅団」と称された活動家たちの軌跡をふ りかえる。 [月曜社、2024 年 10 月刊]。
★ 1:30pm開場 2:00pm上映
『山谷 やられたらやりかえせ』
*監督/佐藤満夫・山岡強一
*1985年 16ミリ カラー 110分 ©️「山谷」制作上映委員会
★ 上映後 4:00pm 頃から〈ミニトーク〉
★ 会場 : 国立・地球屋 (Kunitachi Chikyuya)
R中央線 国立駅南口より徒歩6分 JR南武線 谷保駅より徒歩27分
東京都国立市東 1 丁目 16-13 諸橋ビル B1
Tel: 042-572-5851
Mail: chikyuya_info@yahoo.co.jp
◆ 予約・お問合せ : E-mail:komi-ko3@jc.ejnet.ne.jp TEL.090-3530-6113(小見)
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