西川口に、カフィンという、在日フィリピン人女性達のグループがあります。私は、5年前から、カフィンに日本人ボランティアとして関わっていますが、そこでジランちゃん一家にであいました。両親は日本で生活して10年以上になり、お母さんのドナさんはフィリピン人で、お父さんのタスクンさんはクルド人で、ジランちゃんは、かわいい2才の女の子でした。彼らは日本で知り合い、家族の共通語は日本語。一家にとって安心できる生活の場は日本しかないという状況でした。
ジランちゃんの3才の誕生日を目前にした、2004年1月、一家が出していた難民申請が、入国管理局に却下され、彼らに強制退去命令が出され、3人は入国管理局に収容されたのです。3人は別々の場所に、2才のジランちゃんまでも親から引き離されて、収容されたのです。
それから、4年間、こんな非人道的なことをする入国管理局のやり方に怒り、彼らをとりもどそうと、周りの支援の人たちで弁護士を立て、署名を集め、また、彼らが仮放免になり家に帰れた後も、日本で暮らすことができるように強制退去命令の取り消しを求めた裁判を起こして、入国管理局、国に訴えてきました。
裁判は、地裁は敗訴、高裁も勝訴は難しいとの見方でしたが、とにかくできることを、とたくさんの彼らに心を寄せる人たちが署名を集め、多くの人に関心を持ってもらおうと、マスコミにも訴えてやってきました。私も署名集めや裁判の傍聴などできることをやって、関わってきました。
高裁も敗訴になれば、強制退去はいつされてもおかしくない、もうあと2回ぐらい法廷が開かれたら、結審だろうと、そうしたら、何時強制退去の命令が下りてもおかしくない、よそうされ、不安がどんどんつのっていた時、裁判官が交代し、新たに担当となった裁判長が、国側と原告(ジランチャン一家)が話し合ったらどうか、という異例の提案を出してきたのです。
法廷では、私たちの側も、国側も、一瞬何が起きたのか解らないという感じでした。でも、これは私たちにとっては、ものすごいチャンスが巡ってきた、ということなので、それからまた、新たに署名活動を展開して、法務委員会、そして法務大臣に訴えていこうと、運動を盛り上げていきました。
そして、その動きが法務大臣の背中を押したのか、法務大臣は、彼らに在留特別許可を下ろすと判断を下し、2008年3月25日に在留特別許可がでたのです。
何という喜びでしょう!
どんな厳しい状況であっても、あきらめずに、4年間たたかってきたジランちゃん一家と、彼らを支えてきたたくさんの人たち、ほんとうに、よくやったと思います。ほんとうにうれしいことです。
でも、これが、裁判長が替わらずそのまま敗訴になっていたら、こうはならなかったでしょう。裁判長のあり方が、こんなにも人の人生を左右するなんて、
複雑な思いでいっぱいです。
裁判長の裁量で、こんなことができるのなら、もっともっと、たくさんの人を救って欲しい、と切に願います。
ジランちゃん一家の他にも、不安な状況で暮らしている在日外国人の家族が、たくさんいるのです。
この日本という国を、人権を重んじて、人道に乗っ取って、法を使い、行政を動かせる国に、していきたいと、心から思います。